【連載お仕事小説・第2回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評新連載、第2回。主人公の七菜(なな)は、毎日仕事に全力投球! そんな七菜が、故郷を出て、テレビドラマ制作の仕事に就くまでの背景とは? そして、上司の頼子が腕によりをかけて作る、温かくて心のこもった「ロケ飯」が彩る、長く過酷な撮影の日々。七菜の前向きに頑張る姿に、あなたも元気をもらえること間違いなしです。

 

撮影が進む、テレビドラマの制作現場。主人公の七菜(なな)は、テレビ局の下請け制作会社のAP(アシスタントプロデューサー)。上京して今の仕事に就くまで、背景にはどんなエピソードがあったのか……? 無我夢中で働く七菜だが、上司の頼子の「ロケ飯」作りを手伝うことも大切な仕事のひとつ。どんなに大変な時でも心を込めたロケ飯を振る舞う頼子からは学ぶことも多く……。

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」に勤める31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。  

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

 

【本編はこちらから!】

 七菜の勤めているのは、テレビドラマを専門とする番組制作会社「アッシュ」だ。会社は赤坂にあり、ロケのないときはひとり暮らしの中野のマンションから通勤している。
 故郷は広島だが、中心部の広島市ではなく、島根との境にある小さな町だ。その町で七菜は生まれ、二十四歳で上京するまで育った。家族は両親と祖母、そして兄の五人。稲作を主な産業とする町で、七菜の祖母も両親もずっと米の栽培を仕事として生きてきた。
 見渡すかぎり一面に広がる水田、ときおり見える小さな林はそれぞれの家の墓地だ。民家は山すそに点在し、隣の家まで行くのに自転車で十分はかかる。実家を始め、どの家も大きくどっしりした造りで、広い前庭を持ち、そこで鶏を飼ったり自家用の野菜を栽培している。
 どこまでも広がる空と田んぼと長いながい一本道。それが七菜の原風景だ。
 事件らしい事件も事故もなく、よく言えば平穏、悪く言えば退屈極まる町。
 祖母や両親はなんの不満も疑問もなくその地で過ごしていたが、若い七菜にとっては逃げ出したくなるほどなんの面白味もないところに故郷は映った。
 兄も同じように感じていたらしく、大学で東京に出るとそのまま運輸会社に就職し、実家に戻ることなく東京で所帯を持った。いまは姪や甥を含めた家族四人でトロントに駐在し、実家には年に一度くらいしか帰ってこない。
 七菜も兄と同じように東京の大学に進みたかったのだが、家族、特に母の「女は自宅から通うものだ」という強硬な反対に遭い、仕方なく自宅から通える短大を選んだ。
 短大を卒業し、就職したのは地元の信用金庫。
 母は「これ以上ないくらいのいい就職先だ」と喜んだが、見飽きた小さな町で同じ仕事を繰り返すだけの毎日に、七菜は言いようのない強い焦燥を感じた。
 このままではだめだ。
 ここで一生を終えるのだけはまっぴらごめんだ。
 三年間勤め、預金が二百万となった二十四歳の夏、七菜は「家を出る。東京で働く」と家族に告げた。
 予想通り母は猛烈に反対してきたが、「お兄ちゃんと一緒に住むから」と、まだ独身だった兄をダシにしぶしぶながらも了承を取りつけ、ようやく家を出ることができたのだった。
 兄との同居は、兄が結婚するまでの約二年つづいた。
 その間七菜は、飲食店やコンビニでバイトをしながら「東京」という巨大な都市にじぶんをじょじょに馴染ませていった。
 兄が新生活を始めたのをきっかけに、七菜も念願だったひとり暮らしを手に入れる。
 ほぼ同時にネットで見つけたのが、アッシュの「制作部門正社員募集」記事だった。
 もともと映画が好きな七菜は、この記事に強くひかれた。父のいちばん下の弟である叔父が大の映画好きで、まだ幼かった七菜に、そのころまだ珍しかったビデオで古い洋画や邦画の名作をことあるごとに見せてくれたのがそもそものきっかけだと思う。
 映画とドラマでは全然違うということはわかってはいたけれど、テレビドラマの制作という、それまでまったく縁のなかった世界に七菜は強い興味を感じた。「だめでもともと」という軽い気持ちで応募したのだが、運よく採用されることとなる。
 以来五年間、七菜は頼子の下でアシスタントプロデューサーとして働いている。
 二十四で故郷を出てから七年。無我夢中で走りつづけ、いま七菜は三十一歳になった。 

