月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第10回 ランディ・メッセンジャー
これまで数え切れないほど来日した、助っ人外国人で、ここまで日本のプロ野球に馴染んだ選手がいただろうか。阪神タイガースにとってなくてはならない存在の、メッセンジャー選手の魅力を掘り下げてみた。
年齢を重ねるにつれ、より身体のケアに気をつけているメッセンジャー。今の体重はメジャーデビュー当時と同じだそう。「余分な負荷をかけることなく、ピッチングで関節も含めた連動がうまくいくように減量した」と語る。ラーメンとハンバーガーが大好きだけれど、今はそれほど量を食べられなくなったとか。
ランディ・メッセンジャー(36歳)
(阪神タイガース)
Photograph:Yoshihiro Koike
個人的に大好きな選手である。公私混同……ではなく、彼の存在は日本の野球界で〝新しく〟突出しているので、意気揚々と……ではなく、使命感を抱いてインタビューさせていただいた。阪神タイガースのランディ・メッセンジャー投手は、今年でプロ野球のキャリア九年目。〝メッセ〟と親しまれ、阪神のエースとして長年チームを牽引する。今季もチームの顔である開幕投手に任命されたが、これは外国人投手としては史上初の四年連続。二メートル近くの高身長と長い手足をゆったりと使って、投げ下ろされるストレートは迫力満点だ。奪三振ショーも魅力で、郭源治(元中日ドラゴンズ)の持つ外国人選手通算最多奪三振記録千四百十五の更新も視野に入れる。
この原稿が出る頃には、国内フリーエージェント権の資格条件に至るので、来季から登録は「日本人扱い」に。名実ともに「助っ人外国人」のみならず、プロ野球史上に名を残す偉大な選手になりつつある。日本語の会話能力は「酷いものだよ」と謙遜するが、対面しては「ヨロシクオネガイシマス」、話し終えると「オツカレサマデシタ」と大きな身体を折り曲げる。どこか日本人より日本人らしく感じるだけでなく、話すほどに〝虎戦士の中の虎戦士〟であることがわかった。
打って守ってのユーティリティ
アメフトやバスケの選手だったことも
メッセンジャーは、物心ついた頃にはボールに慣れ親しんでいたという。「父親がベースボール好きでね。赤ん坊の頃から、ふにゃふにゃのボールを僕の顔に向かって投げて遊んでたんだ。二歳ぐらいかな、うまくキャッチできるようになってたよ」。そんな父の〝英才教育〟を受けるも、アメリカの子どもたちは、日本のように早くから一つのスポーツに専念させることはあまりない。メッセンジャー少年もご多分にもれず、ベースボールだけでなく、アメリカン・フットボールやバスケットボールといった、他のメジャースポーツにも取り組んだ。他のスポーツを選ばなかったのは、「アメフト、バスケはすごく頑張らないとうまくならなかったけれど、ベースボールは自然とできたんだ」と思い返す。
ピッチャーに専念したのは、高校生になってから。それまでは、ショートでプレーをしていたという。日本では野球のうまい少年は、「エースで四番」を任されることが多いが、アメリカでは「三番ショート」が定番。今でも時に、ピッチャーらしからぬ豪快なヒットやホームランを放つことがあるメッセンジャーは、若い頃は強打者だったのだ。「すごく良いプレイヤーで、良いバッターだったよ。打率だって残してた。昔の話だけどね」と笑う。野球の天才児だったのだろう。ショート以外にも、背が伸びてからはサードやファーストに転向したり、サマーリーグでは外野も守っては、ダイビングキャッチしたりとキャッチャー以外のすべてを守るスーパーユーティリティ選手としてグラウンドを駆け回ったと語る。
早くから才能を発揮していたメッセンジャー少年を、家族は全力で支えた。四つ年上の姉は、家族を助けるために学校をやめて、働きに出たという。そうしたサポートもあって、メッセンジャーは一九九九年、十七歳の時に、ドラフトの十一巡目指名で、MLBフロリダ・マーリンズと契約。メジャーとマイナーを行き来する苦労人だったが、二〇〇八年に移籍したシアトル・マリナーズで城島健司との出会いを通じて、一〇年に「メジャーの次にレベルの高い日本のリーグでプレーしたい」と阪神タイガースへ移籍した。
「センパイ・コウハイ」問題ない
日本の文化も「慣れるだけのこと」
今まで日本にやってきた外国人選手の多くは、長くても三年ほどで日本を離れる。メッセンジャーが今なお活躍できているのは、他の外国人選手と何がどう違うのか。メッセンジャーについて、周囲の関係者らに話を聞くと「ハードワーカー」との声が聞かれた。本人にぶつけると、「だから、僕は長くいられるのかもしれないね。たいていの外国人選手は、みんな日本が快適すぎてしまうというのが一因だと思うよ。楽にやらせてもらえるから、ハードに鍛錬しなくなる。でも僕は、常に自分より若い選手が自分の仕事を取ろうとしていると忘れないようにしてる。精一杯やらなかったら、取って代わられるだけだからね。一生懸命やって、彼らにも見せつけてやらないといけない」
