吉川トリコ「じぶんごととする」 7. 本の地図をひろげて
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作家・吉川トリコさんが自身の座標を定めてきた、あるいはこれから定めようとするために読んだ本を紹介するエッセイです。
前回、文化ディグに血道をあげていた青春時代について書いたけれど、ではどのようにして自分の中に文化地図をひろげていったのかについて今回は書きたいと思う。
この広大な文化の海を、地図も羅針盤も持たずにゆうゆうと渡っていくのはむずかしい。実際、私は最近の音楽にはまるきりついていけてないので、ディグろうにもどこからディグっていいのかわからず、Apple MusicでK-POPやUSのチャートを漫然と聴いているような有様である。ヒットチャートを漫然と聴くような人間にだけはなりたくないと思っていたのに……!(漫然とではなく毅然とヒットチャートを聴いているならかっこいいかんじがする)
映画に関しては、その昔レンタルビデオショップで「これだけは観とけ!名作100選」といったようなブックレットが無料で配布されており、紹介されていた映画をかたっぱしから観てはリストを塗りつぶすというようなことをしていた。中学のころ運動部に所属していたおかげで基礎体力がついたとかいう話をたまに聞くが、私にとってはこの作業が「中学のころの運動部」にあたるのだろう。シネフィルというほどではないけれど、ある程度の基礎体力があるので、映画館で上映されているものや動画配信サイトから、自分の好きそうなもの、自分が観るべきもののあたりがつけられるようになった。
では、どのように本の地図をひろげていったのか。
目覚めは遅く、小学四年生までは親に与えられた本や学年誌をおとなしく読んでいるような子どもだった。小学五年生になって、なにもかもが一変した。学年誌を読んでいることが急に恥ずかしくなったのと、自宅に漫画図書館のような本棚をかまえているMちゃんと同じクラスになったのが大きかった。
Mちゃんはみんなから嫌われていたけれど、なんせ自宅に漫画図書館があるので、みんなしかたなくMちゃんの家にいりびたっているようなところがあった(小学生残酷物語)。『あさきゆめみし』も『ベルサイユのばら』も『有閑倶楽部』も私はMちゃんの家ではじめて読んだ。学年誌が『りぼん』にとってかわり、(前回にも書いたとおり)主要な少女漫画誌をすべて網羅するようになるまでさほど時間はかからなかった。
一方そのころ、世間では空前の少女小説ブームが起こっていた。書店に平積みされていた「まんが家マリナ」シリーズを手に取り、雷に撃たれたような衝撃をおぼえた私は、コバルトを読みはじめるのとほとんど同時に小説を書きはじめた。当時はみんながみんな、寝ても覚めてもコバルトかティーンズハートを読んでいて、ピンクやハートのちらばった文庫本が教室を飛びかっていた。漫画を学校に持っていくのは禁止されていたけれど、体裁は小説なので教師も取り締まるに取り締まれなかったのだろう。それもブームを引き起こした要因のひとつだったのかもしれない。
中学に入ると、教科書に載っていた太宰治のリーダビリティの高さと多感な少年の心をわしづかみにする感傷的な文章にたちまちかぶれたが、その先へと地図をひろげる方法がわからなかった。『富嶽百景』に出てきた井伏鱒二と太宰の関係には萌えちらかしていたけれど、だからといって井伏鱒二の本を読もうとは思わなかった。
高校に入ると、エロいからというただそれだけの理由で村上龍を貪るように読み、さらに短大の文芸学科の授業で扱った、日本の現代女性作家たち——山田詠美、吉本ばなな、松浦理英子、川上弘美、角田光代、小川洋子など——を読むようになった。
中でも角田光代はおきにいりの作家で、若かりし頃の角田さん(めちゃかわいい)が表紙を飾る一九九九年の『文藝』秋季号はいまも捨てられずに手元にある。特集は「J文学 作家的生活」である。あったよねJ文学。読んだよねJ文学。
当時を知らない若者に説明すると、九〇年代後半の『文藝』は「Jリーグ」や「J−POP」といった言葉にあやかり、「J文学」なるものを盛りあげようとしていたのである。どのように文学の海をわたっていったらいいのかわからないでいた私はまんまとその思惑に乗り、『文藝別冊 ’90年代J文学マップ』を頼りに古本屋をディグるようになっていた。代表作をひとつ挙げろといわれれば、やはり『インディヴィジュアル・プロジェクション』だろうか。ほかにも、『ロックンロールミシン』とか清水アリカとか篠原一とか赤坂真理とかとかとかとか夢中で読んでいたっけ。「J文学」なる名称は結局定着しないまま泡となって消えたが、J文学が日本の文芸界に産み落とした数少ない果実のひとつ、それが私である。生んでくれてありがとう、河出書房。
『L文学完全読本』
斎藤美奈子
マガジンハウス
そうしてまんをじして私の人生に登場するのが斎藤美奈子『L文学完全読本』である。「L文学のLは、レディ、ラブ、リブ」とあるとおり、おもに女性をエンパワメントするような文学の総称を「L文学」と銘打ち、日本の現代女性作家を中心に紹介するブックガイドだ。コバルトを読んで育った少年たちが次に読むものとして、L文学ほどうってつけのものはなかった。そう、つまり私のためのブックガイドだったのだ。
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