【著者インタビュー】山口ミルコ『似合わない服』

エース編集者として出版社で活躍し、退社直後に乳癌が発覚。仕事も毛髪も、何もかもを失いながらもがき、綴った手記の背景を著者にインタビュー。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

癌=バブルだったのか? 退社、闘病、そして克服――時代の中でもがいた著者の手記

『似合わない服』

似合わない服 書影
ミシマ社 1500円+税
装丁/名久井直子
装画/吉田戦車

山口ミルコ

著者_山口ミルコ
●やまぐち・みるこ 1965年生まれ。専修大学文学部英米文学科卒。在学中はビッグバンドでサックス&クラリネットを担当。角川書店を経て幻冬舎創業に参加、09年の退社直後、乳癌が発覚し、手術や抗癌剤治療と闘う日々を綴った『毛のない生活』が話題に。15年には帝政時代からロシア経済を支えた毛皮産業の今を追う『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』を上梓。「父は商社時代、ロシアと関わりが深く、ロシア語で世界・平和を意味するМИРからミルコと名付けてくれました」。160㌢、O型。

体に巣くった癌は、余生は前の人生と連続しない方が面白いとすら思わせてくれた

12年の初著書『毛のない生活』を始め、山口ミルコ氏の作品群は「失恋の物語」だと思う。幻冬舎のエース編集者として活躍し、退社直後に乳癌が発覚。仕事も毛髪も、何もかもを失った経験を通じて、彼女は自分を取り巻く世界そのものに、大失恋したのである。
しかしそれはある意味、正しい失恋、、、、、だった。最新刊『似合わない服』は、六本木に住み、高級外車で通勤したあの頃や、癌再発に怯え、〈犯人探し〉に明け暮れた5年間を振り返り、〈がんは「似合わない服」〉との視点を得るまでの〈グルグルを綴った手記〉。すると似合わないのは服や癌に限らず、仕事に追われて外食に頼る生活や、もっといえば日本の近代や資本主義の歪みに、彼女は報復されてもいた。
しかし失恋は相手を全身全霊で愛してこそ、実りの多い疵となる。彼女がどれほど仕事を愛し、全力で闘ってきたか、それだけは揺らぎようのない事実なのだ。

バブルの頃。ハイヒールを履けば目線が上がるように、仕事や人間関係も下駄を履いた分、いつかは自分や社会全体の右肩も上がると、みんなが信じていた。
「確かに。ただ私の場合は時代も上昇志向も関係なく、自分が見込んだ人や会社を信じて突っ走ってきただけなんですよ。その高い服や車が自分に似合うかどうかにも関心がなく、人目とは関係なしに限界まで頑張っちゃう性分、、なんだと思う」
今でこそ「自分が好きなものだけを大事に着るようになった」彼女だが、六本木時代はそうではなかった。朝起きると近所のマックへ行き、金髪にブランド物のピンクのジャージ姿で朝マックを注文。そのまま白のベンツで会社に乗りつけ、ほぼ毎晩を会食にあてたが、せっかくのご馳走を人知れず吐き出すことも。
「今思うと勿体ない話。でも、この人と食事する以上絶対仕事に繋げなくちゃとか、緊張で消化が追いつかないんです。当時は自分の嗅覚を形にすることに夢中で、見城社長を始め、凄い大人たちに囲まれてきた。その分、自分の信じる世界が崩壊した衝撃も大きくて。そういう思いこみの激しい自分自身に、それこそ私は失恋したんだと思います」
俗に癌は発病から5年が完治の目安とされる。その間千葉の実家に戻り、肉食や社交や消費をやめ、自分との対話に没頭した。
「これが悪かったんじゃないかとか、犯人探しをクタクタになるまでやり切って、ようやくです、自分に起きたことは社会のあちこちで起きている問題と地続きだと思えたのは。物事の進み方一つとっても、そんなに急ぐ必要があるのかとか、肉に限らず、私たちは物を食べ過ぎなんじゃないかとか、〈便利で速くて美味しいもの〉を、しかもたくさん求めさせるシステムも含めて、私には似合わない服、、、、、、に思えてきた。そのエラーとして出現する病のしくみは自然災害や民族紛争まで、あらゆる事象に発見できたし、そうかこの人、やっと過去と訣別できたんだって、癌を背負った自分を客観視できるようにまでなって。
そうなると体まで丈夫になった。43歳で早めの定年を迎えた私は、余生に関し、前の人生と連続しない方が面白いとすら思っています。普通は定年後も会社を引きずる人が大多数ですけど、やっぱり自分が変わらなくちゃって、私の体に巣食った癌の〈つぶつぶ〉がそう思わせてくれたんです」

魂のライブ感が凄まじいんです

第5章「つぶつぶたち」にこうある。〈がんの幹部は、権力者なのか〉〈ちがう〉〈ほんとうに力をもっていたのは、無数の小さなツブである〉〈私たちは一人一人がまんまるい一個の地球だ〉〈体のなかで起こっていることは世界で起こっている〉
そのツブツブこそが異変を報せてもくれた今、彼女は脱近代やアンチ資本主義といった既存の論理に頼ることなく、微力なツブとして考え続けることを選ぶ。
「何か強大なものにすがって病気になるのは、もうコリゴリ。だったら多少遠回りしても自分のことは自分でやり、いわゆる断捨離ともエコロジストとも違う自分なりの方法論を模索する、一人立ちならぬツブ立ち、、、、の話に結局は行き着いて。
そのためにも身体感覚を鍛える必要はあって、身の周りのことを丁寧にやるだけでも、その能力は上がる。三度三度の食事をきちんと用意し、いかに少ない水で食器を綺麗に洗うかとか、今はそういう小さなことを楽しんでやっています」
しかし世は80年代ブームとかで、バブル期の風俗が再び脚光を浴びてもいる。
「本当に好きならいいけど、流されるのは絶対ダメですよね。一人一人は賢明でも時流一つでバブルすら生みかねないのが歴史の教訓。その愚かさに気づき、身の丈に合う生活を大切にする人も増える中、何の根拠もない好況や不安を煽られるのは、二度と御免ですから。
確かに私はあの頃の自分をこうして書けるようにもなった。でもそれは〈ぜんぶイエスでぜんぶノー〉というか、否定も肯定も関係なく存在した時間だから。そう思えてからは魂のライブ感が凄まじいんですよ。仮に安心安全な日本という土台が失われてもこのツブソウルがあれば大丈夫、というくらい安心感がある。その内なる声に耳を傾ける限り、他のツブとも自由で緩やかに連携していけるんです」
かつて毎朝通ったマックもベンツを停めた駐車場も、〈前はあったが、いまはない〉。そんな似合わない服を着た時代の全てを彼女は慈しみ、一人一人が多様な生を営むツブ立ちのよい社会へと、新たな一歩を踏み出すのだ。

□●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2017年10.13/20号より)

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