「金本監督を胴上げしたい」思いは強い。2012年、金本氏の引退試合では2回から登板し、8回無失点の力投をみせ、最後はレフトフライで金本氏にウイニングボールを捕球させる名シーンの立役者となった。この後、金本氏がそのボールをメッセンジャーに渡そうとしてきて、「いやいやいやいや」と固辞したシーンはファンの語り草となっている。
メッセンジャーはインタビューの直前まで、バッティング練習やバント練習にも熱心に取り組んでいた。阪神の所属するセントラル・リーグは、投手にも打順が回ってくる。聞けば、「毎日、練習してるよ。バッティングの練習もすごく大事だからね。バントだってできなきゃいけない。バッティング練習は好きなんだ。芯に当てたい。しっかり当てて、打球が飛ぶとすごく気持ちがいいからね」と少年のように笑う。
「ハードワーカー」というと、ストイックなイメージが湧くが、メッセンジャーは生真面目にやりすぎるのは良くないと語る。「日本人は真面目すぎるところがある。もちろん一生懸命やらないといけないけれど、楽しむことも必要。野球は野球に変わりはないし、試合もゲームなんだ。楽しむのが本来のあり方なんだから」
先輩後輩の文化も良くわかっていて、今や「センパイ」でもあるメッセンジャーは、意識的に「コウハイ」である選手たちにも話しかけるのだそう。「最初は『ウルサイ、ガイジン(笑)』だったけど、今じゃ、『オオ、センパイ』って敬ってくれるからね」と冗談交じりに言う。体育会系の独特の文化も「なんの問題もないよ。慣れるだけ。好き嫌いは関係ない。そういう文化なのだから」と受け入れ、チームに馴染んできた。
阪神のエースであること
ライバルのジャイアンツには……
エースの証である開幕投手。メッセンジャーの任命劇は、例年ちょっとした話題を呼んでいる。メッセンジャーがオフに帰国する前に、いつも「自分が開幕投手だ」とアピールするからだ。決定を下すのは、二〇一六年から監督を務めている金本知憲氏。二〇一二年に現役を引退した金本氏とメッセンジャーは、元チームメイトで仲も良い。金本監督は、「やる気だから」「拗ねるといけない」「早く言ってあげないと」と苦笑いしながら、年々どんどん前倒して〝内定〟するように。今季はオフに入った直後の昨年十一月に、言い渡していたという。
開幕投手へのこだわりは、メッセンジャーの選手としての向上心そのものだ。「一番の投手を目指してやっていくことが、自分の務めだから。どんな時も開幕投手になりたいし、開幕投手を任せられないような選手にはなりたくない」と語る。自己主張をしているようで、すべてはチームのため。〝務め〟に対する姿勢には自己犠牲の精神も見え隠れする。
「阪神のような歴史あるチームで開幕投手を務めるのは、最高にすばらしいこと。でも、自分の仕事は与えられたすべての機会で、できるだけ長く、チームが勝てるよう投げるだけなんだ。目標はあるし、勝ち星がつくと嬉しいけれども、本来的に自分の勝ち星は関係ないということもある」
自らの情熱を押し殺すように語る。だが、ここまでのキャリアで最も〝燃えた瞬間〟を尋ねると、メッセンジャーは堰を切ったように語りだした。「それはもちろん、ジャイアンツにスウィープ勝ち(シリーズ無敗で勝利すること)した時だよ! それも東京ドームでね!」。二〇一四年のこと。阪神が最大のライバルである読売ジャイアンツの本拠地・東京ドームで、クライマックスシリーズを戦い、四連勝を収めて次のステージへとコマを進めたことを興奮冷めやらぬ面持ちで語る。
阪神は今年で球団創設八十三周年。これより一年早くに創設された読売ジャイアンツは、最大のライバルで両チームの戦いは、「伝統の一戦」と呼ばれる。その熱い戦いが、プレーオフであるクライマックスシリーズという大舞台で行われ、快勝したのだ。「あれはすごい勝利だった」とメッセンジャーは目を細める。
そんなメッセンジャーに、今のプロ野球で最も良い打者は誰か尋ねると、「ジャイアンツの坂本勇人」と答えた。「すごく安定しているし、難しいコースの球も打つ技術があるから打率もいい。まだ若いし。でもジャイアンツなんだよね」と悔しそうに笑うのだ。
ただの野球をやる男だから
セカンドキャリアは「父親」
メッセンジャーの阪神愛は強い。第一の理由を尋ねると、「ファンが特別なんだ。二〇一二年もチーム状況はひどかったのに、阪神ファンは変わらず応援してくれた。弱い時であろうと、日本中どこに行っても、大勢が応援にかけつけてくれる。どんなスポーツも、チームが弱くなるとファンは応援に来なくなる。けれども、阪神ファンはいつも来てくれる。これは素晴らしいことだと思う」
