中上健次『大洪水』に寄せて、長女・紀氏の手記「夏芙蓉の変貌」
中上作品の中でも最もエンターテイメント性の高い作品『大洪水』。1990年から「SPA!」に連載され、未完のまま絶筆しました。今回、中上健次の長女である・中上紀氏が『大洪水』に寄せた、手記「夏芙蓉の変貌」を、全文公開いたします。
留学中、ハワイの家にて、父とのツーショット
夏芙蓉の変貌
中上健次の遺作とも呼べる『大洪水』が、P+D BOOKSより、紙の書籍版と、電子書籍版にて発売された。一冊の本として世の中に出るのは、文字通りこれが初である。雑誌「SPA!」にて連載開始したのは1990年だが、1年8カ月後、末期癌で入院したため連載中断を余儀なくされた。半年後、中上健次はあの世へと旅立ち、『大洪水』は同時期に他誌で連載されていた『熱風』『鰐の聖域』『異族』と共に未完作品として残ることになった。それらはすべて、1995年より刊行された『中上健次全集』に収められているが、20年が経過した今、町の書店では入手し難い状況だ。
重厚なハードカバーでも、小さな文庫本でもなく、軽いのに字が大きくしかも誰にでも手に取りやすい金額のペーパーバックになった『大洪水』を、あの世にいる中上はどう思うだろうか? もっとも、中上健次は、この作品が一つにまとまった形を見たことはない。連載中に絶筆してしまったのだから。いや、そもそも中上は、自分が書いた小説をじっくり読み返すことがあったのかどうか。デビュー当時から晩年までを通じて、血を吐くように、原稿用紙代わりに使っていた集計用紙の上に言葉を紡ぎ出し、そうしてやっと息をするような書き方しか、父はしてこなかった。書くことが生きることだと、その肉体で示してきた作家だった。そんな父が、すでに活字になった自分の小説をちまちまと読み直している様子は想像しがたい。
ましてや、本作の連載時期は、中上健次が最多忙を極めた時期でもあった。熊野大学を設立し、毎月東京からゲストを新宮に呼んでセミナーを開催していた。韓国へ行った。近畿大学の客員教授になった。サンフランシスコで国際文学会議に参加した。奇しくも中上健次の誕生日に勃発した湾岸戦争への日本の関与に対する反対声明を他の作家と共に出したのは1991年2月。公的、私的に、サイパン、パリ、ハワイ、ニューヨーク、トンガ、ギリシャ、ハイデルベルク等に出かけた。その間、新聞、雑誌など数々の媒体への執筆、連載があった。結果、自身を健康悪化、癌の発病に追い込んでいくことになるのだが、そうしない生き方、何かをセーブする生き方を選択するのは、きっと中上の“ガラ”ではなかったのだろう。返り血のごとく溢れる言葉を一粒もこぼさないように注ぎ込む、中上の小説の書き方にもそれは似ている。
もっとも、入り組んだ血縁を濃密に描いた『岬』や初期から中期にかけての作品群から、路地を出てアジアや南米へと舞台の広がりを見せた『大洪水』『熱風』『異族』などの後期作品への、作風の変化はよく指摘されている。本作でも、例えば、たった一行で舞台が一万キロも飛んだり、たった一言で養護院あがりの青年が御曹司になったりと、想像しがたい出来事が次から次へと迫る。シンガポールという舞台は、当時の日本の東南アジア進出をにおわせるし、その次の舞台の香港は、アジア経済の中心で、当時は返還まで数年が迫る時期だったはずだ。また、舞台の移動や展開の速さは、バブル崩壊や湾岸戦争などで激しく揺れ動いていた社会と呼応するようでもある。故に、中上作品の中ではかなり高いエンターテイメント性を有した小説となっている。
父親を銃殺し、少年院、養護院に入った過去を有し、類まれな肉体と頭脳を持ち、自らを取り囲む出来事に瞬時に反応し、何にでも自分を変え、どこへでも飛んでいく、鉄男という主人公も不思議である。
