【活字中毒、アルコール依存…】ソレなしではいられない、“中毒”小説セレクション
活字といったライトなものから、恋愛、ギャンブル、果てはアルコールまで……。それなしではいられないほど何かに夢中になる“中毒”は、時に私たちの人生を豊かにし、時に狂わせてしまいます。今回は、何かの“中毒”になる人物たちが登場する傑作小説を4篇ご紹介します。
ギャンブルやお酒、人……。皆さまには、これなしでは生きていられないというものが何かひとつでもあるでしょうか。
私たちは時に「〇〇中毒」という呼び方で自分のことを表現したりしますが、“中毒”、あるいは依存というもの(※)は、本質的には恐ろしく、病のひとつに分類されるものです。
そんな、何かをどうしてもやめられないという気持ちを鮮やかに描いた小説は、読者に“中毒”の根の深さを教えてくれるとともに、恐怖心や危機感をもって、「その一歩前で立ち止まる」勇気をくれます。
今回は、何かの“中毒”になる人物たちが登場する傑作小説を4篇ご紹介します。
(※……医学用語の上では、“依存”は何かの行為がやめられなくなった状態、“中毒”はその結果引き起こる症状を表す)
やめたいのに、どうしても他人を愛してしまう──『恋愛中毒』(山本文緒)
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【あらすじ】
水無月美雨は、夫・直樹と別れて以来「これから先の人生、他人を愛しすぎないように」と考えていた。しかし、ひょんなことから人気作家の創路功二郎に出会って恋に落ちてしまい、再び運命が狂い出す……。
女性読者からの強い支持を集め続ける直木賞作家・山本文緒。彼女の代表作『恋愛中毒』は、その名の通り、恋愛にのめり込み“中毒”のようになってしまう女性の生き様を描いた物語です。
主人公・水無月は、冷静で頼りになる大人の女性。しかし、恋愛のことになると自制心が効かなくなり、自ら泥沼にはまっていってしまう……という致命的な短所がありました。離婚を経験し、一度は恋愛から引退することを決めた水無月でしたが、地味な生活を送ろうと思って働いていた弁当屋に人気作家・創路功二郎が訪れたことがきっかけで、再び恋に落ちてしまいます。しかも、創路は何人もの愛人がいる、非常に女性にだらしない男でした。
水無月は、創路から誘われた不倫に応じてしまったときの気持ちを、こんな風に綴ります。
まさかと思ったけれど、やはり私はやられてしまった。
この期に及んでもまだ実感が湧かなかった。自分の身に起こったことが信じられなかった。
物語の序盤では、押しに弱いせいでつい恋愛事に巻き込まれてしまう……という印象の水無月。しかし、物語を読み進めていくと、実は水無月は計算高く、粘着質な一面も持っていることが分かります。前の夫との離婚理由も、実は水無月による、夫の浮気相手への執拗なストーカー行為が原因でした。
私がしたことは一から十まで犯罪なのだそうだ。逮捕された時に警察の人にそう言われた。とにかく思いつくかぎりのいやがらせをしたことは覚えている。
懲役一年、執行猶予三年というのが私の受けた罰だった。
反省したふりをして、心の奥底では悪いのは私だけだろうかと釈然としない思いでいっぱいだった。
水無月は当時のことを、そう述懐します。一度相手と寝てしまうと強い執着心が芽生え、相手のすべてを手に入れないと気が済まなくなる水無月の姿には、非常にリアリティがありゾッとさせられます。
しかしながら、リアリティがありすぎるあまり、もしもいつか大恋愛をしたら、自分も水無月のように自分を制御できなくなってしまうかもしれない……という危機感も読み手に思い起こさせるのが、この作品の最も怖いところだと言えるでしょう。
つい財布を盗んでしまう、盗癖の治らない主人公──『ならずものがやってくる』(ジェニファー・イーガン)
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【あらすじ】
盗癖を治すべく精神科医にかかっているサーシャは、かつて有名音楽プロデューサーであった上司・ベニーのもとで働いていた。元パンクロッカーであったベニーとサーシャを中心に、ふたりの軌跡を交えた人々の物語を描く。
アメリカの作家、ジェニファー・イーガンの『ならずものがやってくる』は、ピュリッツァー賞も受賞した彼女の代表作のひとつです。盗癖という問題を抱える30代の女性・サーシャと、パンクロッカーであった過去を持つ男性・ベニーを中心に進む物語は、詩情豊かでありながら、芸能記事やパワーポイントによるスライド形式を模した章が存在したりと、実験的な試みに満ちています。
物語の中心人物のひとりであるサーシャは、10代の頃から人の持ち物を盗んでしまう“盗癖”を治すことができず、精神科で治療を受けています。サーシャは意中の人物とのデートの最中でも、置きっぱなしにされた財布が目に入ると、お金に困っているわけでもないのについそれを盗んでしまうのです。
彼女は決して面白半分で窃盗をしているわけではなく、なぜ物を盗んでしまうのか? という自問自答を繰り返しながら、自分自身に潜む病理と向き合います。
本作の登場人物に共通しているのが、皆、なにかしらの“自己破壊願望”を持っているという傾向です。サーシャが窃盗を繰り返してしまうことも、ベニーがかつてパンクロックという手段でストレスを発散していたことも、どこか退廃的で希望のない“自己破壊”に繋がります。
