百人一首の“恋愛の歌”セレクション
小学校や中学校で勉強した人もきっと多い、「小倉百人一首」。100首もの歌があるうち、恋愛の歌はなんと43首もあることをご存じでしたか? 今回は、百人一首の中から選りすぐりのロマンチックな恋愛の歌を紹介します。
百人一首の舞台は、およそ800年前。当時の恋愛というと、堅苦しくて難しそうなイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。しかし、当時の人たちも、わたしたちと同じように愛しい人を思い、別れを悲しみ、恋に悩んでいました。今回は、百人一首の恋愛の歌を、現代の恋愛風に解説しながら紹介します。
あなたと離れて眠る夜は、こんなにも長い。――【待つ恋】
〇〇三 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(訳:山鳥の垂れ下がった尾のように長い夜を、私は一人寂しく寝るのでしょうか。)
作者は柿本人麻呂で、飛鳥時代の歌人です。山鳥には一匹で寝る習性があることと、山鳥の尾の長い様子から、恋人の来ない長い夜を一人で過ごす、わびしい気持ちを表現しています。
この時代は、「通い婚」と呼ばれる結婚の形式が一般的でした。通い婚とは、結婚しても同居することなく、夫が妻の家に通うというもの。男が何人もの妻を持つことが当たり前だった時代なので、夫が他の女の家に通っている時には、妻は一人で待つことしかできません。
そんな寂しい一人の夜を現代の恋愛風に表現すると、こうなります。
「あなたはきっと今頃他の女の子と楽しく過ごしているんだろうけど、わたしはそれを知る手段も責めることもできない。一人で過ごす夜は長くて寂しい、ああ、早く会いに来てくれたらいいのに……」
彼女を放って他の女の子と会うだなんて、今の時代ならただの浮気や不貞です。でも、「ご飯だけだから」「浮気はしてないから」と、彼女の気持ちも考えずに他の女の子と会っている男性も、少なくないのではないでしょうか。彼女が一人で寂しい夜を過ごしていることを、忘れないようにしてくださいね。
ほんの少しの間でも会いたいのに、それすら叶わない――【逢わざる恋】
〇一九 難波潟 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(訳:難波潟の、葦の節と節の間のような短い間ですらも、あなたに逢わずにこの世を過ごしていけと、そうおっしゃるのか。)
「葦」は、水辺に生息するイネ科の植物。短い間隔でたくさんの節があることから、「ふしの間」と「ほんのわずかな時間」が掛かっています。
自分はこんなにも相手を恋しく思っているのに、ほんのわずかな会う時間すらも作ってもらえない。あなたに会えないこのままで人生を過ごしていけと言うのですか? と、非難を込めた思慕を歌っています。
そんな会いたい気持ちを込めた歌を現代の恋愛風に表現すると、こうなります。
「忙しい忙しいって言ってなかなか会いに来てくれない! わたしはこんなにもあなたのことが好きなのに! あなたに会えないままつまらない日々を過ごせって言うの!?」
口語っぽく表現すると、なんだかわがままな女性の印象になりますね。「仕事とわたしどっちが大事なの?」なんて彼女に言われて辟易している男性も多いのではないでしょうか。彼女を大切に思う気持ちをしっかりと伝えたうえで、せめて「ふしの間」くらいは、彼女との時間を作ってあげると、彼女もきっと喜ぶと思います。
一度も会ったことのないあなたを、恋しく思ってしまう。――【未だ逢わざる恋】
〇二七 みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
(訳:みかの原を湧き出て流れる泉川の「いつみ」ではないが、その人をいつ見たと言っては、恋しく思う。本当は、ただの一度も見たことなんてないのに。)
この歌には何通りか解釈がありますが、一度も会ったことのない女性への恋を歌ったという説が有力です。
当時は、男性が「○○家の娘が美人らしい」という噂を聞いてラブレターを送り、何度か手紙のやり取りをした後に、簾越しに会話するために女性の元へ通う、という恋愛の流れが一般的でした。そのため、顔を見たこともない相手に恋をするのは、当時は普通だったのです。
