坊っちゃんが忍者修行? 奥泉光の「夏目漱石」への爆笑オマージュ作品5選
大の夏目漱石ファンで、漱石の作品からインスピレーションを得たと思われる箇所が見られる著作を多数執筆している、奥泉光。文豪・夏目漱石作品と読み比べても、奥泉光作品だけでも十分楽しめる、おすすめ5選を紹介します。
はじめに
1993年には『石の来歴』で第110回芥川賞を受賞し、2018年、二・二六事件を題材にした長編ロマンミステリー『雪の
1、『漱石漫談』~漱石先生、ツッコませていただきます!?~
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いとうせいこうとの「文芸漫談」という、文学をテーマにしたお笑いライブでもお馴染みの奥泉光。漱石先生も、バッチリまな板の鯉にされています。
坊っちゃん、三四郎……確実に童貞でしょうね(笑)
天婦羅先生って黒板に書かれただけでキレる坊っちゃん、大人げない。金八先生なら「あっはっは」と笑って、ついでに天婦羅の語源の講釈なんかがあったりして、「あ、天婦羅ってポルトガル語なんだ」ってとこで授業になるよね。
東大出て官僚にならず新聞社に入った漱石って、今だったらアメブロに入っちゃったみたいな(笑)
ドラマ化されると、長谷川博己とかが漱石の役やるけど、実際あんなイケメンじゃないよ
高校の国語で国民必読させられる『こころ』。先生とKって実はBLだったんじゃ? 先生は、お嬢さんをKに取られたくなかったんじゃなくて、Kをお嬢さんに取られたくなくかったんだよ。
奥泉光といとうせいこうが、文豪・漱石先生を、愛情を持って斬りまくり、縦横無尽に語り尽す本書。千円札で憂いを帯びた表情で気取ったポーズを取っている漱石先生のイメージが覆されること間違いなしです。
2、『夏目漱石、読んじゃえば? (14歳の世渡り術)』~マジメに読まなくてもいいんじゃない?~
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小説はそんなにマジメに読まなくたっていい。気に入ったところだけパラパラめくるだけでいいんだって。だって、『草枕』の主人公もそう言ってるし――。
主に中学生を対象とした漱石の敷居がぐっと下がる入門書にして実用書ですが、大人でも十分に楽しめる内容です。
『吾輩は猫である』の「蛇飯」。鍋に米と蛇を放り込んで、穴のあいたフタをし、火にかけると、熱さで蛇が穴から顔を出す。それを引っこ抜くと、鍋のなかに蛇の身だけが残って蛇ご飯が完成って、これを実験して読書感想文を書いたらどうかな。
『こころ』の手紙は長すぎる。原稿用紙に書いて四つ折りにしたっていうけど、こんな大量の紙、四つ折りになんかできないよ。これも実験して読書感想文にしたら最高だ
皆さんのなかで、実験したという方がいらっしゃったら、ぜひ結果を教えてほしいものですね。
食いしん坊で甘いものが大好きだった漱石。ジャムをなめ過ぎたために家計を圧迫、妻にお菓子を隠されると、娘に隠し場所を聞いてまでも食べていた。胃の具合が悪くなったのは、近所に来る汁粉屋の汁粉がうますぎるせいだと、逆ギレした
お札の気難しそうな顔の漱石先生が、プーさんのようにジャムをなめていたって、ちょっとイメージと違って笑ってしまいますね。
3、『雪の階』~国民的ネタバレミステリーをオマージュ~
