椹野道流の英国つれづれ 第23回
◆ジーンとジャック、「我が家」に驚嘆する #3
大きな真鍮の鍵を穴の奥まで差し込んで、数ミリ手前に戻してぐいっと回す。
特にギミックでも何でもなく、ただ鍵穴の具合がよろしくないだけ。
盛大に軋むブルーの扉を開け、「先に上がるね」とリーブ夫妻に声をかけてから、私は幅が狭くて傾斜が急な、まるで父方の祖父が暮らしていた昭和の家のような階段を上がりました。
階段には何の照明もないので、日が落ちたら真っ暗になります。まあまあコワイデスネ。
そして、2階の「我が家」に入るためには、もう1枚、今度は象牙色に塗られた扉があります。
鍵も違うものが必要です。やはり真鍮製の、持っただけで手がちょっと金臭くなる、大きな金色の鍵。
ギギギギーィ。
ドラマに出てくる幽霊屋敷さながらの音を聞きながら、私はジーンとジャックを部屋に招き入れました。
「どうぞ!」
「あらあらまあ」
市原悦子さんばりの〝Oh dear dear!〟を繰り出しながら、ジーンは軽やかな足取りで、心臓の具合がよろしくないジャックは心配になるほどぜえはあと荒い呼吸をしながらヨロヨロと、部屋に入ってきます。
「こりゃまた」
ジャックの感想は、その一言に集約されていました。
普通の家と違って、いわゆる「玄関」が存在しないのです。
扉を開けたら、いきなりリビングルーム。
床は薄いグレーの、毛足が短く、ところどころですり減ったカーペット敷き。
前の住人たちが使っていたという、モケット張りの大きなソファーがでーんと鎮座し、その前には、テーブル代わりの特大の木箱が据えられています。
「大家さんがね、家具もお布団も食器も、あるものは何でも使っていいって言ってくれたの」
「そりゃ豪勢だが、なかなか……ボロ、味のあるソファーだな。スプリングが飛び出してきそうだ。それに、埃臭い」
呼吸を整えるため、さっそくソファーに腰を下ろしたジャックは、ふんふんと大きな鼻をうごめかしました。
「ごめんなさい。毎日掃除してるんだけど、とにかく何もかもが埃を被ってたもんだから、大変で」
「でも、薪のいい匂いもするわよ。暖炉があるのね。それも大きくて立派」
リビングのいちばん奥にある暖炉に歩み寄り、ジーンは興味深そうに煙突を覗き込みました。
「火を入れているの? 煙突は大丈夫?」
私も彼女の隣に立ち、頷きます。
「うん。大家さんが、煙突掃除は業者にやってもらってるから使えるって。……その、これを使わないと、無理だから」
「無理? 何が?」
「夜とか、寒いし」
「まあ、そうよね。うちだって、まだ暖炉が必要だし。でも、薪を買って運ぶのは大変でしょ?」
「買ってない」
「えっ?」
私を心配して、わざわざここまで来てくれた2人に、ウソをつくわけにはいきません。
私は正直に言いました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。