連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第30話 中島らもさんの小説
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第30回目です。今回は、ユニークで幅広い活躍ぶりから人気となり、エッセイから長篇まで様々な作品を残した個性あふれる作家・中島らもさんとの秘話です。担当編集者ならではの視点で、大変だったことや印象に残っているエピソードを語ります。
私が、中島らもさんに初めて会ったのは、1990(平成2)年の少し前のことだと思う。夕刊フジに連載した『しりとりえっせい』を単行本にするために、らもさんと接触していた学芸局の編集者が紹介してくれたのだ。『しりとりえっせい』は1990年12月に刊行されたから、この年の少し前のことになる。
学芸局の編集者は、「中島らもさんが小説を書きたがっているから、会ってみないか」と言ってくれた。
中島さんのことは、朝日新聞大阪本社日曜版に連載していた「明るい悩み相談室」をときどき目にしていたので知っていた。「明るい悩み相談室」は1984(昭和59)年から連載を始め、東京版では1986年4月2日の水曜日に、第一回目が、以後、毎週水曜日に掲載された。
そこでは、中島さんの肩書きは、コピーライターとなっていた。そして、こんな風に紹介されていた。
「1952年、兵庫県尼崎市生まれ。大阪芸大卒。現在大阪市内の広告会社企画課長。著書に『頭の中がカユいんだ』(大阪書籍)、共著(関西人撲滅協会編集、ひさうちみちお、鮫肌文殊)『なにわのアホぢから』(講談社)など。放送作家、エッセイストとしても活躍中。」
そして、私も、中島さんが、劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」を結成して、その脚本を書いたり、コピーライター、劇作家、放送作家、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、ミュージシャンなど多彩な分野で活躍している、変わった才能の持ち主だと知ってはいたのだ。
たしかに、「明るい悩み相談室」は、普通の人生相談とは大いに違っていて、相談を持ちかける人たちの悩みは、笑い飛ばせるような質問で、それに答える中島さんの答えも、中島さんならではの、異様な笑いに満ちたものとなっていた。
こんな異様な才能の持ち主と会うのは、私にとって興味深いものだった。
それ以前に私は、翻訳家であった常盤新平さんに、「岩手に住んでいた青年が、東京に出て、早川書房という翻訳を中心としている出版社に勤めて、遠くアメリカの文化を見ていることを80枚ずつ4回の連作として小説を書かないか」と持ちかけた経験があった。それは『遠いアメリカ』という小説になって、結局は第96回直木賞を受賞した。私は、文芸とは違った分野での表現活動をしている人、作詞家、コピーライター、映画監督、脚本家などに小説を書いてもらうことに、味をしめていたのだ。
ちなみに、『遠いアメリカ』の中で、主人公が、デートをしている恋人に、どうしても分からないことがあると悩みを打ち明ける場面がある。それはいま翻訳しているアメリカのミステリーに出てくる「ハンバーガー」が、なんなのか分からないということだ。その当時、日本ではハンバーガーが普通の人には手に入らなかった。辞書を引いても、ハンバーガーは「パンにミンチにした牛肉を挟んだ安価な食べ物」とあるだけで、主人公は、牛肉を使っているのに安価だなんて、と思い悩んでいるのだ。日本とアメリカのとの差、時代の違いを巧みに物語っている場面である。
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さて、待ち合わせ場所に指定された新橋のホテルの喫茶店に行ってみると、中島さんはソファに一人で座っていた。いくつかの打ち合わせをこなした後だったのだろう。
挨拶を交わして、面と向かって腰を下ろすと、目の前に顔色の悪い、目の潤んだ青年が座っていた。中島さんはいつもそうであるが、テレビなどで観ると、その場からすぐさま逃げ出したいという感じで座っていて、非常に憂鬱そうな話し方をする人だと思っていた。だが、その日の中島さんは、そんな印象とは違って、積極的に小説の構想を語ってくれた。
小説の題材は、中島さん自身の入院の体験で、それを膨らませて書きたいということだった。
私の知らないことだったが、中島さんは、連続飲酒を繰り返して、ひどい疲労感、倦怠感、食欲不振、体重減退、嘔吐、失禁、黄疸など、アルコール中毒(今はこの言葉は禁忌になって、アルコール依存症と言う)の典型的な症状を引き起こしていて、1988年の秋にアルコール性肝炎と診断され、50日間、入院をしていた。
その50日間の入院生活で感じたもの、見たものを膨らませて、長篇小説にしたいということだったのだ。
