『戦場中毒 撮りに行かずにいられない』

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数々の戦場を撮ってきた

報道カメラマンによる

壮絶ノンフィクション

『戦場中毒 撮りに行かずにいられない』

戦場中毒

文藝春秋 1500円+税

装丁/石崎健太郎

横田 徹

※著者_横田徹

●よこた・とおる 1971年茨城県生まれ。専門学校卒業後、米西海岸で1年生活。帰国後も古着輸入業など職を転々とし、97年カンボジア内戦を初取材。07~14年のアフガン取材、13年のラッカ潜入等で知られ、テレビ出演も多数。10年中曽根康弘賞奨励賞。「実は先月結婚できたのも本書のおかげで、彼女の両親に必ずいい本にしますって宣言しちゃったんです。金も保証もない戦場カメラマンには結婚の挨拶に行く方が怖かった(笑い)」。170㌢、65㌔、A型。

 

死ななかったのは運がよかっただけ

それでも僕は仕事だから戦場に行く

今の時代、物を書いたり撮ったりして食べていくのは傍で見るほど楽ではない。

 まして命さえ危険に曝す横田徹氏(44)の場合、なぜ戦場を撮りに行かずにいられないのか、答えが出ないからこそ、本書『戦場中毒』は書かれたのだろう。

 欧米側の正義がかえって混沌をもたらし、いかなる解釈も拒む戦場を、横田氏は〈麻薬〉と呼ぶ。例えばタリバン側・米軍側・国軍側と、立場を超えた従軍取材で10回以上訪れたアフガニスタンである。

〈ジャーナリストにとって、アフガンは麻薬だ。その名を聞いただけで拒否反応を起こすか、たった一度の経験が心身をみ、気がつけば中毒者になっているか〉〈この国には、一度足を踏み入れた者を虜にする不思議な力がある〉

 別に死にたいわけではない。むしろ十全に生きたいからこそ戦地をめざす彼の衝動に、そもそも理屈など必要ないのかもしれないが。

〈間違っても報道カメラマンになろうなんて考えるなよ〉と、元報道カメラマンの実父は息子に釘を刺した。幼い頃、両親が離婚。24歳の時、突然連絡をよこした父をバンコクに訪ね、そこで譲られた1台のカメラが、横田氏の人生を一変させる。

「それまで何をしても続かなかった僕には、そこで見る全てが衝撃だったんですね。元射撃選手で胡散臭い風貌の父は〈好きなの、やるよ〉と言って銃を渡し、連れて行かれたのが軍の射撃場。夜の街でもやけに顔がきくし、良くも悪くも自由でヤバい人でした(笑い)。

そして僕が銃より夢中になったのが父の一眼レフで、父は危険というより食っていくのが大変だから、戦場はやめとけと言ったんだと思う。今になって息子を呼びつけた父には反発もあったけど、悔しいことに父の話が面白いんですよ。何より当時のバンコクのカオス的な空気が忘れられなくて、自分もこんな世界で生きてみたいと思ってしまった」

本書には以来、世界中の戦場を飛び回る氏の半生が、各時代の現地情勢と併せて綴られる。97年に素人同然で乗り込んだカンボジアを始め、9・11を挟んだアフガニスタン、コソボ、ソマリア等々、資金が許す限りどこへでも出かけた。

が、危険と隣り合わせの毎日にさすがに疲れ、03年にイラクから帰国後は愛知万博を撮るなど、経済的にも安定したが、何かが違う。そしてフランス外人部隊の取材中に機材一式を盗まれて困窮した横田氏は07年、再びアフガン入り。その久々の感覚をこう書いている。〈最高に幸せだった〉と。

「僕は命知らずどころか、臆病なくらいなんですけどね。それでも、そうか、これが戦争なのかと、圧倒的な破壊力や生みだされる富の大きさを目の当たりにする感覚は、他に表現のしようがない。日本では学校や家族に聞く戦争=太平洋戦争のことですが、僕が現場で見た戦争は全く違っていた。特に冷戦終結後は民族紛争や宗教戦争が泥沼と化し、子供や身障者を使った自爆テロも増えている。米軍によるタリバン掃討後、アフガニスタンの治安が安定したかというと必ずしもそうではないし、この先も彼らはその土地で生きていくわけですから」

死ぬことと殺され

ることは全然違う  

日本の海運会社が海賊対策として民間企業から武装警備員を雇っていたり、国内のテロ壊滅に成功したスリランカに優秀な警備会社が多かったり。横田氏の行く先々、初めて聞く話の連続だが、注目は14年3月、彼とイスラム法学者・中田考氏がISの前身ISISの幹部取材に成功し、トルコに戻る際の銃撃戦だろう。ちなみに襲われたのは拠点に入る時ではなく、出る時。後に横田氏は「イスラム国に拘束経験のある人物」などと誤報されるが、ISIS側の手引きでシリアに入り、歓待すらされたのだ。

「よく皆さん驚かれるんですけど、ラッカでは中田氏共々客人扱いされ、各国から集まった兵士たちと車座で食事もした。危なかったのはむしろトルコに戻る時で、自警団に銃撃されるわ、住民からボコボコにされるわ、完全に悪人扱いです」

と頭を掻く横田氏が、国境の鉄条網を潜り抜け、銃弾の中をジグザグに駆け抜けるシーンはまさに映画さながら。だが、この時の中田氏の行動と強心臓だけは、映画にも描けまい。

「あの時、中田さんと別れて逃げるしかなかった僕は、彼が戻らないことで自分を責めた。もう死んだんなら諦めもつく。でも捕まったり撃たれた場合は何としても助けなきゃならないし、痛む身体で辺りを探したら、中田さんが村人に引きずられてきた。中田さんはなんと麦畑に寝転んでツイッターで『今、大変なんだって生中継してた』って(笑い)。あれにはもう、怒る以前に腰が抜けました」

裏を返せば、敵も味方も状況次第。ISにもタリバンにも米軍にも気のいい人間はおり、その善人が状況次第では豹変する現場を、彼は数々見てきたと言える。

「むしろ本当の悪党なんて少ないと思いますけどね。僕がタリバンと米軍に従軍取材したのも両方の言い分を聞かないとフェアじゃないからで、向こうも国籍や立場より、『お前いいヤツだな。乗れよ』とかね。日本人ってことで珍しがられはしても、損したことは一度もないし、その状況が山の天気みたいに一瞬で変わるから、侮れないんです」

慎重で自称・臆病な彼が〈最後は運〉と書くだけに戦地の過酷さはいや増す。

「死ななかったのはホント、運だけですよ。沢田教一もキャパも一ノ瀬泰造も早死にですし、生き残った人が運のいい人なんだと思う。

実は僕が沢田教一に憧れたのも34という享年が大きくて、昔は40になって生きてる自分なんて想像できなかった。でも今は違います。本書でも湯川遥菜氏と後藤健二氏がISに誘拐された時の話に少し触れましたが、家族や友人に迷惑はかけたくないし、死ぬことと殺されることは全然違う。それでも僕は仕事だから、戦場を撮りに行くんです」

では戦争そのものがなくなった時はどうするのか?

「いや。僕に仕事があろうがなかろうが、戦争は絶対なくならない。これだけは残念ながら断言できます」

反戦も人道主義も殊更に謳わず、死体を初めて見た感覚すら、〈不思議なことに、私はなにも感じなかった。恐怖や悲しみ、怒りといった感情が湧いてこなかった〉と、事実そのままに横田氏は書く。今も地球のどこかで続く戦争の実相を伝えることが彼の仕事だからだ。

□●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2015年12・11号より)

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/02/12)

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