そんな顔も知らない相手への思いを込めた歌を現代の恋愛風に表現すると、こうなります。
「ネットでやり取りしているあの人、顔は知らないけどきっと素敵な人なんだろうなあ……会ったこともないのにこんなに好きになっちゃってどうしよう?」
Twitterやオンラインゲーム内での交流を通じて、顔も知らない人と仲良くなることは、今や普通のことになっています。実際に、Twitterやゲームを通じて知り合って結ばれた人たちも少なくないようです。平安時代のような恋愛をしていると考えると、素敵なことかもしれませんね。
隠していたつもりなのに顔に出てしまうほどの思い――【忍ぶ恋】
〇四〇 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで
(訳:この思いを人に知られてしまうことのないよう隠してきたけれど、とうとう顔色にまで出てしまっていたようだ。何か物思いをしているのではないですかと、人に尋ねられるほどに。)
「忍ぶ」とは、人に知られないように心に秘めておくこと。自分が誰のことを好きか、できるだけ周りには知られたくないと思うのは、今も当時も同じです。
自分では恋心を隠せているつもりでも、ふとした瞬間に相手を目で追ってしまったり話しているときに表情が緩んでしまったり、他の人から見たらとても分かりやすいと感じられることもあります。他の人から「あの人のことが好きなの?」と聞かれて自分の恋心に気付く、という経験のある方もいるのではないでしょうか。
そんな甘酸っぱい秘めた恋心を詠んだ歌を現代の恋愛風に表現すると、こうなります。
「『最近あいつのことよく見てるけど、もしかして好きなの?』って聞かれてしまった。隠してるつもりだったのに、友達には気付かれてた……本人にも気づかれてたらどうしよう!?」
いかにも女子高生が昼休みに恋バナをしている様子が目に浮かびます。今も昔も、皆人のうわさ話が好きなのは変わりません。好きな人に思いが知られていたらどうしよう、と悩む気持ちを、当時の人たちも今と同じように味わっていたのですね。
あなたが振り向いてくれないうえに、私の評判まで落ちるだなんて――【恨む恋】
〇六五 うらみ侘 ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
(訳:つれないあなたを恨んで、涙で袖が乾く間もないままぼろぼろになってしまいました。それどころか、悪い噂で私の評判が落ちてしまうのも惜しいことです。)
作者は、恋多き女性として知られ藤原定頼の恋人でもあった、相模。振り向いてくれない男性を思って、流れる涙を袖で何度も拭いながら、もう恨む気力もなくなってしまった様子を表現した歌です。
涙を袖で拭っていたせいで、着物の袖は乾く間もなくぼろぼろに朽ちてしまいます。それどころか、「あの方は恋に破れて毎日泣いて過ごしているらしい」と悪い噂を立てられ、自身の評判も落ちてしまうのです。恋も上手くいかず悪い噂も流されるなんて、まさに泣きっ面に蜂と言ったところでしょうか。
そんな恋に破れてぼろぼろになった女性の歌を現代の恋愛風に表現すると、こうなります。
「たかが恋愛なんかで自分の評判を落としてたまるものかって思っていたけれど、気持ちも努力も空回りしてしまう。恋をすると馬鹿になるって本当だったのね。何一つ上手くいかないわ。」
まるで、初めて恋を知った真面目な女性が、恋に振り回されているシーンのようです。好きな人ができて、手探りで努力しても思いは通じず、失恋のせいで勉強や仕事も手につかなくなってしまう。「あの人最近どうしたの?」「どうやら失恋したらしいよ」と噂されて、心もボロボロ。そんな経験がある方もいるのではないでしょうか。
おわりに
現代風に解説することによって、時代背景は違えど、当時の人たちも今と同じように恋愛を楽しんでいたことがわかったことかと思います。恋愛の参考になった方もいるのではないでしょうか。
今回紹介した百人一首の恋愛の歌を通じて、当時の人たちの恋愛模様に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。他にも恋愛の歌はたくさんあるので、自分で意味を調べて当時の様子を想像してみるのも面白いかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2019/12/25)