『陸王』池井戸潤・著者インタビュー

大人気作家最新作の創作の背景を、著者・池井戸潤にインタビュー!足袋作り百年の老舗が一世一代の大勝負に挑む!チームワークや、ものづくりへの情熱、勝利を信じる心…最後まで勝負に拘り、未来に立ち向かっていく姿には感銘を受けずにはいられない!

大人気作家最新作!足袋作り百年の老舗が一世一代の大勝負に挑む
『陸王』

陸王書影

集英社 1700円+税

装丁/岩瀬聡

池井戸 潤

●いけいど・じゅん 1963年岐阜県生まれ。98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年『下町ロケット』で直木賞。半沢直樹シリーズや花咲舞シリーズ、『空飛ぶタイヤ』『民王』『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』『ようこそ、わが家へ』等、映像化も多数。「今回は装丁も勝色の藍と勝虫のトンボを意匠に、本の身体性を意識しました。ぜひ手触りを楽しんでほしい」。172㌢、68㌔、A型。

誰も見向きもしない特許が常識を覆したり
物事はどう転がるかわからないから面白い

ある人には特に価値のないものが、別の誰かにとっては無二の価値を持つことが、世の中にはままある。
 池井戸潤氏の新作『陸王』でいえば、廃業した同業者から譲り受けたドイツ製の古いミシンや大事に取っておいた部品の数々だ。いつ役に立つかはわからない。しかし局面次第では他では替えの利かないネジもあり、何より人がそうだった……。
 舞台は足袋の一大産地・埼玉県行田市で創業百年を誇る〈こはぜ屋〉。足袋業界も今や年々ジリ貧の斜陽産業に甘んじ、体力と工夫のない者は次々に淘汰されていた。そんな中、社長の〈宮沢紘一〉は足袋の技術を生かした競走用シューズ〈陸王〉の開発を思い立ち、業界有数のシューフィッター〈村野〉や、故障に喘ぐ箱根駅伝の元英雄〈茂木裕人〉らを巻き込んでゆく。
 融資を渋る銀行、大手スポーツメーカー〈アトランティス〉の横槍等々、池井戸ファンおなじみの要素は今回も満載。最後まで勝負に拘る彼らの合言葉は〈勝利を、信じろ〉だ。

「ある時、出版社の人たちとゴルフの休憩中に雑談をしていたら、その中にランナーがいてね。最近は雪男の足跡みたいな5本指のシューズが地面を摑む感覚がして人気らしく、そういえば昔、足袋でオリンピックに出た選手がいたな(1912年ストックホルム大会・金栗四三)、だったら足袋屋がシューズを作っても面白いかもしれないと思ったのが、始まりです」
百貨店を経て家業を継いだ宮沢以下、従業員27名のこはぜ屋は、専務の〈富島〉や熟練工員の〈あけみさん〉、〈ミシンも古いが社員も古い〉。宮沢は工学部を出て就活中の長男〈大地〉に店は継がせないと公言し、埼玉中央銀行の〈坂本〉〈何かあるはず〉と熱心に新規事業参入を勧めても、その何かが思いつかない。
「暖簾を守ることと現状維持は違うし、意外と自分の強みって自分では気づけないものかもしれません。今回の坂本は珍しくイイ銀行員だとよく言われるけど、銀行内では恵まれず、後任の〈大橋〉は銀行の都合ばかり言うし、輸入品に押される中、宮沢ならどうするか、あくまで僕はキャラクターと対話しながら記録していっただけなんです」
〈足袋だけじゃ、いけませんか〉と富島が言う気持ちはわかる。だが〈裸足感覚〉を謳う5本指シューズに衝撃を受けた宮沢は、陸王の開発へと動き始める。

大企業と零細企業
論理は違って当然

横浜のスポーツ用品店主〈有村〉が作中でする話が面白い。粗末な履物で長時間、驚異的スピードで走るメキシコ辺境の〈タラウマラ族〉や、マラソン強豪国ケニアには、踵ではなく足の中心で着地するミッドフット走法の選手が多く、それが〈人間本来の走り方〉だという。
ミッドフット走法に適したシューズ開発の問題はソールである。宮沢らは試行錯誤の末、くず繭を利用した〈シルクレイ〉という素材に着目するが、開発者の〈飯山〉はこの〈死蔵特許〉の対価に5千万円を要求し、むろん払える金などない。
「シルクレイは僕の創作ですが、倒産して身包み 剥がされた社長が、誰も欲しがらない特許だけは持っていたというような例は実際にあるんです。
以前、『特許がエンタメになるとは思わなかった』と先輩作家に言われたけど、誰も見向きもしなかった特許が陸上競技界の常識を覆す可能性もあれば、陸王の素材に関して取材した技術が『下町ロケット2』の人工弁に繋がるなど、物事はどう転がるかわからない。だから面白いんです」
宮沢が陸王のソール開発を急ぐ一方、故障に苦しむ茂木につらくあたるアトランティス社の論理や、それに怒る村野の信念、茂木の孤独ゆえの疑心など、物語はグラウンドの内でも外でも一筋縄ではゆかない。
そんな中、あけみさんら女性陣の平易でいて核心を突く台詞がいい。〈失敗した人って、成功ばかりしてる人にはできない貴重な経験をしてるわけじゃない〉〈カッコいいじゃないか。茂木ちゃんも、『陸王』も〉……。
「見学に行った工場にいたんですよ、こういう責任感も気も強そうなオバチャンたちが。普通の言葉でズバッと心を 摑む彼女たちの不意打ち力は、書いていても面白かった。
僕自身、大まかに設定した登場人物がどんな人間か、手札を1枚1枚 捲る感覚があって、台詞も全部彼らが勝手に言ったこと。中には何の役に立つかわからない人もいるくらい脈絡なく散らばる手札の化学反応を、プロットよりキャラクター頼みで書く書き方は、『シャイロックの子供たち』以降、意識的に変えたものです。
たぶん実社会も同じで、誰が悪者とも言いきれなければ、大企業と零細企業の論理も違って当然。だから双方歩み寄れる勝利を宮沢は探ったんじゃないかな」
世の中には勝敗を超えた価値も確かにある。しかしその論法が孕む や欺瞞にも疲れた今、勝たなければ意味のないレースや賭けに勝つ新たな方法を、本作は模索する物語でもある。
「それは何度も言うように彼らが勝手にやったこと。半沢も下町も、みんなそうです」
失敗や挫折を必要以上に恐れる息子に〈勝手にゴールを作るな〉〈いつかは必ず勝つ〉と宮沢が言うように、何度でも立ち上がることを前提にした時、勝利の在り処は自由自在だ。その真理を宮沢は陸王の開発に学び、彼を取り巻く立場も考え方も違う人々と今後も様々なことに気づき合ってゆくのだろう。

●構成/橋本紀子

(週刊ポスト2016年8月12号より)

初出:P+D MAGAZINE(2016/08/07)

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