連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:田口久美子(書店員)

多くの書店員へのインタビューとご自身の体験をもとに書店業の喜怒哀楽を綴った『増補 書店不屈宣言』(ちくま文庫)などの著者として、さらに四十五年にもわたり現役の書店員として激動する時代と格闘を続けてきた田口久美子さん。本の力と書店の明日の姿について熱く語りあいました。

 


第二十五回
本と書店の底力。
ゲスト  田口久美子
(書店員)


Photograph:Hisaaki Mihara

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第25回メイン

田口久美子(左)、中島京子(右)

田口さんの人生は、大型書店の歴史そのもの

中島 この二十年で書店を取り巻く環境は、急激に変わりました。出版不況が叫ばれて久しい昨今、本に携わる者の一人として、田口さんにぜひお話を伺いたいと思っていました。田口さんは、四十五年間書店員を続け、今なお最前線で活躍されています。書店界で、田口さんを知らない人がいたらもぐりだと言ってもいいくらい(笑)。田口さんの書店員人生は、まさに現代の書店の歴史そのものです。
田口 ありがとうございます。そんなに褒められるような生き方はしていませんが、大好きな本と書店の未来のためにどんな妙薬が発見できるのか、今日は楽しみにして参りました。
中島 実は、少しだけ先輩だろうと思っていた田口さんが、私よりずっと年上の団塊世代だと知って、びっくりしました。
田口 はい。正真正銘一九四七年の生まれです(笑)。自営の方はともかく、企業経営の書店で私の年齢でなお現役書店員の方は、男性でももうほとんどいないんじゃないかな。
中島 そもそも、田口さんは、なぜ書店員になろうと思われたんですか。
田口 私の頃は、男女雇用機会均等法なんて影も形もなくて、大学を出てもコネのない女子の就職先といえば、公務員か学校の先生くらい。一般企業で女子に門戸を開いていたのが、小売業だったんです。私は、男子学生と一緒に就職試験を受けてキデイランドに入社しました。
中島 キデイランドは、おもちゃ屋さんのイメージが強いのですが、書店も運営しているんですね。
田口 最初は事務職だったのですが、私はそろばんができないので使い物にならず、すぐ書店に異動になったんです。それが一九七三年。当時東京駅の前にあった、小さな店舗が私の職場でした。チェーン展開する書店が出始めて、どんどん本が売れた時代です。上下巻で四百万部近いベストセラーとなる小松左京さんの『日本沈没』が発表され、翌年には文藝春秋で立花隆さんが『田中角栄研究』の連載をスタート。そのルポルタージュが、後に現役首相の逮捕へと繋がります。雑誌というメディアが社会的な力を持ち、発行部数もどんどん増えていきました。
中島 田口さんの本のタイトル(『書店繁盛記』)じゃないですが、まさに大繁盛!
田口 そうなの。とにかく毎日が楽しくてしかたなかった。でも、小さな本屋さんじゃ取り扱う本の数に限界がある。いろんな本を取り扱える、もっと大きい本屋さんへ行きたいと思うようになった。当時の私にはちゃんと上昇志向があったんですね(笑)。そして一九七六年に西武百貨店書籍部(のちのリブロ)に転職。そこから私の大型書店員としてのキャリアがスタートしました。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第25回文中画像1中島 田口さんのキャリアと重なるように、書店は大型化の時代になっていくんですね。
田口 一九七八年に八重洲ブックセンターが登場。紀伊國屋書店より大きくて、ここに来ればなんでもあるぞという、ものすごい勢いを感じました。ロードサイドにも中型のチェーン店ができ、コンビニでも雑誌を売り始めた。今に繋がるいろんな形の売り方を出版社が展開し始めたのも七〇年代後半だったんですね。そして、一九九七年に関西のジュンク堂書店が東京・池袋に進出する際に、再び転職して現在に至ります。

