土と自然と縁に囲まれて暮らす「余った生」など無用の生き方 「源流の人」第5回:大貫妙子(シンガーソングライター)

時代に流されず、 常に新たな価値観を発信し続ける人々を追う、本の窓の連載「源流の人」。第5回はシンガーソングライターの大貫妙子。湘南に暮らして三十余年。世間に合わせず自然体で生きる歌姫を国境を超えた若い世代が再発見し始めている。

 


連載インタビュー 源流の人 第5回    
時代に流されず、 常に新たな価値観を発信し続ける人々を追う

土と自然と縁に囲まれて暮らす
「余った生」など無用の生き方

 
大貫妙子
シンガーソングライター(67歳)


インタビュー・加賀直樹

時代を映すような歌詞には興味がない

「世の中、何が起こるか分かりません。どんなことがあっても、誰かのせいにしているだけでは解決しませんから。現実と向き合って、姿勢を正し、自分の軸をきちんと作っておきましょう」
 大貫妙おおぬきたえは、あの透明感のある特徴的な声で、そして揺るぎないまなしで、こう語り始めた。この夏、Netflixで全世界に独占配信されたアニメシリーズ『日本沈没2020』で、大貫と坂本龍一による楽曲「a life(エー・ライフ)」が主題曲に選ばれた。大貫が紡いだ歌詞には、こうつづられている。
「汗を流そう、ごはんを食べよう、ぐっすり眠ろう、つま先まで」
「悲しいことばかり、伝えてくるNEWS、心の力で飛び越えよう」
 じつは、この楽曲が発表されたのは、二〇一〇年のことだ。今回、小松左京のベストセラーを初アニメ化するにあたり、制作サイドの強い意向によって選曲されたという。プロデューサーの厨子ずし健介けんすけ氏は「世界観が『日本沈没2020』のテーマとシンクロし、聴いているとイメージが際限なく広がっていく曲。作品を形作る上で不可欠だった」と評している。大貫はこう話す。
「十年前の楽曲で、坂本さんと作った『UTAU』というアルバムの中の一曲です。坂本さんが書き下ろした曲で、私が歌詞を書きました。みんながTwitterを始めた時期で、私なら何をつぶやくだろうと考えて。普段大切に思うことを書いただけなんです。とてもシンプルなことなんですが、時代のほうが複雑になってきたので逆に今フィットしたのかもしれません」
 ここ数年は、海外の幅広い世代からの支持が広がっている。とりわけ注目されたのは、二〇一七年夏に放映されたテレビ東京系のバラエティ番組「Youは何しに日本へ?」だ。若いアメリカ人男性ファンが、大貫のセカンドLP「SUNSHOWER」(一九七七年発表)を手に入れるために来日。中古レコード市場にあまり出回っていない名盤を探し求め、都内じゅうの中古レコード店を訪ね歩き、奇跡的に入手を果たす姿がオンエアされたのだった。番組は大きな話題を呼び、アルバムはその後、LPとして再プレスが決定。二〇一九年秋には、過去の楽曲の全世界配信も始まった。ネットの波は国を越え、熱い支持を広げている。このような新たなブームについて大貫はこう話す。
「きょとんとしている感じ(笑)。特に若い世代に聞かれているようですが。SNSの普及によって海外の方が日本の音楽を聴く機会が増えた、ということがあると思います。それまで日本は鎖国状態でしたから。鎖国を開いたのはYMOの功績が大きいと思います」
 大貫は、一九七三年、山下達郎、村松邦男らとシュガー・ベイブを結成。一九七六年からソロ活動を開始。日本のポップ・ミュージックにおける、女性シンガー・ソングライターの草分け的存在の一員で、透明感のある歌声と精緻な旋律が独自の世界観を生み出し、世代を問わず大きく支持されている。
「さあ、曲を書こう!」
「今やらないと締め切りに間に合わない!」
 そんなふうに自らを追い込み、大貫は制作に取り掛かることが多いという。
「集中力が強い方なので、とにかく始めたらすごい勢いで! でも、例えば今日、歌入れなのにどうしても一部だけ気に入らない。そういう時は、朝ごはんを食べながら紙と鉛筆を横に置いてギリギリまで考える。それで『あっ、できた!』(笑)。この一行、この一言、自分にとって納得いかないとねばりますね。諦めない」
 彼女が自らの過去の曲を聴き返すことは、普段あまりしないという。
「もともと、時代を映すような歌詞にはあまり興味がないですし、男の人が聴いても、女の人が聴いても『そうだな』と思えるようなものを書いていけたらと思っています」

