【著者インタビュー】死の誘惑さえ引き起こす“吃音”の現実に迫る/近藤雄生『吃音 伝えられないもどかしさ』
日本では約100万人が抱えているという“吃音”。大杉栄、マリリンモンロー、田中角栄など、吃音を持ちながら活躍する著名人はたくさんいますが、社会生活への不安と恐怖から、死の誘惑に駆られる人も多いといいます。自らも吃音ゆえに夢をあきらめた経験をもつ著者が、当事者の苦しみと現実をあきらかにするノンフィクション。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
「普通」に会話ができない――自らも症状に悩んだ著者が当事者の苦しみに誠実に寄り添う労作
『吃音 伝えられないもどかしさ』
1500円+税
新潮社
装丁/新潮社装幀室
近藤雄生
●こんどう・ゆうき 1976年東京生まれ。東京大学工学部、同大学院修了後、無職のまま結婚。03年より夫婦でオーストラリアを起点に旅と定住を繰り返し各誌に寄稿。「僕は元々小心者で、たぶん吃音がなければイイ大学、イイ会社に入ればOKというような人生に安住していたと思う」。08年帰国。京都に住み、『遊牧夫婦』『終わりなき旅の終わり』等を発表。理系ライター集団チーム・パスカルでも活躍。大谷大学、京都造形芸術大学非常勤講師。184㌢、75㌔、A型。
理解されない苦しみは、吃音者に限らず人間なら誰しもが共通して抱えている
幼児の吃音は20人に1人の割合で発生し、消えずに残るケースが人口の約1%。この数字はほぼ世界共通で、日本には今も100万人近い吃音者がいる計算になる。
『吃音 伝えられないもどかしさ』の著者・近藤雄生氏自身、宇宙飛行士や物理学者の夢を吃音ゆえに諦めた当事者。東大大学院修了後、就職を断念し、世界中を旅しながら物を書く道を模索した彼は、中国滞在中、〈
大杉栄やマリリン・モンロー、田中角栄などなど、吃音を抱えて活躍する人は数多い。が、社会生活への不安や恐怖から死の誘惑に駆られる者も少なくなく、本書はそんな1人、髙橋啓太氏の物語から幕を開ける。
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〈髙橋啓太は、物心がついたころから思うように話すことができなかった〉〈「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ……」とどもって話すと、同級生みなが笑った〉〈髙橋はそのとき初めて実感した。どもるのは恥ずかしいことなのだ、と〉
吃音には主に「ぼ、ぼ」と同じ音を繰り返す〈連発〉、「ぼーく」と伸ばす〈伸発〉、「……(ぼ)くは」と頭の音が出ない〈難発〉の3つがあり、連発↑伸発↑難発と症状が進行しがちだという。
髙橋の症状も年々悪化し、高校も2年で中退。一度は人生を生きる意味を見失いかけた。3歳の娘の父親となった彼と著者が出会うより、18年前のことだ。
「僕は03年に旅に出る前、やはり吃音に関する記事を書いたことがあります。当時旅に暮らし、物を書くことで生きる道を模索していた僕にとって、それが初めて雑誌に載った文章でした。
そして08年に帰国して、再度このテーマに取り組み始めた13年の6月、NHK『バリバラ』の収録現場で髙橋さんと出会った。彼は当時、僕も吃音でしたとは言えないほどどもっていて、なのに娘さんに話すときは平気だったり、症状にブレがあるのも吃音の難しさなんです。僕自身は死のうとまでは思わなかったけれど、そのひと月後には札幌の新人看護師の男性が吃音を苦に亡くなられたこともあり、自分がテレビに出ることで吃音に悩む人の力になれればと言う髙橋さんのことをもっと知りたいと思った。
実は彼はこの出演を機に名古屋で相談室を開く言語聴覚士・羽佐田竜二さんと再会し、治療に再挑戦するのですが、本書はそれから5年間の彼の変化を追った人生の記録でもあります」
古くは病院で扱われることもなく、しつけのせいにもされた吃音のメカニズムは、実は今も解明されていない。特に日本は脳機能の器質的研究自体手つかずで、自身も吃音をもつ九州大学病院の菊池良和氏や前述の羽佐田氏らがかろうじて臨床にあたっているが、〈治すのか 受け入れるのか〉で立場は大きく異なる。例えば66年設立の自助団体〈言友会〉では、76年に伊藤伸二氏らが〈吃音を治そうとするべきではない。いかに受け入れて生きていくかを考えよう〉とする『吃音者宣言』を採択。近藤氏は〈本当にそうなのだろうか〉と違和感を綴る。
「彼らの宣言は当時としては新しかったし、携帯もSNSもない時代に吃音者が連帯していく上で、大きな意味があったとは思う。
ただ僕の経験から言うと、やっぱり治したいんですよ。いくら多様性が叫ばれようと、店員さんに今、この注文を伝えたいのが当事者で、僕もテリヤキと言えなくてチーズバーガーで我慢したりしてた。その点、羽佐田さんは治す派、菊池さんは受容派と、吃音者同士でも意見が分かれるんです」
大事なのは物事を慎重に見る姿勢
髙橋に無報酬での再診を申し出た羽佐田氏自身、警官時代に吃音で
「本書では〈隔膜バンド〉とか、昭和期に多数登場した怪しげな治療法の話にも触れましたけど、ご自身の経験を元に独自の訓練法を編み出した羽佐田さん同様、そこには自分の成功体験を広く役立ててほしいという良心もあったと僕は思う。
それほど吃音というのは症状も悩みも人それぞれで、
初著書『遊牧夫婦』でも彼は旅先で出会った人々の姿を複眼的に綴り、結論を急ぐことを嫌うかに映った。
「僕にとって吃音は人生を変えるほどの悩みだったけど、人にはそう見えなかったように、そう簡単にはわからないのが人間だからこそ、物事を慎重に見る姿勢を大事にしたいんです。
そしてこの
終章に吃音最大の難点は、その〈曖昧さ〉と〈他者が介在する障害〉であることとある。吃音はそもそも〈他者とのコミュニケーション〉の中で生じ、〈相手に不可解に思われたり驚かれたりすることに対する恥ずかしさや怖さ〉が人間関係の質そのものを変えてしまうのが、最もつらいのだと。
「ここでどもったら空気を乱すから笑っていようとか、相手も遠慮してるんじゃないかとか、それだけで会話の質って変わると思うし、昔は僕も自分だけが透明な膜の中に閉じ込められたような隔絶感を拭えなくて。その孤独感が仕事に就けないとか苛めとか、社会的な困難と相まって、吃音者を窮地に追い込むのだと思う。
ただ、本書に吃音の息子さんを持つお母さんが出てきますが、彼女が言うんです。〈苦労がある人、悩みがある人が、世の中をいいところにしているんじゃないかとも思う〉って。それも一つの真理かもしれないと、吃音だったからこの仕事に就いた僕自身、今は思えるようになった、かな?」
以前は我が子を他と比べ、
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2019年3.8号より)
初出:P+D MAGAZINE(2019/08/12)