このままでは、考える人のいない国になっていく

中島 『書店不屈宣言』の中に、人文思想系の出版点数が減っているという話がありました。そこに田口さんの心情を吐露するように書かれていた「自分の国の言葉できちんと思考できない、表現できない日本人になっていいのだろうか?」という一文に大きく頷き、思わず線を引いちゃいました。
田口 しかも、文科省の助成金も人文、思想系には冷たい。このままでは、考える人のいない国になっていく。嘆かわしい問題です。
中島 教養なんて必要ない。お金を儲けるための実務的な勉強をすればいい。政府はそういう方針ですから。科学の分野でも基礎研究の予算が削減されていることが、将来大きな問題になってくると、ノーベル賞を受賞された大隅(良典)先生もおっしゃっていました。
田口 今、生きていくためには、最低限パソコンやネットのスキルが必要な時代になっているでしょう。子どもたちにデジタルの知識さえ教えておけば、その道のプロになって食べていけるんじゃないか。短絡的にそう考える親が増えてもおかしくない。
中島 世の中そんなに甘くはないですけれど……。
田口 これからデジタルネイティブな子どもたちが、どんどん増えていきます。でもまずアナログがあって、その上にデジタルがある。いきなりデジタルがあるわけじゃないということを分かってほしい。時代錯誤と言われようとも、子どもの頃からアナログをきちんと習得するためには、やっぱり本だろうと、私は思っています。
中島 まったく同感です。言葉に接する環境が限られているせいか、今、言葉がすごく痩せていっている。同時に考える力も痩せていっているように感じます。
田口 ネットに教えてもらった答えしか出てこない。だからみんな同じ答え。君たち、ほんとにそれでいいのかと、問いただしたくなっちゃう。
中島 確かにネットは便利。私も検索でよくお世話になっているけれど、「検索」と「思考」は別ものですから。田口さんの、自分の頭でちゃんと考えることができるようになるために、子どもの時からじっくり本を読む習慣をつけておくことが大切だ、という意見に大賛成です。
田口 どうやったら子どもたちに基本的なアナログの知識を与えられるか。本を作る人、運ぶ人、売る人、あらゆる立場の人が協力して考えないといけないと思います。
中島 最終的には「売れる」「売れない」の話になってくるのかもしれないけど、大部数は売れなくても世の中のために絶対必要な本はあります。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第25回文中画像2田口 出版社も作家さんも、みんな難しい場所に立っていると思うんです。八〇年代後半から九〇年代初めの最盛期には二万七千店ぐらいあった書店が、今では一万三千店ぐらい。出版物の売り上げもピークだった九六年が二兆七千億円ぐらい。今は一兆三千~四千億円。売り上げも半分になったけれど、書店数も半分になった。
中島 アメリカからネット書店が上陸したのが、確か二〇〇〇年頃でしょう。そこからネット書店が急成長を始め、書店界は大きな転機を迎えることになるんですね。
田口 日本の書店の利益率は、すごく低いんです。今までやってこられたことのほうが不思議なくらい。それは日本の本の価格が安いからなんです。海外のハードカバーなんて、何千円もするのが当たり前です。
中島 よくこれまで書店経営が成り立ってきましたね。
田口 なぜかというと、出版社が雑誌の売り上げで成り立っていたから。雑誌には広告があるでしょう。広告費の収入で十分に賄えていたんです。だから価格を安くおさえることができる。内容も充実していましたから、当然爆発的に売れます。雑誌やコミックを流通させるために、日本全国に流通網を張り巡らせました。そこに書籍も乗せていたんです。しかし、雑誌の発行部数がどんどん減少する。コミックも電子版のほうが紙の売り上げを上回る。すると、書籍のためだけに広大な流通網を維持することが難しくなるんです。
中島 出版の流通ルートが壊滅すると、もう本屋さんに本が届かなくなる。
田口 どんどん衰退を余儀なくされているなかで、私たちは本って本当に必要なんだろうかと自問し続けなければならないということなんです。つまり、お客さんが買ってくれなくなった。雑誌やコミックは、スマホやパソコンで電子版を読めばいい。そういう流れになってしまいます。あれっ。なんか、暗いところにどんどんはまり込んでいく(笑)。
中島 扉をあけた先に明るい未来が………あるはずなんだけどな。
田口 だからこそ、出版社や著者、書店など、みんなで力を合わせて啓蒙活動を続けていくしかないですよね。本の効用や必要性をどれだけ読者にアピールできるかにかかっている。中島さんたち作家さんも、読者に読んでもらうために書いている。出版社も、そのために本を作っている。そこには、本という形をとる必然性があるはずなんです。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第25回文中画像3中島 文学賞の報道も変わってきました。村上春樹さんがノーベル文学賞を受賞するかどうかを毎年大騒ぎしたり、直木賞や芥川賞もいつの間にかネット中継するようになりました。
田口 「ニコニコ」動画でやっていますね。
中島 私はネット中継に違和感もあったのですが、今日お話ししているうちに案外大切なことなのかなとも思うようになりました。
田口 又吉直樹さんの『火花』の影響も大きいと思いますが、最近の芥川賞、直木賞受賞作品はよく売れますね。あとは、本屋大賞ですね。ただ、本屋大賞の作品が売れるのは、「食べログ」の高評価のお店にお客さんが集まるのと同じ構造かもしれないですね。
中島 このごろ広告などで、「本読みのプロがお勧め」って書いてあるのがすごく気になります。本を読むのにプロとかアマチュアとかあるのだろうかって。すごく違和感を持ちます。本を読むのは、しごく個人的な体験じゃないですか。
田口 ほんと、そのとおり。私には面白かったけど、あなたには違うのが当たり前。だからいろんな本があるんです。
中島 ネットのレビュアーの中には三十分位で一冊読んで、すぐレビューを書いちゃう人もいるらしい。速読で、重要なワードだけパッと拾うことができる能力があるんでしょうね。熟読が基本とは言いませんが、読み方も人それぞれ。レビューを参考にするなら、読む側にもそれなりのリテラシーが必要になってきます。
田口 要するに情報のあり方が変わってきた。本を作る側、売る側が、旧態依然としていては、取り残されてしまいます。

