藤田達生『藩とは何か 「江戸の泰平」はいかに誕生したか』/日本の社会を変えた「藩」を知る

現代の都道府県へとつながる、江戸時代の「藩」とはいったい何だったのか? 大きなスケールで歴史認識を試みる一冊を紹介します。

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
山内昌之【武蔵野大学特任教授】

藩とは何か 「江戸の泰平」はいかに誕生したか

藤田達生 著
中公新書
860円+税

藩は「コンパクトシティ」だったとの見方に啓発される

 幕府と藩から成る江戸時代の幕藩体制のうち、藩は沖積平野に造られた城を中心に発展した。長期に及ぶ戦争経済はバブルを発生させたが、朝鮮出兵の失敗によってバブルがはじけた結果、健全な内政の充実を図る動きが出現した。
 地方城下町の築城は、全国を統一し安定した中央政権をつくった徳川家康ら三代の将軍と大名のタイアップによって進められた。1万人を越える都市人口をかかえ、上下水道や糞尿処理や衛生問題を処理する地方大名と家臣団の結集こそ藩を成立させたのだ。藩づくりの名手が築城の名人だったことは偶然ではない。
 その第一人者は藤堂高虎である。高虎は、津藩と城下町の建設者として知られるが、子の高次に、大名とは将軍から「大事の国を預」かっていると教え諭した。このとは藩のことである。高次も藩を私有するでなく、当座の領主にすぎないと認識した。これは預治よち思想と呼ばれるものだ。豊臣秀頼が健在だった頃、家康は5万石以上の大名に正式な領知宛行状りょうちあてがいじょうを出せなかった。初めて出した例こそ高虎である。
 それは、高虎が軍事力と普請技術を持つ家臣団を養い、それを支える財政基盤や農民支配を安定させた藩を事実上他に先駆けて誕生させた力量を評価した点と無縁ではない。
 藩の成立には多士済々の家臣が必要となる。家の子郎党だけでなく有能な「渡り奉公人」、僧侶や農民など色々な階層から人材を発掘した藩の成功例こそ高虎と津藩であった。
 廃藩置県と呼ばれるように、現代の都道府県も藩の伝統の延長にある。著者は、城下町建設による藩の誕生は、現在の「地方消滅」の危機への対応策たるコンパクトシティを考える上で、歴史的前提になるのではないかと、大きなスケールで歴史認識を試みている。
 確かに、慶長から寛永年間に誕生した町と藩こそ、数千人から数万人の人口を擁するコンパクトシティだったという見方には、おおいに啓発される。

(週刊ポスト 2019年10.4号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/04/09)

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