椹野道流の英国つれづれ 第23回
「銀行に口座がまだ開けてないから、お金がないって言ったでしょう? だから、節約したくて。毎朝、学校に行く前に海岸を散歩して、木を拾ってる。その……海から来るやつ」
「流木のことね?」
私の知らない単語を、ジーンがすぐに察して言い換えてくれます。いつも笑みを絶やさない彼女の眉根が、ギュッとひそめられているのを気にしつつ、私は天井を指さしました。
「うん。屋根の上に干したら、乾いて、よく燃えるようになる」
「……おいおい。そんなに金がないんなら、少しは貸せるぞ」
ようやく呼吸が整ってきたのか、ソファーからゆっくり立ち上がりつつ、ジャックはそう言ってくれます。ジーンも「そうよ、当座の薪を買えるくらいは」と言葉を添えてくれました。
でも、私は首を横に振りました。
「それは、だめ」
「どうして? あなたが生活に困っているのを、見て見ぬふりなんかしたくないわよ、チャズ。勿論、大金をあげられるほど、私たちに余裕はないのだけれど」
瀟洒なコテージ暮らしをしている2人です。決して困窮しているわけでないことはわかります。
でも、もはや仕事を引退して、収入といえば、年金と、ホストファミリーの謝礼くらいのものでしょう。
古いものを大切に手入れして使い続け、決して贅沢はせず、慎ましく暮らしている……そんな老夫婦の家に、毎週お昼をご馳走になりにお邪魔しているだけでも、厚かましさの極みです。
この上、借金など、とても考えられません。
それに、彼らが私に与えてくれた、この素敵な絆を、お金で汚したくない。そんな思いもありました。
「銀行口座は、学校の事務の人たちも協力してくれてるから、もうすぐ開けると思う。それまでの辛抱だし、一応、食材を買って自炊するくらいはまだお金があるから」
それでもジーンは、心配そうに私の顔を覗き込みました。
「本当に? ちゃんと毎日、食べているのね?」
「うん。お芋とかお豆とか……パンとか。学校のカフェテリアもあるし」
私は彼女を安心させるために笑って答えましたが、ジーンは笑い返してはくれませんでした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。