子どもと本との接点を作りたい

中島 プロモーションはもちろん大切ですが、もっと本質的なところで読者をぎゅっと摑む方法はないのでしょうか?
田口 長い目で見れば、私は、子どもの読者をたくさん育てることだと思うんです。小さい頃に本が身近にあった子どもたちは、みんな本好きに育っています。例えば、大人たちがネット書店で本を買うのは仕方ない。でも、街の本屋さんがどんどんなくなって、お母さんが子どもたちを書店に連れていかなくなると、子どもたちにとって本との接点は、学校だけになる。図書室はあるけれど、利用率は悲しいくらい減っているそうです。すると日常的に接する本は、教科書だけになってしまう。そうやって育ってしまった子どもは、本が面白いものだということを知らないから、絶対に本は読まないですよ。だから、子どもが本を読む環境、子どもと本との接点をたくさん作りたいんです。
中島 確かに、実用的な情報は、ネットや電子書籍で充分間に合います。
田口 すでに地方の市町村の四分の一か五分の一には、書店が一軒もないんです。
中島 えっ。書店の過疎化がそんなに進んでいるんですか。
田口 自分の家の近くに本屋さんがある。自宅に本棚がある。そういった日常的に本と接する大切な機会が失われつつあるんです。
中島 そういえば、インテリア雑誌なんかを見ていて、ずいぶんすっきりしているなと感じるお部屋には、ほぼ本棚がありません。
田口 我が家なんて、本の山で足の踏み場がないですからね(笑)。
中島 あ、そうだ。東大に現役合格した子の家の本棚を拝見するような企画はどうでしょう。本棚が十台あって、こんな本が並んでいるよ、とか。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第25回文中画像4田口 東大に弱いからね、みんな。誰に書いてもらいましょうか?
中島 もちろん田口さんに書いてもらいたい(笑)。
田口 (笑)自宅の環境も大切ですが、子どもは書店に来て、本に囲まれて遊んでいるだけで賢くなりますよ。
中島 私、最近、絵本を主に扱っている書店でイベントをやったのですが、その書店には日常的に固定客であるお母さんたちが集まっているような印象でした。
田口 いい意味で、意識高い系の人たちなのかな。
中島 リアル書店がそういう人たちの交流の場や情報交換の場として機能している。それがどういう広がりをしているのかは、分からないのですが「場」の力を感じました。
田口 確かに。本との接点となる場のひとつが、リアル書店ですからね。“なんとか運動”ではないけれど、お母さんと子どもたちにとって、そういう場があるって大切なことなんですね。
中島 最近のお母さんは教育熱心だから、本を読むと頭が良くなると言われると、子どもには積極的に本を与えようとするでしょうね。
田口 大型書店では、毎週のように読み聞かせをやっているところもあります。でも、書店のお客さんだけじゃなく、地域住民がふらりと立ち寄れるような場所。たとえば児童館や公民館でもいいから、定期的に本と触れ合う場所ができるといいですね。出版社のエントランスのスペースを利用するのもいいかもしれない。
中島 それはいいアイデアですね。
田口 そこに作家さんたちが来て、お話をしたり、自著の朗読をしたりするんです。アナウンサーさんや落語家さんなど、朗読に参加してくださる方はいっぱいいると思うんですよ。
中島 絵本を読んであげてもいいですね。読み聞かせは、お子さんは本当に喜びますから。
田口 そういう草の根運動をコツコツ続けていくことから、本や書店の魅力を再発見する新しいムーブメントが生まれるかもしれませんね。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。

田口久美子(たぐち・くみこ)

1947年東京生まれ。ジュンク堂書店池袋店副店長。東京外国語大学ドイツ語学科卒業後、72年にキデイランドへ入社。東京駅八重洲口にあった30坪ほどの店舗に勤務していたが、76年に西武百貨店池袋店書籍部(85年リブロとして独立)入社。以後、船橋店、渋谷店、田無店、営業本部等を経て、池袋店に戻る。97年、ジュンク堂池袋店の開店に伴い転職。著書に『書店風雲録』『書店繁盛記』『増補 書店不屈宣言』『書店員のネコ日和』などがある。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/08/20)

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