〝おいしい〟のバトン no.4 稲田俊輔さん(飲食店プロデューサー)

 近年、スパイスカレーなどで脚光を浴びる南インド料理。そのブームを牽引するのが南インド料理店「エリックサウス」だ。同店に加えて、和食やフレンチビストロなど幅広い分野のレストラン25店舗を経営する円相フードサービス。そのすべてのメニュー監修、レシピ開発に携わる稲田俊輔さんの「美味しい」の秘訣に迫る。


 僕は鹿児島出身で、食べ物に関心の高い家庭で育ちました。母親は外国のハイカラな料理を無条件に好んでいたので、僕は「元祖Olive少女」と呼んでいるんです。鶏がらを煮出して一からスープを取り、ドレッシングやソースも全部手作り。父は料理こそしませんでしたが、脂身のたっぷりついた本場と同じベーコンや腸詰をどこからか買ってきて、「これが本物だ」と言っていました。食を大事にするのは、祖父母の家も同様です。父方の祖母はお煮しめの名人で、テレビやラジオから取材依頼も来ていたようです。家の前の川で獲れた落ち鮎を焼き干しにして、それで出汁を取っていました。当時の自分にとっては豪華なものを食べているという認識はありませんでしたが、今思うと、一つ一つ丁寧に作られたものばかりでしたね。

 そんな家庭だったので、僕も幼稚園に行く前から、自然に料理に親しんでいました。もの作り全般が好きだったので粘土をこねたり、厚紙で模型を作るというなかの一つに料理があるという感じで。中高時代も雑誌「暮しの手帖」を見て、料理はずっと作っていたんです。でも本格的に始めたのは、京都大学経済学部に進学し、一人暮らしを始めてからです。引っ越しをして、部屋が片づいた瞬間に買い出しに行ったのを覚えています。

 そのうちイタリアンとかおしゃれなものを作れば、女の子を家に呼べるという邪心を抱き始めます。どうしたら一瞬で「すごい」と人を喜ばせられるかと考えて。動機は不純ですが、そうやって他者の目を意識することにより、料理の腕は格段に上達しました。でもだんだん目的と手段が入れ替わってきて、家で食事をご馳走したあとに、「明日の仕込みがあるから」と女性を帰すようになってしまって(笑)。一人暮らしの住まいは、もう完全に料理作りの基地と化していましたね。

 当時の僕はバンドもやって、インディーズデビューも果たしていました。でも自分の周りにはすごい才能を持った人間がたくさんいて、その彼らでも順調に活躍できない現状を見て、自分はこの道は無理だと冷静に判断していました。ただ引退したミュージシャンは飲み屋を開くイメージが強かったので、将来店をやるのもいいかもしれない、今のうちにプロの料理を身につけようと考えたのです。

 当時、京大の学生は塾の講師や家庭教師のアルバイトで時給3000円は稼いでいました。でも、人に教えることがとにかく苦手で、それなら飲食店で4時間過ごす方が楽だ、と思って働いていたのです。卒業後にすぐ自分の店を出したかったけれど、両親の手前、一度は名の知れた会社に勤めなければとサントリーに入社。レストランのプロデュース専門の子会社に、いずれ異動できればと考えていました。でも、結局はマネージメントだけで実際に現場には携われないとわかった。自分の手で何かを作る、つまり自分が料理をして、それを直接お客様に手渡すことができないなら意味がない。それでもう辞めようと考えたときに、今もともに仕事をする武藤(洋照。現円相フードサービス代表取締役)に、居酒屋をやるから手伝ってくれないかと言われて、決意しました。武藤とはサラリーマン時代に、営業の客先が同じという理由で知り合ったのですが、食に対して話の通じる唯一の人間でした。

レシピは時間や温度の推移などを全部数値化

 武藤と二人で出した一号店は、岐阜の繁華街から外れた場末の雑居ビルにある25席ほどの居酒屋です。そこでは、武藤から高級割烹の出汁の取り方など和食の基礎を学びつつ、あとは好きな料理を自由にやらせてもらいました。今に繋がるようなエスニック料理も、すでに作っていました。当時、居酒屋で出す創作イタリアンって世界一ダサイよね、というのが僕と武藤との共通認識で。エスニックもイタリアンも、その道の料理人が食べても驚くほど質の高いものを出そうという意識でやっていました。新しい料理を身に着けるのは、得意なほうです。まず食べて、料理本をかき集めて、それを見ながら味を再現すると大体できてしまう。料理を作るときは完全に理系の考え方ですね。料理は感覚的なものと思われがちですが、僕は時間と温度の推移などすべて一度、数値化します。自分のレシピの特徴は、仕上がりの重量を書くこと。たとえばカレーも「とろっとするまで煮詰める」といった曖昧な表現ではなくて、仕上がりの重量をグラム数で必ず書きます。そうすれば水分をどれだけ蒸発させればいいかなど、店で働くスタッフにも伝えやすい。僕は当然だと思っていたけれど、他の人に言ったら驚かれました。

お店の中央カウンターには様々なスパイスがずらり!

