【著者インタビュー】渡貫淳子『南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる』/「悪魔のおにぎり」考案者が経験した、極地での1年間は……

テレビやSNSで話題になり、商品化もされた「悪魔のおにぎり」は、南極でのエコ生活から生まれたものでした。限られた食材でやりくりし、時には涙も流した極地での1年間を、楽しげにいきいきと綴ったノンフィクション!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

高カロリーだけど夜食に最高! 「悪魔のおにぎり」考案者の〝南極料理人〟が綴るエコの知恵溢れる極地ライフ

『南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる』
南極ではたらく かあちゃん、調理隊員になる 書影
1400円+税
平凡社
装丁/アルビレオ 装画/イオクサツキ

渡貫淳子
14号_渡貫淳子
●わたぬき・じゅんこ 1973年青森県生まれ。エコール辻東京卒業後、同校の日本料理技術職員に。結婚し、出産後はいったん職場を離れるが、パート勤務で調理の仕事を再開。一念発起して南極観測隊の調理隊員に応募し、3回目で合格する。一般公募としては初めての女性調理隊員として、第57次南極地域観測隊に参加。帰還後は、伊藤ハム株式会社商品開発部に所属。南極で作った「悪魔のおにぎり」がテレビ出演を機に大反響を呼ぶ。163㎝、A型。

仕事の種類により忙しさは異なるが、量を比較せず率先して手伝う思いやりがあった

 広大な南極大陸で気象や地質などの観測を行う南極地域観測隊。政府機関の研究員や企業派遣のほか、公募の専門職も参加している。第57次観測隊の調理隊員、渡貫淳子さんもその1人だ。一般公募の調理隊員としては初めての女性で、子どものいる女性が参加するのも初めてのことだった。
 観測隊には、白夜の時期だけを過ごすので〈日帰り〉とも呼ばれる〈夏隊〉と、1年を過ごす〈越冬隊〉がある。渡貫さんは越冬隊の一員として、〈2000品目、30トンを超える食糧〉をもう1人の調理隊員と用意し、朝昼晩の食事と夜食やおやつを提供してきた。
 大陸から約4キロ離れた島にある昭和基地で生活する越冬隊の隊員は30人。調理隊員も食事作りだけしていればいいわけではない。土木作業の手が足りなければ、〈コンクリートを練ったり、そのコンクリートで車庫のスロープを作ったり。足場を組んで風力発電の建設作業も手伝った〉こともあり、〈慣れない作業で筋肉痛になったり、知らないうちに体中に青あざができていた〉。
 限られた人数、ギリギリの物資で送る極地での1年間の生活を、トラブルも含めて楽しげに、いきいきと書いたのが本書である。

