【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール
池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の18回目。トップダウンの大統領型首相で、行革(国鉄、専売公社、電電公社の民営化)を断行した、「中曽根康弘」について解説します。
第18回
第71~73代内閣総理大臣
中曽根康弘
1918年(大正7)~
Data 中曽根康弘
生 年 1918年(大正7)5月27日
総理任期 1982年(昭和57)11月27日~87年(昭和62)11月6日
通算日数 1806日
所属政党 自由民主党
出生地 群馬県高崎市末広町
出身校 東京帝国大学法学部政治学科
初当選 1947年(昭和22) 28歳
選挙区 衆議院群馬3区
歴任大臣 科学技術庁長官・運輸大臣・防衛庁長官・通産大臣・行政管理庁長官ほか
ニックネーム 青年将校・風見鶏・ヤス・大勲位
巧みな発信力とリーダーシップで長期政権を実現!
戦後政治の潮流であった「軽武装・経済優先」路線に異を唱えたのが中曽根康弘です。「戦後政治の総決算」と外交面での「国際国家日本」を掲げ、現状の打開をめざしました。強力なリーダーシップを発揮して、日米同盟の強化や、国鉄の分割・民営化ほかの行財政改革、防衛費のGNP比1%枠突破などの難題に、次々と挑んでいったのです。そのいっぽう、戦後初の靖国神社公式参拝では、中国・韓国からの抗議を受けました。また、少数派閥で党内基盤の弱さを補うため、田中派の議員を主要ポストに配した組閣を行ない、「田中曽根内閣」と批判されたこともありました。
中曽根康弘はどんな政治家か 池上流3つのポイント
1 戦後政治を改革した親米派
当時日本は世界第2位の経済大国でありながら、国際貢献では海外から不十分とみられていたため、外交と防衛とで改革に挑みました。就任後いち早く韓国を訪問して日韓関係を劇的に好転させ、鈴木善幸内閣時代にこじれた日米関係も修復。なかでもロナルド・レーガン米大統領とは、「ロン・ヤス」と呼びあう強力なパートナーシップを築いたのです。
2 トップダウンの政策展開
就任時の施政方針演説で「従来の基本的な制度や仕組みをタブーなく見直す」と述べた中曽根総理は、有識者の協力を仰いで諮問機関をつくります。その答申から迅速に政策を決定すると、トップダウンで次々と実行に移していきました。「御用学者を重用しすぎる」という批判もありましたが、多くの成果も上げ、総理の権限を最大限に拡大した「大統領型」の総理とよばれました。
3 政局を巧みにわたる
佐藤栄作内閣を厳しく批判してきた中曽根は、その佐藤の内閣改造の際に運輸大臣として入閣を果たし、ここから「風見鶏」というレッテルを貼られることとなります。田中角栄元総理のバックアップのもと政権を勝ちとったこともあって、発足時には「直角内閣」「田中曽根内閣」などと揶揄されましたが、少数派閥ながら巧みな政局運営が功を奏し、ついには5年におよぶ長期政権を打ちたてたのです。
中曽根康弘の名言
現在のように不透明な混乱の時代、国の内外ともに視界ゼロのような時代にあって、最高指導者には、「目測力」(問題を処理する手続き、方法の見当をつける力)、「結合力」(知恵と人材と良き資金を集め、これらを集中させる力)、「説得力」(政策を内外に浸透させる力)の三つが不可欠である。
― 中曽根康弘回顧録『政治と人生』より
したたかと
言われて久し
栗をむく
― 自作の俳句
中曽根康弘の揮毫
中曽根康弘筆「結縁 尊縁 随縁」
中曽根が座右の銘としている言葉。縁を結ぶことはとても尊いことであるから、ご縁のあった人を大切にし、結んだ縁の流れにしたがって生きていこう、という「三縁主義」を表わす。
写真/中曽根康弘事務所
中曽根康弘の人間力
◆総理の一念が物事を成就させる
一国の総理大臣になったからには、やろうと決心したことは火の玉のようになって必死にやる、というのが中曽根の信念だった。そのために、総理就任後の組閣にあたって、閣僚ひとりひとりをよびつけ、行革の実現のために総理の指示に従うことを強く約束させた。「総理大臣の一念は一種の“狂気”だ」と中曽根は述べている。
◆トップダウンの「指令政治」
中曽根は新しい仕事に着手するとき、自分の構想を担当大臣や党幹部に示して「よく研究しておくように」と指示し、しかるべき時期が来たら「あれをやろう」と命じる、トップダウンのスタイルで取り組んだ。自ら「指令政治(ディレクティブ・ポリティックス)」とよんだこの政治手法で、強力なリーダーシップを発揮した。
◆政権の命はスタートダッシュ
政権がどれだけのことをやれるかは、成立したときのスタートダッシュの勢いで決まる、と中曽根はかねてから考えていた。困難だが重要な2、3の問題を一気に片づけ、その実力を国民や野党に知らしめなければならない。そのために、まずは懸案だった外交に取り組み、韓国訪問、アメリカ訪問で目に見える成果を上げたのである。
(「池上彰と学ぶ日本の総理11」より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/11/10)