物語のなかで何度か、「ならずもの」とは時間のことであると言及されます。サーシャやベニーたちは決して巻き戻すことのできない時間のなかで自分の過去と向き合いながら、それでもどうにか現在を生きていこうと奮闘するのです。
“盗癖”という依存症の心理を知りたい人にとってはもちろん、絶望の先にほんの少しの希望を見出すことができるような、ドラマティックな物語が読みたい人にもいち押しの1冊です。
アルコール依存の恐ろしさを、とてつもないリアリティで描く──『今夜、すべてのバーで』(中島らも)
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【あらすじ】
アルコールにとりつかれた男・小島容を中心に、幻覚の世界と日常を行き来するアルコール依存症の人々を描く。
『今夜、すべてのバーで』は、中島らもによる長編小説です。アルコール依存症の男・小島容と、彼の周りに集う、(ほとんどが同じくアルコール依存症の)個性的な人々を描いています。
物語は、容がアルコール依存症で緊急入院するところから始まります。容が訪れた病院の医師は、容の症状を見て絶句してしまいます。
「よく歩いてこられたね」
「は。じゃっかん、つらかったです。だるくて……」
「生きてるのが不思議なくらいの数字だよ、これは。γGTPが1300だって……いったいどれくらい飲んだんだ」
「一本くらいですね」
「毎日かね」
「毎日です」
「それを何年くらい」
「十八からですからね。十七年くらいかな」
容は、この時点で、飲んでは吐くを繰り返しながらももはや飲酒が止められない体になっていました。医師は容に、17年間飲酒を絶やしたことのない人間が酒を断つ場合、恐ろしい禁断症状が起こることもある、と語ります。
「全身がガクガクふるえたり、振戦譫妄、ちっちゃな虫とか動物が体中を這いまわってる幻覚とかだな。あるいは人が自分を殺す相談をしている声が聞こえたりもする」
「あんまり楽しそうじゃないですね」
「地獄だ」
こんな描写からも分かるように、作中で描かれるアルコール依存症と、それにまつわる禁断症状には非常にリアリティがあり、読んでいて怖くなってしまうほど。これは、作者である中島らもが自らもアルコールや大麻、睡眠薬などの依存症と耐えず向き合っていたことに由来しています。
本作はアルコール依存症という病気を考える上での必読書と言われることも多く、読者からは「この小説のおかげでアルコールをやめようと思った」という声も上がるほどです。お酒を飲みすぎてしまうことに悩んでいる方には、一度は手にとってみてほしい傑作です。
活字中毒者を、本の読めない環境に追い込んだら? ──『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』(椎名誠)
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【あらすじ】
本を読んでいないと禁断症状が出てしまうほどの活字中毒である、本の雑誌発行人のめぐろ・こおじ。彼は筆者に罠にはめられ、本を読めない味噌蔵に閉じ込められてしまう……。
ここで、“中毒”をユーモラスに描いた作品もご紹介しましょう。活字中毒の人物を本が読めない田舎の味噌蔵に閉じこめてしまうという、酷でありながらもつい笑ってしまうようなストーリーの本作は、椎名誠によるルポルタージュ風の短編小説です。
筆者である椎名とのくだらない喧嘩の末、「この中に奇書がある」と騙されて味噌蔵に入れられてしまった活字中毒者のめぐろは、文字を読めない環境の中で次第に弱々しくなっていきます。しかし、頃合いを見て椎名が買い物のレシートなどを蔵の中に投げ入れると、めぐろは狂ったようにレシートを読み上げて喜ぶのです。
ナンセンスかつ不条理なこの作品ですが、作者の椎名自身も、若い頃から重度の“活字中毒”だったそう。のちに発表されたエッセイ集『モンパの木の下で』では、
十年程前『もだえ苦しむ活字中毒者の味噌蔵』という本を書いたが、わが中毒度はいよいよ抜きさしならぬところにきていて活字が切れると目玉をかきむしって「字をみせてくれ……字をくれ字をくれ……」と悶絶する。
と誇張を交えながらも語っています。
椎名の例や前述した中島らもの例から言っても、リアリティのある“中毒”小説には、作者自身の経験がダイレクトに反映された作品が多いのかもしれません。
おわりに
今回は恋愛からアルコール、活字まで、さまざまな中毒がテーマとなった作品をご紹介しました。
“中毒”というものの本質について、『今夜、すべてのバーで』の巻頭にはこんな言葉が記されています。
「なぜそんなに飲むのだ」
「忘れるためさ」
「なにを忘れたいのだ」
「……。忘れたよ、そんなことは」
初めは“手段”のひとつであったものが、次第に自分でコントロールすることができなくなり、いつしか唯一の“目的”になってしまう……。依存というもののそんな恐ろしさを、この言葉は的確に言い表しています。
リアリティのある物語は時に、「自分はこうならないようにしよう」、あるいは「自分もこうなりかけているかもしれない」という気持ちを読者に思い起こさせ、私たちを現実に引き戻してくれます。“中毒”への一歩を踏み出しかけている方はぜひ、今回ご紹介した本に手を伸ばし、自分を省みてみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2018/09/01)