「南極観測隊のメンバーって、世間からは何でもこなす猛者みたいなイメージでしょうけど、全然そんなことはないし、人格者でも品行方正でもありません。どちらかというと社会不適合者の集団です(笑い)」
〈昭和基地は文明社会の縮図のようなもの〉。トラブルも日本で起きるものと変わらない。誰それはトイレットペーパーが芯だけになっているのに交換しない、誰それはご飯の時間にいつも遅れてくる。些細なことが問題になる。
 渡貫さん自身、年上の観測隊員と、観測隊の食事をめぐって喧嘩になったことがある。悔し涙もうれし涙も、自分が泣く場面が実にさっぱりと描かれている。何しろ、〈隊長室にあるBOXティッシュを一番使ったのは私らしい〉のだ。
「喜怒哀楽を隠さずに生活させてもらいました。女性が泣くことを卑怯だと読者に受け取られるかもしれないと思いましたが、だって実際、涙が止まらないんですもん(笑い)」
 渡貫さんの専門は和食。〈相方さん〉として紹介される男性の調理隊員はフランス料理が専門だが、相方さんがサバの味噌煮をつくり、渡貫さんがローストビーフを焼いたことも。調理隊員には〈自分の専門分野だけでなく、ありとあらゆる料理を作れるスキル〉が必要とされる。
 他に必要なのは、〈1年間分の食糧を1回で仕入れるスキル〉〈ケの日だけでなく、ハレの日にも対応できるスキル〉である。
 食費はあらかじめ隊員の給料から差し引かれていることもあって、献立には神経を使うそう。
「隊員さんには好きなものを食べる自由がないんです。出されたものが好みに合わないからってコンビニに行くこともできませんから、できることは極力やりました。食の好みのアンケートも取ったし、出身地に合わせて醤油や味噌も各種仕入れて。名古屋出身者のために『つけてみそかけてみそ』という調味料を持って行ったりもしましたね」
 食材は途中補給されない。足りなくなるのは困るが、余らせてムダにもできない。リメイク料理でごみを出さないように工夫、それでも出る生ごみは焼却して灰をドラム缶に入れ持ち帰る。
 毎週金曜日に作るカレーライスは、余った食材を活用できる〈リメイクの神〉。カレーはさらにカレースープにして、いちいち鍋を洗わずに済むようにした。
「出たごみの重さを毎食計るんですが、バケツの中のごみが少ないと、すごい達成感がありました」
 天かすとあおさのりを入れ、てんつゆで味付けして握った〈たぬきのおにぎり〉も、そんな工夫から生まれた一品だ。隊員が〈悪魔のおにぎり〉と名づけ、帰国後にテレビやSNSで話題に。ローソンが独自に商品化して爆発的ヒットとなる。

朝3時に揚げたカレーパン

 隊員の誕生日やお花見、〈氷山流しそうめん〉など、行事を大切にするのも観測隊生活の特徴。クリスマスや年越しそば、おせちに餅つき、次の隊の歓迎会や最後の晩餐会もやった。
「20年ほど調理の仕事に携わってきて、自分がどんな料理人になりたいか明確ではなかったんですけど、私は、食べてくれる対象がはっきりしているほうがモティベーションは上がるというのがわかりました。観測隊の仕事は楽しくて、やりがいがありましたね」
 つらかったのは白夜だ。
「外が明るいと寝られないんです。私は窓に足を向けて寝ましたけど、段ボールで窓に目張りをする人もいましたね。それに日が沈まないと皆さん交代で24時間働くんです! おやつや夜食の量も増えるので、朝3時にカレーパンを揚げていた日もありました」
 2人体制とはいえ〈調理隊員の拘束時間はどうしても長く〉なったが、観測隊には〈仕事量を比較してはならないという暗黙の了解がある〉のだそう。
「比べてたら、争いにしかなりませんから。仕事の種類も違うし、全体の中で自分の仕事のボリュームが軽いと思う人は、率先してほかの手伝いに入ります。やらなくてもいいのに、それって思いやりですよね」
 閉鎖空間で男女が暮らすうえでの配慮もある。基地では、〈男性隊員には触れない、肩をポンと叩くことすらしないと決めていた〉そうだ。30人中女性隊員は5人。渡貫さんは女性の最年長、既婚者ということもあり、「下着が透けないように注意してもらえないかな?」といった言いづらいことを男性隊員から伝えられたりもした。
 仕事は主に室内だが、屋外作業に出る機会もあった。雪上車を運転し、人工物がない真っ白い世界を何時間も走ったこともある。
 一年たち再び夏を迎えると、〈MUKAENIKITAYO〉という国際信号旗のメッセージとともに迎えの船「しらせ」が来る。船までヘリコプターに乗ると、氷が溶け、自分たちが立てたルートを示す旗がすべて流されているのが見えた。
「あのときは、これまでの人生で味わったことのない喪失感でした」
 観測隊OBの大半は「もう一度、南極に行きたい」と希望する。もう一度〈あの景色を見に行きたい〉と願う渡貫さんもその1人だ。

●構成/佐久間文子
●撮影/藤岡雅樹

(週刊ポスト 2019年4.19号より)

初出:P+D MAGAZINE(2019/10/04)

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