 三人を乗せたロケバスが、住宅街に建つ真新しい公民館の前に停まった。ほかのスタッフに頭を下げ、まっさきに飛び降りる。
 ガラスでできた両開きのドアをちからいっぱい引き開けたとき、七菜の視界の隅に、公民館の前庭に置かれた日あたりのいいベンチで、熱心にスマホをいじる大基のすがたが映った。
「平くん! なにやってんのよ、そんなとこで」
 つい苛立ちの混じる声が出る。
「あ、お疲れさまでーす」
 スマホから視線を上げることなく大基が応じる。
「あのねえ、平くんねえ」にじり寄ろうとした七菜の腕を、
「んなことしてる場合じゃないっしょ」李生が掴んだ。
 すでに頼子は公民館の一階右奥手にある給湯室に向かっている。説教したい気持ちを抑え、七菜もなかに入る。
「おれ、これ監督に届けてくるんで」
 レジ袋を振り、李生がすでに撮影準備の始まっている二階会議室への階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。頷いて七菜は、駆け足で給湯室へと走る。
 メインの撮影場所兼メイクルーム、控え室として借りているこの公民館は、一階に八畳と六畳の和室があり、二階がリノリウム張りの広い会議室になっている。
 撮影はおもに二階の会議室で行われ、八畳間が俳優やスタッフの控え室、そして六畳間がメイクと衣裳部屋として使用されていた。
 給湯室に飛び込む直前、七菜は対面(トイメン)にある六畳間をちらりと覗いた。
 左手の壁際には衣装がびっしり下げられたハンガーが据えられ、掃き出し窓の前に置かれた長机ふたつの上には小道具や持ち道具がきちんと並べられている。
 そのすき間を縫うように、三列、長机と椅子が設置され、鏡やメイク道具一式が置いてあった。廊下にいちばん近い長机には次のシーンの出演者が座っており、メイクのチーフである愛理が俳優の顔にファンデーションをはたき込んでいた。
 鏡に七菜が映ったのだろう、愛理がすばやくこちらを見た。七菜は声を出さずに「ありがとう」とつぶやく。目だけで笑んだ愛理は、ふたたびメイク作業に戻った。
「七菜ちゃん、早く」頼子の声に、
「はい」七菜は給湯室に飛び込む。
 狭い給湯室のコンロにはすでに巨大な寸胴鍋(ずんどうなべ)がふたつかけられ、弱火で温められている。バターのよい匂いが鍋から立ち上る。
 鍋の前に立った頼子が、計量カップで(すく)った小麦粉を少しずつ振るい入れながら、長い木べらで鍋を()き回している。横に立ち、七菜は鍋を覗き込む。黄金色に溶けたバターのなかに、炒められて透明になったみじん切りの玉ねぎと、さいころくらいのじゃがいもが浮かんでいる。細長く刻まれたベーコンは、脂がすでに溶け出し、白かったふちが透明に変わっていた。
 小麦粉を振るい入れる合い間に、頼子が白ワインを鍋に垂らす。隠し味に白ワインを入れるのは頼子独特のレシピだ。ワインのほのかな甘みと酸味が加わることで、ホワイトソースのこくが増す。
「ピーマン、刻んで。一センチ角でね」
 鍋から視線を外さず、頼子が指示を出す。
 頷き、手を洗ってから、七菜は金ざるに山と盛られたピーマンをひとつ、掴み出した。包丁を右手に持ち、左手でピーマンをまな板に固定して、七菜はまずへたを落とす。つづいてふたつに割り、びっしり詰まった種を掻き出しては生ごみ入れに捨てていく。種を取り除いたピーマンを上下に重ね、なるたけ同じ大きさになるよう包丁で刻み始める。
 給湯室で作られているのは、昼食にロケ弁当に添えて出す牡蠣のチャウダー。
