月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第12回 設楽悠太

低迷が続いていた男子マラソン界に、期待の星が現れた。2月に行われた東京マラソンで、日本新記録を樹立し一躍東京オリンピックでのメダル獲得に期待が高まっている。マラソンというとさぞやストイックな日々をおくっているのではないかと思ったが、設楽選手から出てきたことばは、驚きの連続だった。

 
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次回のマラソン出場レースは未定。今年はけがで出遅れたうえ、マラソン日本記録保持者として大きなプレッシャーものし掛かるが、「状態を見ながら、いつも通りに調整をしていきたい」と設楽。

設楽悠太(26歳)
(陸上競技選手 Honda所属)

Photograph:Yoshihiro Koike

 
 天才肌、おっとり型、クール、たまに毒舌、お酒が大好き。設楽悠太という人を形容してみたら、同一人物のことを表しているとは思えない特徴が並んだ。これだけでも、かなり独特なキャラクターが想像できるのではないだろうか。どこか近寄りがたいけれど、一緒に飲みに行きたくなるような親しみやすさも漂う。つかみどころがないのに、発せられる言葉は、とても正直で清々しい。相反する魅力も包括するのが天才タイプなのかとも思わされる。
 二月に行われた東京マラソンで、十六年ぶりに日本新記録を樹立。一躍、時の人として脚光を浴び、日本男子マラソンがにわかに活気づいた。なにせ、日本実業団陸上競技連合から一億円のボーナスが支払われたのだ。三年前に設けられたこの報奨金制度で、設楽は男女通じて、初めて現実にその大金を手にする選手となった。
 レース終盤に見せた、怒濤のラストスパートが脳裏によみがえる人も多いだろう。序盤からハイペースに快走していた設楽。「日本記録更新ペースだ!」と見る者が期待をどんどん膨らませたところで、三十キロすぎに、先頭集団から引き離され、まさかの七位に後退。だめかと思った次の瞬間、三十八キロあたりで息を吹き返したかのように、五人もの並み居るランナーをごぼう抜き。残り二キロの土壇場で二位に浮上すると、そのまま日本人トップの日本新記録となる二時間六分十一秒で、ゴールに倒れ込んだ。
 
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近年「日本のマラソンが低迷したのは駅伝のせい」という声が少なくないなか、そうした声を払拭してあまりある活躍ぶりの設楽は言う。「駅伝をやってるからマラソンがダメになるという考えは僕にはまったくないです」「駅伝をやるなら駅伝に集中すべき。マラソンの通過点と考えないほうがいいと思う」(写真:産経新聞社)
 
 本当にあの場面はしびれましたと伝えると、「あれは絞り出しました」と興奮を思い出したように少しだけトーンを上げて語る。ああそうですよね、と頷くと、設楽は続ける。「もう最後の二キロなんて、一億円のことしか考えてなかったです」。顔色ひとつ変えることなく、ぽそりと。あまりに正直でユニークな物言いに、思わず噴き出してしまった。ウケ狙いだったのか本気だったのか、今もわからない。
 インタビューは、言うなれば、いきなりの〝直球〟とまさかの〝変化球〟ばかり。会話の〝キャッチボール〟でいうと、ちゃんと成り立っていなかったように思う。マラソン業界では「異端」で「非常識」と言われる、〝新しい〟考え方に、何度となく驚かされたが、結果を出している事実とともに説得力をもって響く。