メッセンジャーは続けて言う。「ファンがお金を払って観戦チケットを買ってくれなかったら、僕らが稼ぐこともない。そのことを本当に理解して、大切に考えて行動している選手は少ないと思う」と真摯に語る。その言葉どおり、彼のファンサービスはいつも丁寧で長い時間をかけて行われる。「当然のことだよ。毎日するよ。言われてやってるわけじゃない。僕はそうしたいからそうしてるだけなんだ。だって、彼らは僕らに会うため、お金を出してわざわざ遠くから来てくれてるんだから。僕はただのベースボールをするっていうだけの男なんだけれどね」
プロフェッショナルで謙虚。実は二年前にも、同じような言葉を直接、彼の口から聞いている。この日も実際、メッセンジャーはすべての練習を終えた後、出待ちをしていたファンに、どの選手よりも長く、サインや写真撮影に応じていた。するとその後は、ジャージを手にスタンドの方へと走り出した。集まった人たちの歓声が上がる。何だったのかと尋ねると、毎年いつもキャンプに来てくれている車椅子の少年がいて、その子に昨年ジャージをプレゼントしたら昼夜ずっと着ていて、ボロボロになってしまったというのだ。その話を聞いたメッセンジャーは「だから、新しいジャージをプレゼントしたくて」と自ら届けに行ったのだという。
「北海道から沖縄まで、どこで試合をしても、驚くほど多くのファンが来てくれる。長く優勝から遠ざかってるのに、熱く応援してくれるのは本当にありがたいこと」。ファンに感謝し、いつも遅くまでサインや写真撮影に応えるメッセンジャー。大きくて優しい彼には、女性や子どものファンも多い。
子どもにも優しいメッセンジャーは、四児の父でもある。オフシーズンはテネシー州の広大な敷地の自宅で家族とアクティブに過ごす。「大自然にある大きな敷地だけれど、移動は車をあえて使わないで、子どもたちと歩いたりするんだ。彼らもそれが大好きでね。そういう時はたいてい『探検タイムだぞ~!』って移動するんだよ」。トレーニングは木を切り倒して、薪を割ったり、ハイキングやランニングをしたりするのだそう。
今季、十六勝をあげれば通算百勝に到達する。通算百一勝で、球団の助っ人史上最多というジーン・バッキーの記録を更新することにもなるという。向上心と献身で今季もフル回転することを誓う。その願いも目標もどこまでも高く掲げる。「チームの優勝を第一に掲げ、すべての記録でトップを目指したい」とメッセンジャー。その先も、「チームが必要としてくれる限り、できるだけ長くプレーをしたい」と明かす。
日本プロ野球で上を目指し続けるため、メジャー・リーグにも一切の思いはないという。阪神で「必要とされる限り」戦った後は、セカンドキャリアとして「父親業」をあげる。ずっと一年のうち九か月を野球に費やしてきたから、現役を離れたらまずは親子でもっと向き合って、子どもたちの成長を見守っていきたいのだという。「だから次の仕事につくとしたら、父親業。もしかしたら、少年野球のコーチぐらいはやるかもしれないけれども、チームのコーチとかそういう選択肢は今は考えられない」
キャリアも終盤を迎える三十六歳にして、自己最多の十三勝を大きく上回る十六勝を今季の目標に据えた。だが、勝ち星はチームの援護がなければ得られないもの。メッセンジャーは、近くで別の取材を受けていたチームメイトの糸井嘉男に「イトイサーン、タノミマスヨー」といきなり呼びかけた。頼りになる伝統球団の外国人エースは、日本の野球界という独特な〝社会〟で、どんな〝壁〟も取っ払ってしまう存在なのかもしれない。前人未到のキャリアが今季も重ねられ、記録更新や勝利の瞬間が見られることを楽しみにしたい。
プロフィール
ランディ・メッセンジャー
プロ野球選手。阪神タイガース所属の投手。1981年生まれ、身長198cm、体重107kg。米国ネバダ州リノ出身。スパークス高校を卒業後、米メジャー・リーグのフロリダ・マーリンズにドラフト11位(全体326位)で指名されて入団。2005年にメジャーデビューし、その後、サンフランシスコ・ジャイアンツとシアトル・マリナーズを経て、10年に阪神タイガースと契約。11年から4年連続2ケタ勝利を飾り、13年には開幕投手に。13、14年は最多奪三振、14年に最多勝利。15年から4年連続開幕投手となり、名実ともに阪神のエースとして活躍。
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。
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初出:P+D MAGAZINE(2018/04/26)