エリックサウスマサラダイナー神宮前
東京都渋谷区神宮前6-19-17 GEMS神宮前5F 
TEL:03-5962-7888 
営業時間:
月~土(11:30~15:00/17:30~23:00)
日・祝(11:30~22:00)
定休日:なし

食が異常に好きな自分をフードサイコパスと呼称

 今まで、様々な業態の店を出してきましたが、そのすべてに一貫するのは家庭料理ベースだということです。現地の伝統的な料理を再現しよう、と。たとえば「エリックサウス」の看板メニュー「エリックチキンカレー」も、インド現地の基本的なレシピを踏襲しています。ただ僕の場合は、カレーの基本スパイスであるクミンはやや控え目なんです。クミンは使いやすいからつい頼りがちですが、個性が強すぎる。それよりは爽やかな芳香のカルダモンやブラックペッパーで調和の取れた味わいを目指します。

 これまでは伝統を大切にしてきましたが、最近は少しずつミクスチャー料理もやり始めています。「エリックサウス」の夜のコースはその典型で、南インド料理の基本的な食材にとらわれず、自分のなかではもう遠慮せずに振り切っている。たとえば秋なら、トリュフを使ったりもします。お陰さまでこのコースはすごく評判がいいんです。そういった季節ごとに変わるコース料理は、いろんな瞬間にぱぱっと「これをやりたい」とアイデアが浮かんできます。それをメモしておいて、次の季節のコースが始まる2週間くらい前に形にしていく。

 まず核となる前菜、メイン、デザートを先に固めて、コースとしてきれいな流れになるようその間に入れるメニューを考えていきます。何も浮かばないときは、好きな店に行って、着想を得ることが多いですね。僕は今名古屋に住んでいるので、近くの尖ったイタリアンやフレンチ、逆にオーセンティックなインド料理で、原点に返る大切さに気づくこともあります。サイゼリヤなどのチェーン店でもビシバシとインスピレーションを得られますし、コンビニの棚を見ていても楽しい。

 僕は「フードサイコパス」という呼称を、自分や一部の人たちに対して使っているんです。世のなかには食べることが好きな人と、食べることが異常に好きな人がいると思っていて、この二者はメンタリティが全然違うし、明確に区分けできる。現在は一億総グルメ時代なので、食好きのフリをしている人たちがたくさんいます。でもグルメとは、たとえば池波正太郎さんとか、山本益博さんといった人を指すのであって、彼らのことではない。そして僕も、自分をグルメではないと思っている。インド料理界隈には、僕と同じように食に異常に執着する人が多くて、じゃあそういう人たちに何か名前を与えたいなと考えて、「フードサイコパス」と名づけたんです。

 今はとりあえず一日中食べ物のことを考えても誰にも怒られないのが本当に嬉しいし、楽しい。現場で真っ先にアイデアを出して、それを形にするプレイヤーとしての位置だけは、絶対に譲りたくない。そんな自分のことを改めて考えると、子供の頃に一日中粘土をこねていたのと基本まったく変わらないんですね。きっと何でもいいからものが作れればよかった、それが自分の場合は料理だったということなのだと思います。かつては自分で抱え込んでいた業務も以前より人に任せられるようになったので、最近はますます純度高く、料理のことだけを考えています。自分の創作意欲や興味をフルに生かせる環境にあるので、ただひたすらこれが続いて欲しいと、そう願っています。

(構成/鳥海美奈子 撮影/田中麻以)

稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)
鹿児島県生まれ。関東・東海圏を中心に和食店、ビストロ、インド料理など幅広いジャンルの飲食店25店舗(ベトナムにも出店)を経営する円相フードサービス・専務取締役。イナダシュンスケ名義でグルメニュースを執筆。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』がある。

 

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Q&A


1. 理系? 文系?
完全に理系です。大学で経済学部に行ったのも、数学が得意だと入りやすかったから。料理も技術者的な感じで捉えています。

2. 好きなお酒は?
豊かで芳醇な香りの上面発酵のビールが好き。上面発酵であれば、もうなんでもいい。隙さえあれば飲んでいます。打ち合わせまで2時間空いていればアルコールが抜けるからいいんじゃないか、という独自ルールがあり、それは守りつつ楽しんでいます。

3. ストレス解消法は?
好きなことをやっているから、ストレスはたまりません。ただ「エリックサウス」で新しい夜のコースを始める前日だけ「大丈夫か」と心配になります。でも翌日にはけろっとして、「これでよかったんじゃん、やっぱりオレ、天才」と(笑)。

4. 仕事の必需品は?
スマホとタブレット。思いついたことはどんな細かいことでもメモする。かつてはノートでしたが、すぐ失くすので。寝ぼけたある日のメモは「紐 燃やす 縛る」でした。何のメモだろう、と。料理のメモであることは間違いないんだけど(笑)。謎です。

5. 小さい時の夢は?
「ロボットを作りたい」、そして「カレーとサラダの店をやりたい」。子供ってカレー好きだから。でも、それがいま実現しています。

6. 普段はどんな料理を食べますか?
東京にひと月のうち10日いて、その間は外食です。名古屋では夜遅いので、帰って一人前の料理を作ります。でもコロナ禍では家にいる時間が多くて、家族に食事を作る主夫もしました。そういう家での料理から生み出されるレシピもあります。

7. 最後の晩餐で食べたいものは?
鰹と昆布できちんと取った一番出汁。世界のスープのなかでも最上のものが日本の出汁だと思っているので。原点というか、様々な料理をやって、結局出汁が美味い、というところに行き着くんじゃないかと。最後は歯も抜けて噛むこともできないでしょうしね。


〈「STORY BOX」2020年11月号掲載〉

根川幸男『移民がつくった街 サンパウロ東洋街―地球の反対側の日本近代』/多民族国家ブラジルの、民族的な一翼をになおうとした日本人たち
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