採れたて本!【デビュー#23】
古典落語に「粗忽長屋」という演目がある。粗忽者ばかりが集まる長屋に住む八五郎が雷門の前を通りかかると、なにやら黒山の人だかり。人混みを押し分けて前に出ると、身元不明の行き倒れの死体がある。その顔を見るなり、これは兄弟分に違いないと思い込んだ八五郎、急いで長屋に帰り、当の熊五郎に「おまえが雷門の前で死んでるぞ」と教えてやる。八五郎にひっぱられて雷門に向かった熊五郎、「これはおれだ」と死骸をかき抱いて悲嘆に暮れる。
「死んでんのはオレだけども、死んでるオレを抱いてるのはどこの誰だろうなあ」というのがサゲ(五代目古今亭志ん生版)。
粗忽が暴走する爆笑噺だが、アイデンティティの不安を扱ったP・K・ディック的な哲学噺とも言える。ちなみに五代目柳家小さんのサゲは、「抱かれているのはオレだが、抱いているオレはだれだろう」。四代目小さんは「死んでるのはオレだけど」と言ってはいけないと教えていたそうで、ミステリ的に言うとフェアネスへの配慮か。
「粗忽長屋」では、熊五郎と死体はべつだんそっくりというわけでもないらしく、死体の顔のほうがオレより汚いとか長いとか、当人(?)が異を唱えるくだりがある。ほんとうに瓜二つだったら、話の焦点が粗忽からずれて、ミステリ(またはホラー)の方向に逸れてしまうからだろう。
……と、すっかり前置きが長くなったが、第34回鮎川哲也賞を受賞した山口未桜『禁忌の子』は、まさにこの噺を現代ミステリ化したような場面から出発する。
物語の舞台は、芦屋市と尼崎市にはさまれた兵庫県西宮市(作中では鳴宮市)。主人公は兵庫市民病院救急科に勤務する医師・武田航。海に浮いているところを発見された身元不明の患者(キュウキュウ十二)が、心肺停止の状態で救命センターに搬送されてくる。その顔は、今年33歳になる武田と瓜二つだった。
救急医である武田は、自分そっくりの男に機械的に挿管し、心肺蘇生を試みたあと、死亡を宣告する。「粗忽長屋」と違って、キュウキュウ十二は誰が見ても武田にそっくり。身元がわからないため、警察からも事情を聴かれるが、心当たりはまったくない。
困惑した武田は、中学時代の友人で、同じ病院の消化器内科に勤務する頭脳明晰な(かつ〝べらぼうに男前〟の)医師・城崎響介に相談する。城崎にアドバイスされるまま母子手帳を探し、死んだ母親が通院していた不妊治療専門クリニックを訪ねる。しかし、なんらかの事情を知っているとおぼしき理事長は、事情を打ち明ける前に、密室内で死体となって発見される。いったい何が起きているのか?
城崎とともに、みずからの出生の秘密と二つの死の背後を調べはじめた武田は、やがて驚くべき事実にたどりつく……。
著者は現役医師とのことで、医療関係の描写は冒頭からすばらしくリアル。著者によれば、〝自分と瓜二つの男に心肺蘇生を試みる医師〟のイメージがこの小説の出発点だったそうだが、「粗忽長屋」と正反対に、小説はどんどんシリアスな方向に進んでいく。早い段階で手の内を明かしたうえで、なおも読者をぐいぐいひっぱる豪腕。
選評でも、「読者を没入させるストーリーテリング」(青崎有吾)、「とにかく書きっぷりが達者」(東川篤哉)、「展開は見事のひと言」(麻耶雄嵩)という具合に、語り口とストーリー展開が絶賛されている。リアリティを重視したためか、鮎川哲也賞の受賞作にしては本格っぽくないというか、ミステリ的にはやや地味だが(その分、城崎のキャラは過剰なほど名探偵っぽく造形されている)、それを補ってあまりあるリーダビリティがある。
さらに、終盤で明かされる驚愕の真相。まさに絶大な破壊力で、いったいこれをどう決着させるのかと思って読んでいると、さらに驚くべきウルトラCが決まる。
大胆不敵というかなんというか、この着地をギリギリ成立させるためにいろんなことが周到に計算されていたのだとすれば、端倪すべからざる才能の持ち主だろう。
単行本の帯裏では、シリーズ続編『白魔の檻』の刊行が予告されている。「霧とガスで鎖され、白い牢獄と化した病院に囚われたのは、87人の容疑者」だそうで、こちらも楽しみだ(2025年刊行予定)。
『禁忌の子』
山口未桜
東京創元社
評者=大森 望