椹野道流の英国つれづれ 第23回
「それにしたって、本当に古い建物ね。我が家もずいぶんだけど、ここまで荒れてはいないわよ。おまけに棒まで、まだあるのね。なるほど、確かに元消防署だわ」
「う、うん」
彼女の指摘のとおり、リビングの天井は、まるで下手クソに張ったテントのように、部屋の中央に向かって垂れ下がっています。
しかもリビングのど真ん中には、かつて、待機中の消防士たちが出動するときに使っていたという鉄製の太い管が、ズドーンと1階の板金工場まで通ったままです。
さすがに今は、棒の周囲に板をはめ込み、私がうっかり落下しないようにしてくれていますが、なかなか普通の家にはない調度です。
「それにずいぶん風通しがいい」
そう言ったのは、建付けの悪い窓を開け、苦労して閉めたジャックでした。
風通しがいい、というのは彼らしいジョークで、早い話が、経年劣化で家そのものがあちこち歪んでおり、窓枠も決してもとの長方形ではなくなってしまっているのです。
だから、窓をきっちり閉めても、ずれた枠のせいで大きな隙間が残ってしまい、そこから海風がびゅーびゅー吹き込んでくるのでした。
「まあ、確かに環境は悪くねえな。窓から海が見えるのもいい」
一応、フォローらしき言葉を口にして、ジャックはリビングと続き間になっている小さなキッチン、そしてリビングの奥にあるベッドルームとバスルームを眺めにいきました。
「うん、まあ、味わいがある」
そんな言葉が飛んできます。
たぶん、彼にはそれが精いっぱいの好意的な評価だったのでしょう。
寝室は、十分な広さはあるものの、ガランとした殺風景な部屋です。
ベッドだけは元からありましたが、へたりきったマットレスに、大家さんのご厚意でいただいた、お古の寝具を載せただけ。
バスルームは事情があってほぼ使っていないので、猫脚のバスタブの中には、以前の住人が置いていったガラクタが詰まったままです。
まあ、魅力的という言葉にはほど遠いボロ家です。他に言い様がありません。
夫のあとをついてひととおり見てまわったジーンは、リビングに戻るなり、嘆息して両手を腰に当てました。
「女の子の1人住まいとしては、理想的とは言えないわね。次にあなたが来るまでに、我が家でもう使っていなくて、ここで使えそうなものをより分けておくわ。気に入ったら持って帰ってくれたらいいから」
どこまでも親切にそう言ってくれたジーンは、ふと訝しげに部屋じゅうを見回しました。
「ベッドのサイドテーブルに置く、ちょっと素敵なスタンドライトでも……と思ったんだけど、そういえばこの部屋にも、灯りらしきものがないわね。夜はどうしているの?」
あっ。気づかれてしまった!
言わずに済むなら……と儚い希望を抱いていたのですが、やはり、ここは素直に打ち明けるべきでしょうね。
私は意を決して、木箱テーブルの上に置かれたアイテムを取り、ジーンと、戻ってきたジャックに示しました。
「これ」
それは、三つ叉に分かれた、真鍮製の燭台でした。それぞれの台に、白くて何の愛想も変哲もない蝋燭が刺さっています。
「キャンドル?」
「えらくクラシックだな」
呆れ顔の2人に、私は意を決して、この家の「秘密」を告白しました。
「ええと……この家ね。実は、電気が来ていないの」
数十秒に感じられましたが、おそらくは数秒、長く見積もっても10秒ほどの沈黙だったのだろうと思います。
〝What?〟
「何ですって?」と言ったジーンの声音は、万国共通、「感情を爆発させる寸前のお母さんのそれ」でした……。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。