採れたて本!【歴史・時代小説#43】

有力家臣も離反した三河一向一揆、武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦い、本能寺の変の後、命を狙われる危険があるなか三河へ帰還した神君伊賀越えは、徳川家康の3大危機とされている。初の時代小説『釣り侍』を刊行したばかりの佐藤賢一の新作は、神君伊賀越えを独自の歴史解釈と忍者アクションで描いている。
安土城に潜入した伊賀忍びの山一は、信長と明智光秀の会話を聞き、信長に家康を害する意志はないと確信した。家康は信長に安土城へ招待されていたが、武田家が滅亡し西の抑えだった家康の価値が低下したので暗殺を警戒する家臣を納得させるため、伊賀忍びを雇っていた。山一の報告は、伊賀忍びを束ねる家康の家臣・服部平太夫正尚にもたらされ、家康はわずかな家臣だけで安土城へ行き信長の饗応を受けたが、途中で光秀が饗応役を解任される不穏な事件も起こる。
光秀が開いた連歌会を監視していた伊賀忍びの弥七は、光秀の発句から謀叛の可能性を嗅ぎ取り報告しようとするが、甲賀らしき忍びに包囲される。光秀の周囲にいた忍びは、誰が雇ったのか。この謎は、信長は忍びを嫌っているとの前提で推理されていき物語を牽引する鍵になる。
著者は、古武術や近代スポーツの理論(水泳選手は体を浮きやすくするため体脂肪率が高いが、これが水中での働きを得意とする忍び・魚六の技に取り入れられている)を使って忍びの動きを描写し、火遁、分身などの忍術も合理的に説明しているので、今までにないリアルな忍者バトルが楽しめる。暗号を用いた密書の作成、敵に包囲された時の連絡手段などは、現代のスパイ小説を思わせるほどである。
凄腕の忍びたちは家康に情報を伝えるが、それが真実なのか、欺瞞なのか判然としない。光秀は饗応役を解任されたが、これは失敗を𠮟責されたからか、別の任務を与えられ安土城を離れる方便か、新たな任務は、どこかを攻めるのか、家康の暗殺なのか、誰にも分からない。断片的で、真偽不明の情報を分析した家康が、迷いながら次の一手を決める展開は、信長の伊賀攻めで家族仲間を殺された伊賀忍びの怨みといった史実も複雑にからむだけに、歴史の流れを知っていてもスリリングだ。家康の逃走が始まってからは、忍びだけでなく、敵味方不明の集団の魔の手からも逃れる必要があり、情報戦と戦闘シーンが連続する息苦しいまでの緊迫感に圧倒されるだろう。
変装名人の五瓶は、たとえ「拵えた物語」でも世が納得すれば通用し、それを利用できると考える。これがフェイクニュースがフェイクと分からないまま拡散し、時に政治に利用されている現代の状況と重なるだけに、情報を見極める難しさと重要性が実感できる。
生き残ることを最優先する忍びに守られ、危機的な逃避行を続ける家康が次第に自分が何者なのかを発見する終盤は、信長、羽柴秀吉ら超人と違い等身大な存在なだけに参考になるところも多い。
評者=末國善己






