【著者インタビュー】辻󠄀田真佐憲『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』
内務省が具体的な検閲事例を記した内部資料『出版警察報』等を元に、「検問」の業務の実態を丹念に検証した労作。検閲の歴史を開放したかったと語る、著者にインタビュー!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
絶対悪の代名詞「検閲」の世界はどこまでも面白く奥深かった!豊富な資料を丹念に検証した労作
『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』
光文社新書
880円+税 装丁/アラン・チャン
辻󠄀田真佐憲
●つじた・まさのり 1984年大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科中退。「デカルト以降、文系学問に理系の方法論を採用して揺るぎない真理を追究したものの、結局挫折したようです。歴史学も、どんなに真理を積み上げても新史料一つで崩れ、バージョンアップを繰り返すしかない無限の運動かなと思う」。12年より文筆専業。著書に『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』『たのしいプロパガンダ』等。165㌢、60㌔、AB型。
記録さえも残らない忖度や自主規制が現在や後世の読書に影響するのは怖い
〈検閲は絶対悪である〉と前書きにある。〈それが現在の常識となっている〉と。
が、戦前のトラウマから拒否反応を示す人々の多くは、いざ〈検閲とはなにか〉と問われると満足に答えられず、〈実態をよく知らずに、検閲を頭ごなしに否定してはいなかっただろうか〉と、辻󠄀田真佐憲氏(33)は書く。
本書『空気の検閲』では内務省が具体的な検閲事例を記した内部資料『出版警察報』等を元に、1928〜45年8月の業務の実態を具に検証。すると検閲とは〈公権力が新聞、雑誌、書籍、放送、音楽、映画などの表現内容を審査し、不適当と認めるものに発表禁止などの規制を加えること〉といった定義に収まらないほど〈面白いもの〉であり、〈恐ろしいもの〉や〈複雑なもの〉でもあった。
その3つの様相を網羅し、いわば〈趣味と政治と学問のベストミックス〉を標榜する著者は、検閲する側とされる側が空気を読み合い、〈忖度〉した当時の状況を「空気の検閲」と名付ける。
人が人を検閲する以上、それは良くも悪くも泥臭く、人間味溢れる、仕事だった。
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「それこそ当初は『昭和の検閲面白事例集』を作ろうとも思ったんですけどね。
特に昭和初期のエログロナンセンスの時代は、〈この、まん中のやつが硬くなってきたら『注意』〉とか、かなり笑える検閲基準がまかり通ってもいたので(笑い)」
ちなみに検閲には〈安寧秩序紊乱〉と〈風俗壊乱〉の2つの柱がある。前者は危険思想や不敬行為を政治的に、後者では公序良俗に反する表現を取り締まった。また内地の検閲は内務省警保局図書課が所管し、旧植民地では各総督府の警務局が実務を担ったが、図書課の職員数は27年末で24名。最大時で100名強と人手不足に喘ぎ、1日200種以上に目を通す〈閲覧地獄〉に、神経を病む者もいた。
「実はその解消策が空気の検閲。大量の本や新聞を一から調べるより、事前に相談や指導、脅しや宥めすかしといったコミュニケーションを図った。その方が、版元もいきなり発禁にされるより経済効率がよかった。
その結果、忖度が常態化し、戦時下の〈自主規制〉にも繋がっていくのですが、一見高圧的な検閲の現場が、実際は人間臭いやり取りを軸に回っていたこと自体、私にとっては発見でした」
しかもこの検閲官の顔ぶれが実にユニークなのだ。特に非正規の雇員は高学歴で文化芸術にも造詣が深く、評論家より詳しい者もいた。半面その自負が空回りもし、谷崎潤一郎の『検閲官』には、〈役人ではあるが芸術が分る〉と思われたい検閲官と、彼を懐柔する劇作家の攻防がコミカルに描かれる。
「むろんこれは谷崎の創作ですが、実際彼らは大作家の作品にも平気で手を入れた。大学は出たものの職がなく、屈託を抱えて役人になったりした人生遍歴も面白い。彼らは語学にも堪能で、中国の通俗小説を摘発した時の抄訳なんて、原文以上に淫靡で格調高い名文なんです(笑い)。そんな個性豊かな面々が、戦前の検閲を担っていたわけです」
面白く政治的で複雑なのが人間
その後日本は日中戦争に突入。特に軍部の介入後は映画等も〈海を見たら要塞地帯と思へ〉など制限事項が増え、〈日本兵の残虐行為〉も一切掲載不可。石川達三の小説『生きてゐる兵隊』には司法処分まで取られた。
「石原莞爾『世界最終戦論』のように何をどう書き換えたか、原文や記録があればまだいい。でも忖度や自主規制では記録も残らないし、現在や後世の読書にも影響するのが、一番怖いんです」
この頃、大手新聞社との間には直通電話が引かれ、日米開戦後は新聞社の統合にも発展するが、必ずしも現場の検閲官が〈国家全体の意志を代弁していたわけではなかった〉と氏は書く。
例えば毎日新聞の某記者が〈竹槍では間に合はぬ〉と海軍予算の増強を訴えた〈竹槍事件〉では、内務省が通したその記事を海軍は絶賛するが、陸軍は記者の〈懲罰召集〉に動き、彼と同郷同世代の250名までが召集された。また朝日が掲載した「戦時宰相論」に東条首相が激怒したとして官邸側が発禁を命じた際も、面目を潰された内務省では回収指示をわざと遅らせて一矢報い、介入の〈防波堤〉になることさえあった。
「現に戦中の弾圧事件には現代にも通じる〈セクショナリズム〉が絡んだ事例が多く、そこで誰が何をしたかを具体的に見ていく方が、教訓は多いはずなんです。
戦前批判も美化も、軍部=諸悪の根源などといった虚構頼み。私はどの党派にも属さずに戦前観のバージョンアップを図りたいんです。そうでないと既存の立場にスッと取り込まれてしまう。特に今は右なら右、左は左と政治的断裂が起き、検閲の話も、ある人はオタク的、ある人は政治的にしか見ようとしませんが、そもそも面白くて政治的で複雑なのが人間でしょう?
本書もその3つを包括し、従来にない戦前の豊饒さをイメージできるものにしたかった。実は近年、検閲研究は密かな人気分野で、最新の研究成果を反映させつつ、今日的かつ未来的な方向へも、私は検閲の歴史を開放したかったんです」
とかくイデオロギー的に語られがちな検閲の実像を、より未来的な〈思考実験〉に繋げるために本書は書かれた。すると確かにそれは「検閲ならぬ炎上対策」で自主規制を強いられる今と地続きにあった。単に忖度を流行語として消費する態度とも全く違う84年生まれの作家の肝の据わった面白がりぶりに、頼もしさや新しさを感じずにはいられない。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2018年5.4/11号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/08/20)