自分の身体のことを信用してあげる

 音楽やラジオ、エッセイの執筆など、精力的に活動を続ける傍ら、大貫は、自然に対する畏敬の念をつねに抱き続けてきた。仲良しの友人のツテをたどり、秋田県北部・たねちょうの水田で約十年間、無農薬での稲作に励んだ。現在は稲作からは離れているが、大貫は当時をこう振り返る。
「田植え、草取り二回、収穫。年四回、飛行機に乗って、秋田空港からレンタカーで北上。すっごく高いお米になる(笑)」
 三種町は、じゅんさいの里で知られる。水がとても清らかで、稲作には澄んだ水が欠かせないことを知った。
つねに、土と接していたい。空気、水、食料さえあれば、生きていける──。漠然と抱き続けてきた思いが、確信に変わった日があった。二〇一一年三月十一日。
 仕事帰りで横須賀線に乗り、自宅へ向かう途中だった。車両や電柱が激しく揺れ、急ブレーキ。見知らぬ駅で降ろされ、どうにか辿たどり着いたビジネスホテルは満室だった。ロビーの小さな椅子で一夜を明かすことに。そして、テレビに映し出された巨大な津波が街を飲み込んでいく様子に、大貫は言葉を失った。深夜近く空腹を覚え、向かったコンビニで、たった一つ棚に残されていたのは即席カレーヌードル。お湯を自分で注ぎ、ホテルロビーに持ち帰り、蓋をあけるとロビーにカレーの匂いが漂い始め、慌てて玄関を出て寒空の下でそれをすすり、大貫はこう痛感した。
「お金なんて、いくらあっても、何の役にも立たない。モノが無ければ何も買えない」
 大貫が、体調をリセットする時にしていることがある。裸足になり、草や土の上を歩く。身体からだじゅうにまった電磁波を放出するのだという。「犬だって、具合が悪いと何も食べずに土の上に腹ばいになっているじゃないですか。動物に学ぶ、アーシングですね。海が近いので裸足で砂浜を歩くのも気持ちがいい。中学時代の親友が優秀な整体師になっていて、再会してからずっとお世話になっているので。もう四十年くらい医者に行っていないし、薬も、まったく飲まないんです」
 年末には、決まって高熱を出すというが、そんな時もふとんをかぶって、とにかく上がるだけ熱を上げる。例えばがん細胞は熱に弱いとされているので、自分でつくったものは自分でリセットする、という考えらしい。
「私は何十年も続けていて、自分の身体のことですしよく分かっているんですが、人それぞれですのでお薦めしているわけではありません。とにかく脱皮したような爽快感! 基本的に身体を冷やさないようにしているので、足湯とか腰湯も頻繁にしています」
 いくぶん蛮勇にも思えるが、大貫の主張によれば「何万年、何億年と人類が生きてきて、結局、同じことをしてきたと思う」という。「自分の身体を信用してあげよう。具合が悪くなるのはその理由があるわけで、それを除かなければ薬を飲んでも基本的に治らない。もしかしたら人間関係かもしれないし。自分の身体の声を聞こう、というのが大切。身体は正直です」

