早見和真著『小説王』は激熱エンタテインメント!著者にインタビュー!
文芸が冬の時代と言われる中に放つ、熱いエンタテインメント。「第2のデビュー作」とも言える熱の込められた作品創作の背景を、著者にインタビューしました!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
小説の役割は終わったのか?
注目の作家による
激熱エンタテインメント
『小説王』
小学館 1600円+税
装丁/山田満明
装画/Ⓒ土田正紀『編集王』(小学館)
早見和真
●はやみ・かずまさ 1977年横浜生まれ。桐蔭学園高校野球部時代は高橋由伸現巨人監督の2年後輩で、ポジションはサード。大学時代からライターとして活躍し、08年に名門野球部の補欠選手らの青春を描いた『ひゃくはち』でデビュー。漫画化や映画化もされ、ベストセラーに。15年『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞。著書は他に『スリーピング・ブッダ』『砂上のファンファーレ』(文庫『ぼくたちの家族』に改題)等。184㌢、74㌔、A型。
出版不況の中、物語に救われる人間まで
いなくなったかというと絶対そうじゃない
もしやこれは半私小説? そう勘繰りたくなるほど、0から1を生み出す作家と、生み出させる編集者の葛藤や本音が真に迫る、文芸界を舞台にした熱き物語だ。
「正直、小説家の小説なんて、書きたくなかったんです(苦笑)。元々業界小説には興味がなかったし、僕ごときが作家の普遍を書くなんて、おこがましくて。
その分、自分に書けることは書き切ったというか、『そもそも小説は誰のものか?』という原点に立ち返る作業になりました」
早見和真著『小説王』。
神楽社の文芸担当〈小柳俊太郎〉と、最近は鳴かず飛ばずの作家〈吉田豊隆〉は、共に33歳。かつて学級新聞委員を共に務めた元幼馴染みでもある。出版不況と言われて久しい昨今、彼らは「よき時代」を知る上司や先輩作家との間に世代の溝を抱え、それでも〈物語に救われてきた〉者同士、思いは変わらなかった。
言われてみれば、出版業界に限らず「昔はよかった」と「もうそんな時代じゃない」のせめぎあいを私たちは延々繰り返してきた気もする。その中で切り捨てるものと、時代を超えて残すべきものの取捨ほど難しいものもないが、そこに現実や生活が絡んでくるから、尚更厄介だ。しかし、そもそも現実って、生活って、さらに言うなら小説や物語って、いったい何―?
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さて著者の生活はといえば、松山道後温泉の程近くに先々月転居したばかり。以前は「自分を追い込むために」伊豆河津の元旅館を借りて住み、『イノセント・デイズ』や『95』といった代表作もそこで生まれた。
「河津での7年間は寝食も忘れて作品にのめり込み、痩せ細る日々でした。ただそんな書き方じゃ、いずれ限界が来るし、娘が小学校に入るタイミングで新天地に選んだのが文学と野球の町・松山。僕はデビューしてから8年経つんですが、今は少しは人間らしい生活をして、楽しく書くことを自分に課しています」
本作の吉田豊隆の場合は、13年前に小説ブルー新人賞受賞作『空白のメソッド』でデビュー。映画化もされ、主演女優〈大賀綾乃〉との密会を撮られるなど華やかな時代もあったが、今はファミレスのバイトでどうにか食い繋ぐ毎日だ。
小学校の級友、俊太郎と再会したのは受賞作の刊行直後。彼はどこで調べたのか突然連絡を寄越し、会うなりこう核心を突いた。
〈俺は主人公と父親が向き合う場面に一番ヒリヒリしたんだ。お前の本当に書かなきゃいけない話はそっちだったんじゃないのか?〉