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昭和10年。女子学習院高等科に通う大学教授令嬢・寿子が、貧乏寺出身の陸軍士官・久慈という男とともに、富士山の樹海から遺体で見つかります。寿子が妊娠していたことから、新聞は、二人が身分違いの恋の末、心中したと報道します。しかし、寿子の友人・惟佐子は、碁をたしなみ、英文学が好きで翻訳家を目指していた聡明な寿子が、心中などというメロドラマの真似ごとのようなことをしたとはとうてい信じられず、また、二人が恋仲であったことにも疑問を抱き、独自の調査を開始します。ある日、惟佐子のもとに、寿子と久慈、惟佐子の共通の知人である槇岡から次のような手紙が届きました。
私は寿子さんに密かな恋心を抱いてをりました。が、久慈も寿子さんへの激しい恋心を抱いてゐたのです。寿子さんへの恋情を私に打ち明けた久慈の姿は、熱病に罹つた男のそれでありました。陸士からずつと一緒だつた私は、大変驚き、衝撃を受けました。相手は帝大教授の娘、片や此方は貧乏寺の倅、とても釣り合うものではないだらうと、苦し気に久慈が問うのへ、そんなことは決してない、封建時代でもあるまいし、恋愛は自由だと私は励まし、貴君の恋を応援したいと私は約束さへしました。だが、其の一方で私は激しい嫉妬に見舞はれてゐました。私は久慈から託された恋文を握りつぶし、抑へきれぬ欲望のままに寿子さんを誘惑しました。
親友同士の二人の若い男。その男たちが同じお嬢さんを好きになった。一方の男はそのことをもう片方の男に正直に告げる。けれど、もう片方の男は、自分の恋心をひた隠しにし、友人を出し抜いて、お嬢さんを奪ってしまう。これ、夏目漱石のあの小説とそっくりではありませんか? そう、高校生の頃、国語の時間に一度は読んだ、奥泉光流にいえば、“国民的ネタバレ小説”の『こころ』ですね。
『こころ』では、裏切られた男は、親友と思い人の両方を失い、ショックのあまり自死を選びました。では、『雪の階』では次のうち、どれか謎の真相なのでしょうか?
① お腹の子は報道通り、久慈の子供である。しかし、身分違いの二人は親族から結婚を反対され、失望した二人は情死を選んだ。当時、未婚の女性を妊娠させるのは大変外聞が悪いことだった。槇岡は親友・久慈のために嘘の手紙を書いた。槇岡は寿子に恋心を抱いていたが、寿子と肉の契りは結んでいない。
② お腹の子は槇岡の手紙通り、槇岡の子供である。槇岡は、親友・久慈が寿子を好きだと知りながら、抜け駆けで寿子と契りを結び、寿子を妊娠させた。しかし、槇岡は寿子のお腹に子供がいると分かった途端、怖気づき、寿子に中絶するようせまる。そのことにショックを受けた寿子が服薬自殺、事情を知った久慈も後追い自殺。槇岡は二人の遺体を富士の樹海に運び、心中に見えるようカモフラージュした。
③ お腹の子の父親は、久慈でも槇岡でもない、第三の男で、この男はなんと惟佐子の兄の惟秀である。惟秀はいわゆるバイセクシャルで、寿子を孕ませておきながら、槇岡とも男色の関係にあった。槇岡はそもそも女性に興味がなく、惟秀一筋だったため、惟秀と寿子の仲はショックだったが、惟秀の体面を保つため、自分が濡れ衣をかぶって嘘の手紙を書き、惟秀を守った。
ヒントは、前出の『漱石漫談』の「BL」です。
どうですか? 少々意外な結末のようにも思えますが、当たっていたでしょうか?