縁がある人に出会うべくして出会っている

 爽やかな潮風の吹き抜ける、神奈川県葉山町。この地に大貫は居を構えている。都内で育ってきたが、三十年以上前、バブル期で地上げの続く街に嫌気がさし、両親を誘い、移住したのだった。それ以来、仕事のために都内に部屋を借りた時期もあったが、両親とはずっと葉山の家で同居生活を続けてきた。
 震災翌年の三月に母親を、その一か月後に父親を、大貫は相次いで見送っている。二人の面影は家に残ったままだ。「最初の数年はすごくつらかったです」という大貫の心を癒やしたのは、入れ替わり立ち代わりやってくる猫たちの存在だった。
「今はちゃっかり、うちの猫になっちゃいました。外に小屋を作ってあげていたんですけど、台風のたびに吹き飛ぶので、『うちに入る?』って聞いたら『入る!』って(笑)。今の季節は外から泥足で入って来るので『足、拭いて!』と叫びながら追っかけてます。でも、全っ然、言うことを聞かない!」
 ガラパゴス、南極、アフリカ大陸──。一九九〇年代、大貫は地球を何周も駆けめぐっていた。津々浦々で起こった経験は見聞録としてまとめ、著書『散文散歩』などに収められている。パリ、ロンドンに拠点を移し、楽曲制作に励んだ時期もある。ただ、二〇〇一年の世界同時多発テロで、あのビルディングが倒壊する映像を見た瞬間、大貫の価値観がガラッと変わってしまったという。
「もう、以前のようには楽しめなくなりました。あのあとも世界中のいろんな場所で、テロが起きています」
 そして、このコロナ禍──。世界の往来や経済活動が文字通り止まった時には、大貫自身も鬱状態になりそうだったというが、こう思い直したという。
「『誰かが何とかしてくれる』とか、そういうふうに思わないようにしています。同時多発テロや津波でショックを受けましたが、でも、そのたびに強くなってきた。自分にとって何が大事で、必要なものは何かを常に考えている。そして、人と人とのつながりの大切さをあらためて思います」
 稲作を経験した大貫が思い知ったのは、第一次産業に対して世間があまりに無神経であることだ。「生産者の気持ちになれば、食の大量廃棄なんてことは、出来なくなります。日本ではカロリーベースで国内自給率が三十八%、これから各国が作物を自国で押さえ込んだら、どうなります? 足元から考え直さないと手遅れになるのではと懸念しています」
 熱く、真っ直ぐな大貫を、秋田で、そして大貫を囲む仲間が多いという札幌で、皆が笑顔で支えてくれる。すくすくと稲が育つためのすべを教えてくれたり、除雪を手伝ってくれたり。そして大貫のもとには、みずみずしい野菜や穀物が、どっさり届く。「皆、ご縁のおかげ」とほほ笑む大貫は、数十億の人間たちのひしめくこの星で、偶然の出会いのす尊さをかみしめている。大貫はこう話す。
「会うべく人と会っているんです。無理矢理、仲間に入れてよ、というのではなくて、スーッと結びつく。『これが良い』と自分が思う道をトボトボと歩いていて出会う人たちが、ご縁ということだと思うんです」

 コロナとともに生活があるいま、彼女の音楽はこれからどうかじを切っていくのか──。大貫は言葉を選びながら、こう話す。
「私は、自分だけのために歌っているわけではありません。売れる、売れないではなく、共感し合いたい。今回、先はまだ見えないですよね。だけど、でも世の中、変わりますよ、きっと」
 巣籠もり生活を送る間に大貫が気づいたこと。それは、ゴミの収集日に、かつてないほどのおびただしいゴミが出されるようになったことだ。大貫は言う。「空間がなければ何も入ってこない。空間があればあるほど、新しいモノが入ってくる。モノに限らず、頭の中も断捨離しないと。なので私は、個人でのTwitterはしていません。過剰な情報もなるべく得ずに風通しを良くしておこうと」
 たとえば百人が「いいね!」と言ってくれたとしても、たった一人が「最悪じゃん!」と言えば、その一人のために気持ちが潰れる。「ひとって、そういうものですよね。だから関わらない。そういう気持ちになりたくないから」電車に乗ると、乗客が皆、スマホとにらめっこしているのを大貫は奇異に思うという。
「首に横じわができますよ。本当、何を見ているの?」
「本を読んでいたり、鳥の声を聴いていたり、ただ庭を眺めていたりすると、ふっと、思いつく言葉がある。それを書き留めていく」「だから、家じゅう、紙切れだらけ!」。大貫は軽やかに笑った。

