採れたて本!【海外ミステリ#44】

読み始めた瞬間から、夢中になってしまうような本がある。トーマス・クヌーヴェア『グデリアの死んだ家』はまさにそんな一冊だ。2024年、ドイツ、ウンターリンゲンという小さな村に洪水が押し寄せた日から物語は幕を開ける。住民はみな避難するが、81歳のグデリアは家に留まる。彼女は深夜に、見知らぬ男女が家の前を濁流に流されていくのを見たが……。まずはこの現代編が圧巻である。死体を見たことをなかなか信じてもらえない展開もサスペンスフルだし、洪水によって一変してしまった家や村の描写だけでも読み応えは十分だ。
何よりも引き込まれるのは、グデリアの心理描写だ。飲み水探しに苦戦させられる描写一つでさえ、ひとたび転べば腰の骨を折りかねないというグデリアの心理が緊迫感を高める。深い悲しみと諦観がにじむような心理描写と、水に沈んでいく村の風景が見事に一致しており、実に読ませる。しかし、そんな彼女にもたった一つこだわるものがある。彼女の家だ。なぜ、こんな状況になっても彼女は家を離れないのか。これが読者にとっての大きな謎となる。
現代の物語と並行して語られるのは、1984年と1988年のグデリアの過去だ。愛する息子、ニコが15歳で亡くなってしまった1984年。夫ハインツのアルコール依存が深刻化した1988年。喪失の記憶を辿るこの二つの物語にも、悲しみが深く絡みついている。
ドイツミステリーはネレ・ノイハウスやシャルロッテ・リンクの警察小説、フェルディナント・フォン・シーラッハの法廷小説、ハラルト・ギルバースの『ゲルマニア』から始まる歴史ミステリー三部作など、数多くの良作・傑作が紹介されてきたが、『グデリアの死んだ家』は中でも心理小説として一級品である。もちろん、謎解きが疎かにされているわけでは一切ない。ある程度予測のつく箇所もあるが、対照的な二人が一瞬交錯する結末は美しいとも言える。
これは余談だが、本書は久しぶりに現れた「豚ミス」の収穫でもある。犬や猫が印象的に登場するミステリーは枚挙に暇がないが、「豚」となるとやや少ない。作例はエドマンド・クリスピン『お楽しみの埋葬』、シャーロット・マクラウド『蹄鉄ころんだ』など(タイトルに豚がいればいいならアガサ・クリスティー『五匹の子豚』などもある。イ・ドゥオン『あの子はもういない』には一読忘れ難いようなシーンで豚が使われる)。そこで『グデリアの死んだ家』だが、グデリアが泥まみれの一階で見つける子豚は実に愛らしい。浴槽で動けなくなっている子豚にニンジンを与えようとするシーンは印象的だ。貴重な「豚ミス」の作例としても記憶に留めたい一冊である。読み方はぶたみす、でもとんみす、でもいい。
評者=阿津川辰海