4、『吾輩は猫である殺人事件』~ドラえもん、猫村さんの元祖は、この猫だった!?~
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家に住み込みで飼い主の世話を焼く猫(?)といえば、今日では、ドラえもんやスーパー家政婦・猫村さんあたりが有名ですが、その元祖たるや、漱石の『吾輩は猫である』の猫でしょう。本書は漱石版『猫』のその後を描いた物語です。
そもそも、猫は平安時代に中国からの書物を運ぶ船に乗って輸入されたと言われています。その目的は書物をかじる鼠取りのため。ところで、本作の主人公・猫は、ひょんなことから中国行きの船に乗ってしまった……。いわば逆輸入。けれど、長いこと苦沙弥先生の宅で安穏と暮らして来た猫は、鼠一匹獲れません。中国に着いた「猫」は、現地の猫たちと出会います。
「それで、あなた、名前は何といつたかしら」
「名前はまだ無いんです」
「あら、さうなの」
苦沙弥先生は吾輩の恩人である。とは云ふものの、普段の主人は吾輩に対して極めて冷淡であつた。永らく傍らに置き乍ら名前さへ付けなかつたのが何よりの証拠である。吾輩は猫である。名前はまだ無い。吾輩はいま上海にいる
吾輩は、ふと上海で新聞に目を留めます。すると、そこには元の飼い主である苦沙弥先生が何らかの事件に巻き込まれて殺害されたという記事が載っているではありませんか。吾輩は猫仲間と語り合います。
「君の主人とは何をして居た人かね」
「教師です。」
「何歳だつたのかね」
「たしか三十九だつたと思ひます」
「結婚はなさつてゐたの。お子さんは」
「子供は女の子許三人ありました」
「まあ奥様が大変。財産はちやんとおありなのかしら」
素より苦沙弥先生に財産などあらう筈もまい。保険には入る気はあつたやうだが本当には入つたと云う話はつひぞ聞かなかつた。
そこから物語は、猫探偵たちが苦沙弥先生の殺人の謎を追う、荒唐無稽のユーモアミステリーとして展開します。漱石の『猫』の内容を読者がある程度知っているという前提で書かれた小説ですので、上記の3冊に比べてややハードルは高めですが、漱石の『猫』と併せて読むと、楽しみが広まりそうな一冊です。
5、『坊ちゃん忍者幕末見聞録』~二階から腰を抜かさず飛び降りるため、忍者修行?~
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親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしてきた「坊っちゃん」が江戸時代へタイムスリップした!? 出会うのは、忍術家・甚右衛門。小学校の頃、二階から飛び降り、1週間ほど腰を抜かして、「二階から飛び降りたくらいで腰を抜かすやつがあるか」と父親から叱られ、「今度は抜かさずに飛んでみせます」と請け合った坊っちゃんに、忍術修業は果たして務まるのでしょうか。松山で教師をすぐに辞めた坊っちゃん、今度は「忍術学園」に入学して「忍たま乱太郎」にでもなるつもりでしょうか。
忍者は地面から屋根へぴょんと飛び乗ることができるとは本当かと、真面目な顔で質問する者がいる。人は鳥ではない。そんなことができる道理がない。
忍術を習って得をしたことなど一度もない。これだけは誰がなんといおうと断言できる。裏庭に植った桐の木から飛び降りてみろといわれ、いわれるままに飛んで腰が抜けたのは、七つになって、甚右衛門のところへ養子に行った日のことだ。甚右衛門はおれを介抱しながら、飛んだ姿はとてもよかったと褒めてくれたけど、おれはちっとも嬉しくなかった。
十の歳には、水遁とかいう術を習って死にかけた。竹筒で息をして水に潜る稽古を半刻も続けたら、高い熱が出て、三日三晩うなされた。
坊っちゃん、体張ってますね。これならまだ、松山の中学で、生徒から、宿直用の布団の中にバッタを大量に仕込まれる方がマシというものでしょう。
芭蕉の俳句も教わった。「しづかさや岩にしみいる蝉の声」、おれには、これがまるでとんちんかんだ。だいたい、蝉というやつは虫のなかでも最上級にうるさいやつだ。それがどうして「しづか」なのか。芭蕉というのはわけのわからんことをいう男だ。
たしか、漱石版・坊っちゃんは数学教師で、ブンガクのようなまどろっこしいものは大の苦手でしたよね。けれど、坊っちゃんのこういう単純明快な性格って、やっぱり憎めないものです。
『吾輩は猫である殺人事件』と『坊ちゃん忍者幕末見聞録』は、ともに長編小説ですが、最初から最後までストーリーをすべてフォローしようと身構える必要はありません。なぜなら、奥泉作品の特徴は、パッと開いたどのページにも、面白い台詞や気の利いた言い回しがあって、物語の大筋が分からなくても、くすっと笑える要素が満載だからです。
おわりに
奥泉光による、漱石のオマージュ作品を見てきました。学校の教科書で習うのとは一味も二味も違う漱石の一面が垣間見られたはずです。あなたも、どの本のどのページからでも気軽に「読んじゃえば」いかがですか?
初出:P+D MAGAZINE(2019/07/09)