田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第26回

田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」

「すべてのまちに本屋を」
本と読者の未来のために、奔走する日々を綴るエッセイ


 2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは、蔦屋重三郎を主人公とした「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」である。蔦屋重三郎は、江戸の出版界きってのヒットメーカーであり、〝蔦重〟と呼ばれ、小さな貸本屋商いをはじめ、江戸有数の版元に成り上がった人物である。この大河ドラマをきっかけに、多くの人に「出版」に興味を持ってもらえたら、などと願っているが、どうだろうか。

 2024年の年末に、僕の推し作家の一人である谷津矢車氏の最新刊『あくがれ写楽』(文藝春秋)を読んだ。

 谷津氏については、一つ不思議に思っていたことがあった。谷津氏の出世作となった、蔦屋重三郎の半生を描いた『蔦屋』(2014年3月学研パブリッシング刊)が長い間文庫化されていなかったのだ。  

 廃業間近といわれた地本問屋・豊仙堂の主人・丸屋小兵衛の前に、「この世間をひっくり返しましょうよ」という言葉と共に、颯爽と現れた救世主・蔦屋重三郎は、持ち前の発想力と行動力、そして人脈を使い、江戸の出版界に旋風を巻き起こしてゆく。幕府が打ち出した出版統制の改革が逆風となって襲いかかるが、言論と出版の自由を守るために先頭を切って戦いを挑むのだった。喜多川歌麿、山東京伝、東洲斎写楽、朋誠堂喜三二など、おなじみのスター作家やスター絵師も数多く登場し、親しみやすさを演出する反面、言論弾圧などから出版という一つの文化を守ることの意義を問うた一冊だった。

 2024年10月、単行本発売から約十年の時を経てついに文庫化された(文春文庫)。2025年の大河ドラマ「べらぼう」の題材が蔦屋重三郎であることが文庫化を後押ししたことは一つの要因かもしれないが、これまでも何らかの試み(いい意味でのたくらみ)を持って物語を紡いできた印象が強い谷津矢車氏が、それだけのために文庫化を許諾したはずはない、とひそかに考えていた。

 そう思っていた矢先に発売されたのが『憧れ写楽』だった。

 本書は、老舗版元の仙鶴堂主人・鶴屋喜右衛門が人気絵師・喜多川歌麿とともにある謎を追う物語である。追いかける謎とは、東洲斎写楽は、巷で囁かれている蜂須賀家お抱えの猿楽師・斎藤十郎兵衛ではなく、真の写楽がいるというものだった。

 物語は、喜右衛門が斎藤十郎兵衛のもとを訪れた際、「東洲斎写楽の名で出た絵のうち、幾枚かは某の絵ではない」と打ち明けられる場面から始まる。そこから、写楽の代表作である寛政六年五月興行を写した大首絵六作が、斎藤十郎兵衛の作ではなく、「本当の写楽」が書いたものである可能性を拾い集める展開へと発展してゆく。

 そこに、写楽の正体に迫る二人の行く手を阻む者が現れる。それは、写楽を売り出した張本人である蔦屋重三郎だった。写楽の正体の謎が徐々に明かされる過程はもちろん面白いのだが、読み進めていくうちに、本書の肝は別のところに用意されていることに気付かされる。

 作中、彫師のとういっそうが語るこんな一文があった。

「これだから今時の版元は駄目なんだ。俺がまだ駆け出しの頃は、版元はもっと絵師、彫師、摺師をどやしつけていたぞ。〝こんなんじゃ商い品にならねえ〟と版木を突き返されて、泣きべそかきながら彫り直した日もあった。あんときは鑿を取りつつどう殺してやろうか算段したもんだが──そうやって俺たちは技を磨いてきたんだ。手揉みとおもねりの中からは、いいもんは生まれねえぞ」と。

