こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』最初の1篇(+α)まるごとためし読み!

『教室のゴルディロックスゾーン』ためし読みバナー

『──べては、憎き宇宙人を殲滅するために』

 ……かはしさん。

『君が死んだら、誰が地球を救うんだ』

 たかはしさん。

「わかってるわ、トト」

高橋たかはしさん! 授業中ですよ!」

 その声に我に返ると、目の前に立っているのは宇宙人でもトトでもなく、険しい表情で私を見つめる戸塚とつか先生の姿だった。先生のトレードマークでもある白髪交じりのくせ毛が、猫のように逆立っている。

 返事をしなくちゃと思うのに、うまく舌が回らない。どこからともなく、あーあ、というため息が聞こえた。

 まーたキレちゃったじゃん、今月何回目?

 仕方ないよ、高橋さんだもん。

 ていうかトッティー、最近機嫌悪くない?

 なんでもいいけど、このまま授業終わってくんねーかな。

 クラスメイト達のひそひそ話をよそに、戸塚先生のお説教は続く。教室には、おだやかな春の日差しが降り注いでいた。窓の外では、体育の授業が行われている。多分、三組の女子だ。とその時、校庭の真ん中にたむろする生徒の群れに紛れて、一人だけ髪を二つ結びにした子を見つけた。私とお揃いの、おさげの後ろ姿。

「あ」

 さきちゃん、と思わず身を乗り出しかけた私を、戸塚先生は見逃さなかった。

「よそ見しないで、人の話を聞く!」

 はい、あの、と口に出したそばから舌がもつれた。ああ、さっきまでの勇敢な私はどこにいっちゃったんだろう。

「高橋さんだけじゃありませんよ。最近クラス全体の空気がたるんでいます。みなさん、いいですか? 中学校の三年間は、あっという間です。みなさん一人一人が上級生になったという自覚を持って……」

 私は戸塚先生が苦手だ。先生と話していると、蛇ににらまれたかえるみたいに体が動かなくなる。

『宇宙人だ』

 どこからか、そんな声が聞こえた。

『戸塚先生は、宇宙人だ。気をつけろ』

 宇宙人? 戸塚先生が? そんなわけない。

『どこからどう見ても、宇宙人だよ。依子、君が動けないのは攻撃を受けているせいだ。ほら、戸塚先生の頭をよく見てみろ。さっきの宇宙人そっくりじゃないか。人間の体を乗っ取って、寄生してる』

 確かにそう言われてみると、天然パーマだと思っていたもじゃもじゃの髪の毛は、ついさっきまで闘っていた宇宙人に似ている、ような気がする。よーく目を凝らすと、その先端がうにょうにょと動いている、ようにも見えた。声の言う通り、宇宙人が戸塚先生の体を借りて、攻撃を仕掛けているのかもしれない。

『そこにも、あそこにも、こっちにもいる。みんな宇宙人に乗っ取られてるんだ。自分では、気づいていないだけで』

 その声に従い、教室をぐるりと見回した。ちらちらとこちらの様子をうかがっている子、我関せずという顔で教科書をめくっている子、こっそりお喋りしている子、つまらなそうにそっぽを向いている子。これも全員、人の皮をかぶった宇宙人、なのだろうか。

『残念だけど、このクラスはもう助からないかもしれないな』

 ……そうなの?

『長い間、寄生され過ぎた。早くしないと、彼らの二の舞だぞ。君はこんなところにいるべき人間じゃない。依子、君は──』

 その瞬間、高橋さん、と再び名前を呼ばれて我に返った。戸塚先生が怪訝けげんな表情を浮かべて、私の顔をのぞき込んでいた。

「どうしたんですか、ぼうっとして。具合でも悪いの?」

「……違います」

 かわいそうな戸塚先生。自分が宇宙人に乗っ取られているとも知らずに。

「先生、その、私。地球が、地球を救わなくちゃいけないんですけど」

「は?」

 戸塚先生はぽかんと口を開けて、地球、と私の言葉をオウム返しした。それを聞いたクラスメイト達から、ぶっ、と笑い声が上がる。その方角に首を向けると、大沢おおさわ君が教科書で顔を隠しながら隣の席に身を乗り出しているところだった。大沢君は、クラスでも特に目立つグループの男子だ。普段から声が大きくて、すぐ「あ?」とか言うからちょっと怖い。

 なんだよ地球って。あいつ、言ってることやばくない?

 知らね。中二病的なやつじゃねーの。

 間髪を入れずに、そこうるさいですよ、と戸塚先生が振り返る。大沢君は、やべ、という顔をして、自分の椅子に座り直した。戸塚先生が場を仕切り直すように、ごほん、と咳払せきばらいを挟む。

「えー、とにかく。授業の時間は授業に集中してください。もちろん、みなさんも。高橋さんは今後、よく気をつけるように」

 戸塚先生はそう言って、くるりときびすを返した。これ以上話しても仕方ない、と思われたのかもしれない。

「では、授業を再開します。五十六ページ、開いて。えー、夢から覚めて、男は思います。自分は夢の中でちょうになったと思っているけど、それは本当だろうか。今こうしている現実こそが、蝶の見ている夢なんじゃないか──。こういった感覚には、みなさんも覚えがあるんじゃないでしょうか」

 窓の向こうには、よく晴れた空と筆でなぞったような薄い雲が広がっていた。五月の木漏れ日が教室の床に複雑な模様の影を落としながら、さわさわと揺れている。校庭に目を向けると、トラックを一斉に駆け出す女の子達の姿があった。豆粒みたいな大きさの人影が数人ずつ一列に並び、ホイッスルに合わせてダッシュする。

「ではこの続きを最初から、次の人──」

 いくら目を凝らしてみても、その群れからもう一度、おさげの後ろ姿を見つけ出すことはできなかった。



【6月28日発売!】

 

『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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