フジナミの市にある女のマンションの部屋を出発した鉄男は、シンガポール、香港へと飛んだ。その間、あまたの性を渡り歩いた。否、あまたの自分を渡り歩いた。フジナミの市で、彼は美容師のセキグチ・マリが殺したと嘯く夫セキグチ・ジュンになり替わった。シンガポールでは、同行したマリの精神病院入院時からの友人である“肥った女”水島エリの親戚になり替わり、富豪の御曹司の水島ジュンになる。さらには、様々な出会いと経緯から、リー・クァン・ユーに繋がる名門のリー・ジー・ウォンという名前を得て、やがて数奇な物語に絡みつかれミスター・ヤンの弟となり、裏社会を牛耳るミスター・パオを演じるために香港へ飛ぶ。
名前は、鉄男が望んで名乗ったものではない。すべて、誰かに与えられたものだった。鉄男は乾いた大地に落ちた<夏芙蓉>の種のようにそれらを受け入れ、栄養としながら大きくなり、美しくも艶やかな変化を繰り返していく。もしかしたら、鉄男は、中上が書き続けた“路地”そのものではないかとさえ、思う。なぜなら、解体され、更地になった路地を後にした“秋幸”がどこへ行ったのかは、誰も知らないが、鉄男は突然、<アキユキ>という名を口にする。自分が殺した父親がいつか末裔だとうたった<ジンギスカン>を思い起こさせる記憶の男として。
物語がいつか路地へと帰還するのかどうかは、もはやこの世にいない作者にしかわからない。ただ、娘として読めば、おそらく鉄男はまだまだ変化し、旅を続けたのではないかと思う。他ならない父自身が、三日と同じ枕で寝ないような生活をしていた。小説の主人公は、作家自身のかけらを多かれ少なかれ肉体のどこかに抱え持つものだとしたら、鉄男からも、“秋幸”とは別の形で、その感触を受け取ることが出来ないか。たとえ向かう先が破滅でも、突き進まずにはいられないという性(さが)。そういえば“秋幸”と、『大洪水』の鉄男は同年代なのだとしみじみと思った。
中上 紀(なかがみ のり)
1971年、東京生まれ。作家。ハワイ大学芸術学部美術科卒業。作家・中上健次の 高校、大学時代を含めた十年間米国で暮らし、外からアジアや日本を見つめた経験が、創作の原点となる。 主な著書に、『イラワジの赤い花』『彼女のプレンカ』『パラダイス』『悪霊』『夢の船旅 父中上健次と熊野』『いつか物語になるまで』『アジア熱』『水の宴』『シャーマンが歌う夜』『蒼の風景』『月花の旅人』『海の宮』など。最新刊は『熊野物語』(2009年7月刊行)。 99年 『彼女のプレンカ』ですばる文学賞受賞。 06年 和歌山県文化奨励賞受賞。 09年 『熊野物語』(平凡社)が織田作之助賞最終候補。 11年 「電話」(『新潮』2010年11月号掲載)が川端康成賞最終候補。 小説を中心に、エッセイや紀行など幅広く執筆しながら、黒潮で結ばれたアジアと熊野との関連、両者に息づく信仰や風土、歴史に深い関心を持ち、頻繁に足を運ぶ。 『婦人之友』に小説「時空案内人」を連載中。 「熊野大学」にて夏期セミナーのコーディネーターを務める。 武蔵野大学日本文学文化学科非常勤講師。 日本大学文理学部非常勤講師。
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ブログ:「中上紀の旅物語」/Facebook/Twitter
編集部より
中上健次の遺作の一つで、今回初めて単行本化された『大洪水』は上下巻建てで、P+DBOOKSより絶賛発売中です。
『大洪水』あらすじ
「路地」解体時期に父親(浜村瀧造の朋輩・ヨシ兄)殺しを行い、「路地」から逃れた鉄男が、やはり夫セキグチジュンを殺した女セキグチマリと出会う。女は鉄男に衣装を着せ、ジュンという名を着せ、ジュンという物語を押しつける……。やがて、鉄男はシンガポールへ高飛びし、リー・ジー・ウォンの変名で、青年政治家ミスター・ヤンに出会い、その弟と目される。やがて、ミスター・ヤンの母ミセス・ヤンの手引きで、香港社会を操る黒幕・ミスターパオに出会う。彼は英語を流暢に使いこなすプレーボーイで、シンガポール、香港と渡り歩き、中上作品にこれまでなかったキャラクターに変態を遂げていた……。
中上作品の中でも最もエンターテイメント性の高い作品。「SPA!」に連載され、未完のまま絶筆した。
(『大洪水』上巻)
(『大洪水』下巻)
初出:P+D MAGAZINE(2016/02/12)