その当時の編集者は、「酒が飲めなくて何が編集者だ」という雰囲気があって、染まりやすい私なども、煙草をふかしながら、明け方まで、新宿のゴールデン街や二丁目界隈、時に四谷や銀座のバーなどで明け方まで屯していたものだ。つまり、私はほとんど、アルコール依存症の一歩手前だったので、中島さんの提案はとても魅力があるものだった。
中島さんの興味がある作家は、ウイリアム・バロウズ、ヘンリー・ミラー、山田風太郎、野坂昭如、東海林さだお(敬称略)だという。この統一感のなさが、中島さんらしい。特に、薬の依存症だったウイリアム・バロウズはその酩酊状態のまま『裸のランチ』を書いているということにインスパイアされて、中島さんは『頭の中がカユいんだ』を書いている。
『今夜、すべてのバーで』(このタイトルは中島さんが考えたものだ)の第一回目がファックスで送られてきたのが、1990年の半ば過ぎのことだった。
中島さんから電話があって、「久里浜式のアルコール依存症スクリーニングテストがあるのだけれど、それを載せるのはどうだろう」と相談された。
アルコール依存症の専門治療を行っている医療センターは、昭和38年に久里浜に設立され、いまはギャンブル依存症やニコチン依存症の治療にもあたっている。そのセンターから出ている、自分で採点する形式のテスト用紙があるのだ。
相談を受けた私は、それを縮小して1ページまるまる掲載することに決めた。
ファックスで送ってもらったテストを見て、編集部員も興味を持って、みんながテストをやってみた。それぞれが自分の結果を他人に見せたがらなかったが、いずれも暗い顔をしていたのが印象的だった。
とにかく、10問中、以下の点数を取ったら、アルコール依存症だと言うのだ。
合計点が4点以上:アルコール依存症の疑い群
合計点が1〜3点:要注意群(質問項目1番による1点のみの場合は正常群)
合計点が0点:正常群
ちなみに、このテストは下記のHPで確認できる。
https://kurihama.hosp.go.jp/
それはともかく、1990年10月の「小説現代」に、「第一回目」の『今夜、すべてのバーで』にが掲載された。表紙に「新鋭が挑むアルコール中毒小説 中島らも『今夜、すべてのバーで』」と刷り込まれ、目次には「苦い笑い! 世界初のアル中小説 重度の肝硬変で緊急入院した患者が見た酒の地獄! 絶望の笑いに満ちたこの実態」とあり、「アル中度判定テスト付き」とオレンジ色の惹句も添えた。
巻末の著者紹介の欄では、「単行本『超老伝』が角川書店より刊行された。カポエラの老達人に様々な武芸者が挑戦すると言う氏の格闘技好きが高じてできた作品」と書かれ、編集後記の欄に、「朝日新聞のちょっと変わった人生相談『明るい悩み相談室』で有名な中島らも氏は、実は、大変なアルコール依存症で体を壊し、入院された体験をお持ちです。そのときの恐るべき体験と文献による知識を総動員して、初めての小説『今夜、すべてのバーで』に挑みました。」と紹介されている。
続く11月号に2回目が掲載され、目次には「次代のエンターテインメントの旗手」と酒見賢一さんと並べて、惹句に「酒の地獄のどん底から這い上がろうとする重度のアル中患者の、苦い笑いに満ちた闘病生活!」と書かれている。
著者紹介欄では「氏率いる劇団リリパットアーミーの『壺中天奇聞』東京公演が10月27・28日下北沢ザ・スズナリにて。前作の『天外綺譚』の続編」と紹介されている。
12月号に完結篇が掲載されるが、目次には「衝撃の問題作、遂に完結! アルコールのとりこになった男が見た修羅図! 絶望の笑いの果てに浮かび上がる人生の深淵!」とあり、本文のツノ書きに、「衝撃の問題作完結! アルコール中毒患者が見た生と死の狭間!」と謳っている。
著者紹介欄には、「朝日新聞で連載中の『明るい悩み相談室』第3弾単行本好評発売中。夕刊フジ連載『しりとりえっせい』の小社より刊行予定」と書かれ、編集後記には「第一回を発表以来、大変な反響を話題を呼んだ衝撃の問題作、日本初の本格〝アルコール中毒小説〟、中島らも氏の『今夜、すべてのバーで』は今号で完結します。近々、小社より刊行されます」とある。
いずれも私が書いたものなので、どれほど、この小説に私が入れ込んだか、お分かりいただけると思う。
それから随分経って、中島さんから、彼が敬愛する作家の野坂昭如さんに「短篇小説10番勝負」を挑みたいから、間に入ってくれと哀願された。私は野坂さんにその旨を伝えると、野坂さんは、「うーん、小説って勝負するものじゃないけど、面白いと言えば言えるなあ」と口籠もりながら言った。しかし、その頃の中島さんは薬依存症のためか逮捕されたりした挙句、この企画が実現する前に体調を崩し、2004年に亡くなってしまった。享年52。実現していたら、面白いものになっただろうが、編集者は苦労したことと思う。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギアマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。