「頑張れ、一億!」で激走
メンタル強化の秘訣とは

 東京マラソンでは、「たくさんの人々の応援が力になりました。僕一人では走りきれませんでした」と設楽は振り返る。応援があったからこそ、〝絞り出せた〟のだと。
「力が湧いてくるんです。特にトラックとマラソンでは、応援してくれる人数がまったく違いますから。それに二時間以上も応援してもらえるなんて、マラソンだけ。走ってても、気持ちいいなって思うぐらいでした」
 二〇一六年のリオデジャネイロ・オリンピックで一万メートルの日本代表だった設楽は、同大会では二十九位に終わり、トラック競技で「世界の壁」を痛感したという。「最後の一周で、全然スピード感が違いました。これはもうムリだなと」。そこで、「マラソン、やってみようかな……ぐらいの感じで始めました」と、再び世界の舞台を目指すことにした。二〇一七年から本格的にマラソンへ転向すると、同年の東京マラソンで初マラソンにして二時間九分二十七秒の十一位に。その後、次々と中長距離のレースに出場すると、同年九月十六日にはハーフマラソンで一時間〇分十七秒の日本記録を更新。そのわずか八日後に出場したベルリンマラソンでは、二時間九分三秒をマーク。そして今年の東京マラソンでは、三度目のフルマラソン出場にして偉業を達成したのだ。結果が出る面白さと、応援を受ける喜び。夢中で走り続けたのだろう。「気がついたらマラソンをしていた」と続けた。
 東京マラソンの時のことを、再びクールな表情のまま、思い出して言う。「最初のほうは、名前で応援されてましたけど、もう最後のほうなんかは『一億円!』って応援されてました」。またしても、噴き出してしまった。投げかけられる声援はいつしか、「頑張れ、設楽」ではなく、「頑張れ、一億」に。大勢のファンが、実にリアルに設楽の潜在能力を引き出していたのだ。
「三十キロ以降は気持ち」と設楽は言う。ラストスパートで見せた強靱な精神力も、特に何かメンタルトレーニングをしたわけではない。ただスイッチを自ら入れることに成功しただけと。きっかけはモハメド・ファラーとの対談だ。五千メートルと一万メートルでオリンピック二連覇の金メダリストに、「自分を信じることと勝つという気持ちを持つことの大切さ」を説かれたことで、「絶対に負けたくない」自分に生まれ変わったのだという。
「それまでは、先頭集団に離されたら諦めてた自分がいました。でも、ファラー選手に僕が一番足りないメンタルについて話してもらってから、まったく気持ちが変わったんです」
 何を話すかではなく、誰が話すか。リオで転倒しながらもオリンピック連覇という偉業を成し遂げたファラー選手が言う以上に、強く深く響く言葉はないのだろう。

兄・啓太についていく弟・悠太
とりあえず始めた陸上と長距離

 設楽が長距離走を続けた理由は、双子の兄・啓太の存在が大きい。幼いころから「めちゃめちゃ仲が良い」という設楽兄弟は、何をするのも一緒だったという。野球やサッカーで遊んだり、ゲームをしたり。小学六年生の時だった。母に勧められて二人は陸上クラブへ。兄がすぐに陸上の魅力に取りつかれた一方で、設楽は「とりあえずあいつの真似をしようかと思って」とついていった。
「兄貴」と言ったり、「あいつ」と言ったり。今もその距離がとても近いことが窺える。どちらかというと、積極的な兄と内気な弟。走ることにはじめから〝本気モード〟で取り組んできた兄に、どこか適当にしていたという設楽は、なかなか実力で追いつけず、ずっと歯が立たなかったという。学生時代はいつも兄が注目を集め、設楽は常に陰に隠れていた。それでも、「悔しい気持ちはなかったですね。あいつが結果を出すと嬉しいんです」と語る。
 その後、設楽兄弟は、名門・東洋大学に進学すると、箱根駅伝で活躍して全国に名を轟かせた。ようやく兄と肩を並べるまでになるも、なおも設楽は本腰を入れるのとは違った感覚だったという。「もちろん、箱根の時は、大学のこのチームで『勝ちたい』と思って必死でした。でも本当に変われたのは、社会人になってから。大学の時は、正直、走れなくなっても自分だけの責任にならない。でも、社会人は走れなくなったら、自分の責任ですから」
 大学卒業後、設楽ははじめて兄と離れて、〝自立〟をしたのだろう。「枠にはまるな」のメッセージを受け継ぐHondaに入社すると、「異端」で「非常識」と言われる自分流を見出し、みるみるブレイクを果たしていった。
 
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子どものころから何をするにも一緒だった仲良しの兄の啓太(写真左)と。高校までは「兄には勝てないどころか差は広がる一方だった」という設楽。練習嫌いで、中学の時は兄が大会に出場して先生ともに留守の間、バスケをして遊んでいたら、先生が帰ってきて〝現行犯〟で怒られたという経験も。(写真:産経新聞社)

 