 また、喜右衛門が歌麿に語る言葉としてこんな一文もあった。

「時代が悪いと嘆くままでは、何も変わらない。手前の手足を動かさないことにはなにも始まらないのだ」と。

 売れるものに流され己の商いを見失いつつあった喜右衛門と、いいものを売る版元の大道を歩み続けてきた重三郎の商いへの想いがぶつかり合う中で、出版とは何かを問われている気がした。作中、「版元稼業は地獄の道行き」という喜右衛門の死んだ父の言葉があり、この一文に込めた氏の想いをしかと受け止める必要があるのだ、と。

 十年の作家活動を経て、ふたたび蔦屋重三郎に向き合った氏の覚悟を感じることができる一冊だった。大河ドラマとともに、文庫『蔦屋』と併せてお読みいただき、谷津矢車の世界に浸っていただきたい。

 本書を読みながら、2024年の出版業界を振り返りつつ、出版業界の隅に身を置く者として深く考えさせられた。2024年ほど多くのメディアに書店の現状が取り上げられたことはなかったのではないだろうか。それは、間違いなく経済産業省の「書店振興プロジェクトチーム」の影響が大きかったと言える。書店を「日本の重要なコンテンツ産業の一翼」と位置付け、関係者へのヒアリングを行い、書店活性化のための課題を整理、公表することで、広く書店の置かれている状況を周知することができたことで注目が集まった。

 しかし、僕は、本連載でも度々訴えてきたが、書店数の激減や読書離れなど、書店をめぐる状況が厳しさを増す中で、今後どのような活路を見いだせるのかは、政府の保護の下でするべきことではないと考えている。それは、僕はまだ小売業としての書店の可能性を信じているからである。

 従来型の書店の減少は確かであるものの、一方で小規模書店の増加傾向がみられる。従来型の書店が少ない利益を補填するために、様々な業種業態に姿を変えつつあるように、他業種が小規模書店を開業するケースも増えてきた。どちらが「本の可能性」に着目しているのかは断じることはできないが、本屋という姿を残したい従来型の書店に対して、本の可能性を活用した新しいビジネスモデル構築という、同じ本を扱う場であっても違う視点が垣間見える。

 そもそも、従来型書店の危機をもたらしているのは一体何なのだろうか。理由はすでに周知のとおりなのだが、この間、残念ながら20年遅きに失した感がある議論ばかりで、その本丸に切り込んだ議論をされた形跡は見られなかった。その果てに、再販売価格維持制度の改定を持ち出すあたりは、正直諦めに近い感覚を覚えたのが2024年の僕の総括だった。

 僕たち「未来読書研究所」は、出版流通のインフラの崩壊によってもたらされるのは、読書環境の地域間格差であると考えている。これを克服するために、「まちに本のある場所をつくる」「これからの読者を育てる」という二つの目的に沿ってさまざまな取り組みを展開してきた。これからもやり続けたいと考えているが、これまでの活動は「大きな出版業界」にはまったく響かなかった。というよりも、「費用対効果」という言葉で切り捨てられたことは無念としか言いようがない。

 しかし、「小さな出版界隈」の皆さんとの関係性がさらに深まった数年間でもあった。2024年までは、まだ大きな出版業界のために少しでもお役に立てることがないか模索していたが、ある種の諦めと踏ん切りがついたこともあり、2025年からは本格的に小さな出版界隈に軸足を移して活動していきたいと思っている。1000坪の大型書店を維持することも大事なのだが、僕はやはり10坪の特色ある小規模書店が100店あることの豊かさを広めていきたい。

 最後になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


田口幹人(たぐち・みきと)
1973年岩手県生まれ。盛岡市の「第一書店」勤務を経て、実家の「まりや書店」を継ぐ。同店を閉じた後、盛岡市の「さわや書店」に入社、同社フェザン店統括店長に。地域の中にいかに本を根づかせるかをテーマに活動し話題となる。2019年に退社、合同会社 未来読書研究所の代表に。楽天ブックスネットワークの提供する少部数卸売サービス「Foyer」を手掛ける。著書に『まちの本屋』(ポプラ社)など。


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