 二月初旬、一年で最も寒い季節、冷えたロケ弁だけではスタッフも俳優も食が進まない。そのため頼子が中心になって、手づくりの温かい汁物を出すのが七菜を含め、アッシュ制作部の大事な仕事となっている。
 同じような仕事はどの現場でも行われているが、手間をかけるのを面倒くさがり、インスタントのみそ汁やスープだけで済ませる現場も多い。
 だが頼子は違った。
「長くてしんどい撮影、チームのみんなに少しでも喜んでもらえたら」と、毎日、いちから手づくりの料理を振る舞っている。
 頼子のこころのこもったロケ飯は、味も栄養バランスもばつぐんで「頼子さんのロケ飯が食べられるなら」と、仕事を引き受けてくれる俳優やスタッフもいるほどだ。
 その期待にこたえるべく、どんなにスケジュールが押して大変なときでも頼子は腕によりをかけたロケ飯をこしらえる。それは頼子がこの仕事を始めたころからの信念で、ゆえにもはやこの業界で「板倉頼子のロケ飯」を知らぬものはいないほどの名物になっていた。
「ピーマン、切り終わった?」
 鍋に牛乳をそそぎながら頼子が問う。
「まだです」
 必死に手を動かしながら七菜はこたえる。ピーマンの山は半分ほどに減っていたが、なにせ五十人分のチャウダーだ。切ってもきってもなかなか終わりが見えてこない。
「こっち終わったから手伝うね」
 長い柄のおたまで、ふたつの鍋をぐるりとおおきく掻き回してから、頼子が愛用の包丁と木のまな板を七菜の横に並べた。狭い給湯室、七菜と頼子はぴったりくっついて作業するしかない。
 頼子がピーマンを鮮やかな手つきで刻み始める。
 七菜が一個刻むあいだに、頼子は三つ、それもきちんとかたちの整った刻みピーマンを作ってゆく。
 相変わらず見事な手さばきだなあ。思わず七菜は頼子の手先を見つめてしまう。
「手を止めない!」
 包丁を動かしつつ、頼子が注意する。あわてて七菜は新しいピーマンに包丁を入れる。手もとが狂い、へたが半分残ってしまった。じぶんの不器用さに七菜は泣きたくなってくる。
「あとどれくらいっすか。小岩井さんがもう限界です」
 給湯室に飛び込んできた李生が叫ぶ。
「二十分、いえ十五分待って」頼子が叫び返す。
「了解」
 ひと言こたえ、ふたたび李生が階段を駆け上がっていく音がした。
「こっちはわたしやるから、七菜ちゃん冷蔵庫から牡蠣とあさり出して。どっちも塩振って流水でよく洗って」
「え? 今日は牡蠣のチャウダーのはずじゃ」
「牡蠣は食べられないひともいるでしょう。だから牡蠣とあさり、二種類作るの」
 刻みピーマンの山を作りながら頼子がこたえる。
 さすが頼子さん。冷蔵庫から牡蠣とあさりのパックを出しながら七菜は感心する。このあわただしいなか、そこまで気が回るとは。
「それが終わったらここはもういいから、二階の現場に入って」
「わかりました」
 七菜は新しい金ざるに牡蠣とあさりを移した。
 指示通り洗い上げ、「じゃ上、行ってきます」七菜は頼子の背に声をかける。
「完成したらすぐ伝えるから、レシーバー忘れないでね」
「はい」
 タオルで手を拭ってから、七菜は給湯室を飛び出した。

 

【次回予告】

緊迫する撮影現場へ戻る七菜! トラブル発生、険悪な雰囲気を救ったのは……!?

〈次回は1月31日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/01/24)

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