練習嫌い、試合が大好き
野菜嫌い、スナック菓子が好き

 設楽はマラソン本番まで、中長距離のレースを立て続けに走って、状態を上げていく。従来のマラソン界の常識からは考えられないほど、多くの試合に出場するという。また、たいていの選手は、マラソン本番までに四十キロ走を取り入れるが、設楽は、今回の東京マラソン前には三十キロ以上は走らなかった。「いろんな人から変わってるね、すごいとか言われますけど、僕にはこれが普通。自分の状態は自分にしかわからないですから。以前、マラソン前に四十キロ走を入れたら、(疲労で)身体が動かなくなったんです。だったら、三十キロ走で気持ちよく終わって、次の日もしっかり練習することが大事だと思い至りました」
 練習が大嫌いで、試合は大好き。だから、嫌いな練習より好きな試合で調整していく。長い距離を走り込む必要もない。設楽が言うように、練習ではなく試合に出て、勝負の機微も含めたレース感覚を研ぎ澄ましていくのは、確かに理に適っているのかもしれない。例えば、錦織圭をはじめとするテニスの男子シングルスのトップ選手は、ランキングやポイント獲得など背景やシステムは違うものの、五セットマッチとなるグランドスラム大会の前は、三セットマッチの試合に出場していって、調子を整えていく。
「試合に出すぎじゃないかって言われますけれど、僕にはこれが一番合ってるんです。試合で本番への身体をつくっていく。マラソン前のレースも、他の選手には練習の一環かもしれないけれど、僕は試合に出る以上、全力で走ることしか考えていない」
 また、設楽は自身にとっては体幹トレーニングも必要ないと断言する。
「人は生まれつき、骨格も体格もまったく違います。僕は、走れば自然と体幹が使えてると思うので、やる必要はないと思っているんです。故障してる人って、過剰に筋トレしているケースが多いと思います。人に言われてやって、いざ走ると、脚に直に負担が来る。それで他の部分を痛めてしまう。故障している時は、ストレッチと睡眠で十分だと思うんです」
 自らの身体と対話し、導き出した持論だ。
 驚くことに、食べることにも頓着はしない。Hondaの寮では栄養が管理された食事が提供されるが、生来の野菜嫌いで、今も「野菜を抜いてもらっています」とあまり食べていない。それに、スナック菓子が大好物で、普段も食べるし、大のお酒好きだから、休みの日に誘われたら〝必ず〟行くというのだ。ただし、どんなに飲んでも寝不足でも、次の日も〝大嫌いな〟練習は休まない。「遅くても終電で帰ります。翌朝は二日酔いで練習に行きます」。日ごろ溜まったストレスを発散するため、飲みに行くということもあるという。私たちと同じじゃないかと妙に親近感が湧いてくるのだ。

マラソン人生で迎えたピンチ
東京オリンピックは考えない

 東京マラソンの結果、設楽は東京オリンピックの代表選考会グランドチャンピオンシップ出場権を得た。日本記録保持者となり、追われる立場になったことで、大きなプレッシャーがのし掛かる。
 今、陸上キャリアで一番のピンチを迎えているという。「東京マラソンが終わって、一か月ちょっと故障してたので、満足に練習もできなくて、出遅れてしまいました。この一年は、結果が求められてくる。だから、今は結果を残すことしか考えてないです」。皮肉にも東京オリンピックの出場権をたぐり寄せた途端、東京オリンピックを意識するどころではないほど追い込まれた。「まずは次のレース。ひとつずつ結果を残していけば、自然と日本代表に選ばれると信じていますから」と前を向く。
 設楽は二か月あれば、マラソンの準備ができるという。今後のタイム目標は、一年で一分ずつ、つまり二〇二〇年の東京オリンピックまでに、二分は縮められると語っている。その自信はどこから来るのか。「確かに正直、今そのタイムで走れと言われたらムリです。でも、マラソンの二か月前になったら、覚悟を持って練習に取り組むだけ。二時間四分台は狙うところですが、絶対に勝つっていう思いだけ忘れずにやっていけたら、次第にタイムもついてくると思います」
 つくづく思う。この連載で取材したアスリートたちにも共通していることなのだが、抜きん出た人というのは、それまでの価値観を覆して、自分を信じてやりたいように行動している。それに、何よりも今を、人生を楽しんでいる。彼と話すまでは、マラソンというと、「苦しいのにストイックに極めようと頑張る姿」が「感動」を呼んで……といった、「24時間テレビ」のランナーのイメージのようなものを抱いていたが、設楽はそうした価値観とは対極にいる。楽しいからやりたいように鍛えて、大好きなレースで結果を出したいだけなのだから。みんなに応援されて走ることはとても気持ちがいいという。だからその晴れ舞台で応援してもらうため、日々の努力だけは惜しまない。インタビューの後もすぐに、設楽はいつもどおり〝大嫌いな〟練習に出掛けていった。

 

プロフィール

アスリート第12回プロフィール画像
設楽悠太
したら・ゆうた
陸上長距離選手。Honda陸上競技部所属。1991年生まれ、身長170cm、48kg。埼玉県大里郡寄居町出身。小学校6年生から陸上を始め、武蔵越生高校を経て、東洋大学へ。双子の兄・啓太(日立物流)と箱根駅伝で活躍。大学2年生で区間新記録を樹立するなど、4年間で2度の総合優勝に貢献。卒業後は、2015年の日本選手権10000mで2位となり、北京世界選手権の代表に選出。2016年はリオ五輪代表で同競技29位。2017年にマラソンに転向すると、ハーフマラソンで1時間0分17秒の日本記録を樹立。2018年の東京マラソンでは2時間6分11秒でマラソン界待望の日本記録を更新した。
 
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。

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