俊太郎も学生時代は作家を志し、そんな中、今の妻が妊娠。大学を中退し、妻と息子を養う生活に特に不満はなかったが、豊隆との再会を機に編集者を目指すことを決意する。大学に再入学して神楽社に就職し、『小説ゴッド』に配属されたのは30の時。豊隆といつか仕事をしようという約束が彼の人生を変えたのだ。
ちなみに横暴で侮れないゴッドの編集長〈榊田〉が、入社志望の男子学生に覇気がないと嘆く俊太郎に独自の分析を語る場面がある。〈金の匂いがしてねぇんだろうなぁ〉〈俺たちの時代ってまだ出版界にうなるような金の匂いがしてた〉〈その匂いに釣られた山師みたいなヤツもわんさかいた〉
「つまり今は金の匂いがしないから人が集まらない、書き手も作り手も先細りだとただ嘆いている現状を、何とか変えようとする話を僕は書きたかったんです。作家がどう本を売るかを考え、売れる本しか売られなくなる中で、物語に救われる人間までいなくなったかというと絶対そうじゃない。僕は映画や漫画も好きですが、中でも劇的に世界を変えてくれたのが小説で、作家になってからは『この本を読んで自殺するのを思い留まりました』という感想が一番嬉しかった。ただ逆もあり得る以上、生まれるべき物語が生まれないのは悲劇だし、半端な小説は書けないなっていつも思うんです」
僕にとって本書は
第2のデビュー作
やがて豊隆の“書くべき物語”は、榊田とは腐れ縁の大物作家〈内山光紀〉と、豊隆と同い年の天才作家〈野々宮博〉との三者競作で連載が決まる。テーマはずばり〈父親殺し〉。自分に『三四郎』のモデルとなった文学者の名を授けた国語教師の父が女と逃げ、『カラマーゾフの兄弟』に救われた過去を持つ豊隆は確執と向き合うことを決意し、内山らも各々の作品に全霊を傾けた。が、会社は赤字続きの文芸誌の休刊を決め、豊隆の新作は宙に浮いてしまうのである。
例えば銀座で豪遊したり、文壇に君臨することに作家の本分はないだろう。だからこそ若い作家とフェアに闘う50代の内山は俊太郎にこう言うのだ。〈物語が必要とされる時代はきっと戻ってくる〉〈つまり、いまある物語が通用しなくなる時代ってことだ〉〈いろんな業界の、お前ら世代のいろんな連中が、来たるべき“その後”のためにたぶん準備を始めてるぞ〉〈俺たちは見ることのできなかった光景だ。うらやましいよ〉
「今の時代、物語が存在する場は紙媒体に限らない。ただ関わる人間が多い点でやはり紙に勝るものはないと思うんですね。編集者や書店員や、いろんな人間の〈覚悟〉や熱が生むうねり自体が大きな物語とも言えて、〈当事者〉が多いほど、その物語は幸福なんです」
また、〈死にゆく存在でしかないと知っている人類は、本来は精神を病んでしかるべき生き物であるということ。そこに“生きる意味”を強引に持ち込んだのが物語だったということ〉と、豊隆が後に妻となる女性に語る物語観は著者の思いでもあろうが、彼女の妊娠を機に豊隆は思う。〈書くことのためにしか生きないと心に誓っても、家族を幸せにしたいという思いは拭えない〉〈そんなふうに思ってしまう作家の書くものは果たしてつまらないのか〉
「僕にもこんなふうに思いつめた時期があった。でも今は、家族を大事にしても面白い小説は書けると証明するしかないと思っているし、本書は僕にとって書くと生きるは矛盾しないと宣言する第2のデビュー作と言えるかもしれません」
時代はどうあれ、作家が作家を生き、物語が物語としてあり続ける人間本位、作品本位の本来的な世界は従来の早見作品にも通じ、原点回帰こそが新たな地平を拓くという新世代の確信が頼もしい。本書は小説を読み続けたいと願う全ての当事者のための小説でもあるのだ。
□●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト2016年6.3号より)
初出:P+D MAGAZINE(2016/06/16)