老後とか余生ではなく「スッと終わり」の生き方

 朝日が昇る前、猫の鳴き声で起こされ、たおやかな声を保つために、新鮮な野菜を摂る毎日。毎晩、本を読みながら床につくという彼女が、最近感動した小説は、『月まで三キロ』(伊与原新著)。死に場所を探しタクシーに乗った男を、運転手は山奥へと誘う。「実はわたし、一三八億年前に生まれたんだ」──科学のきらめきが、人の想いを結びつけていく短篇集だ。大貫はこう語る。
「これを読んだ時、涙が止まらなかった。この宇宙っていう広大な海のなかに、私たちはいるんだ、っていうものすごく大きくてあたたかいものに触れた気持ちになったんです」

歌のレコーディングでは必ず使用する愛用のマイク、ノイマンU47。宝物のように大切にしている。

 コロナの感染拡大の状況を考慮しつつ、秋にはコンサートを控えている。久しぶりの仲間と奏で合うステージが、今から待ち遠しい。共演メンバーの話になると、大貫の表情は殊更、快活になった。
「みんなすっごくプレイがうまくて、飲むと最高に楽しい! 結婚なんてしなくて大丈夫、っていうぐらい(笑)。お互い、リスペクトし合っていて仲良し。恵まれています」
 音を出した瞬間、言葉が不要になるプロフェッショナルな世界が広がる。ただ、それだけに、全てが正直に音に出る。だから気を抜けない、と大貫は言う。「レコーディングでも、やはり楽曲ありきなんです。なんかつまらない曲だとうまくいかないんです。皆、顔にも口にも出さないけれど、音楽に出ちゃう。だからいつも、まず彼らに気に入ってもらわないと。だからプレッシャーはすごくあります、毎回、試験受ける時みたいに緊張します」
 年齢を重ね、大貫が実感していること。それは、以前よりも声が出るようになり、声質が変わり、言葉にのせる思いが変わってきていることだ。大貫は言う。
「だから、(昔と今とを)比べられないです。ただ、自分では分かるので。『自分に対して新たな発見がなくなったら』辞めます。そうしたら、土と親しんでいきます」
 これまでも、そうして歩んできたように、これからも、あまり急がない。無理をせず、流れに身を任せてみる。ただ、「こうしていきたい」という方向性は、見失わない。「なるべくかんし、鳥の目になっていろんなことを見ようかと思っているんです」。そう大貫は語る。
 コロナ禍も一つの転機だと捉えていきたい。
「地球はいろんなことが煮詰まっている。幸せって何? 良い大学を出ても、国会中継で、政治家の後ろからペーパーを差し出す姿を見たらわいそうになる。ひとの幸せへの価値観もきっと変わっていくでしょう」
 六十代後半を迎えている大貫。これまで、長生きしたい、と考えたことはとくに無いという。その代わり、とくぎを刺し、大貫は最後に、こう言い切った。
「あたりまえだけれど、死ぬまで生きる。死ぬまで生き続けて、スッと終わりたい。ヘンでしょ、『老後』とか『余生』っていう言葉。『余った生』なんて(笑)。私、『老後』とか無いと思っている。だから『死ぬまで生きる』」

 
 

大貫妙子(おおぬき・たえこ)

1953年生まれ。父は特別攻撃隊の隊員であった大貫健一郎。1973年、山下達郎、村松邦男らとシュガー・ベイブを結成。1976年からソロ活動開始。シュガー・ベイブ解散後、同年『グレイ・スカイズ』を発売。1998年、映画『東京日和』で、第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。2019年10月、全世界に楽曲配信開始。2020年7月、Netflixにて全世界独占配信開始のオリジナルアニメシリーズ『日本沈没2020』(湯浅政明監督)の主題歌に、大貫妙子&坂本龍一による「a life」(作詞:大貫妙子/作曲:坂本龍一)が選出された。

【コンサート情報】
大貫妙子 Guest 原田知世 
~スノードロップ~
日時/2020年9月26日(土)
開演 17:00
会場/新宿文化センター 
 大ホール
◆場合により公演中止・延期の
可能性があります。
大貫妙子オフィシャルページ
http://onukitaeko.jp/info/top.html

 
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