【著者インタビュー】長浦京『プリンシパル』/終戦直後の日本を「反社」の視点で活写する怒涛のクライムサスペンス
日本が終戦を迎えた昭和20年、関東を牛耳る水嶽組の4代目が死去した。暴力と非道を常とする父を憎み、夜逃げ同然に家を出て教師として働いていた娘・綾女がその「代行」に就任するが……。政治や外交にも深く関与した時代の徒花の姿を描き、読者の心を抉る巨編!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
彼女が生まれた家では非情と外道が規律だった――ヤクザ×政界×GHQ 衝撃のクライムサスペンス!
プリンシパル
新潮社
2310円
装丁/新潮社装幀室
長浦京
●ながうら・きょう 1967年埼玉県生まれ。法政大学経営学部卒。出版社勤務を経て音楽ライター、放送作家として活躍。その後、指定難病の潰瘍性大腸炎で闘病生活を強いられ、2011年、退院後に初めて書いた小説『赤刃』で第6回小説現代長編新人賞を受賞、翌年デビュー。17年『リボルバー・リリー』で第19回大藪春彦賞。19年『マーダーズ』で第2回細谷正充賞。また昨年は4作目『アンダードッグス』が直木賞候補に。著書は他に『アキレウスの背中』。176㌢、97㌔、AB型。
善意の人が善意ゆえの使命感によって狂気に駆り立てられることは十分ある
表題は、主要な、重要ななどの意味をもつ形容詞で、名詞形ではバレエの主役や物語等の主人公をも示す。
長浦京氏の新作『プリンシパル』で主役を張るのは、昭和20年夏、信州から帰る道中の駅舎で玉音放送に接した、〈
父は戦前から関東を牛耳る〈水嶽組〉4代目だった。暴力と非道を常とする父を憎悪し、日野が巣鴨で営む女子寮に16歳で身を寄せた綾女は当然、〈あの狂った家には戻りたくない〉。が、長兄と三兄が出征し、次兄〈桂次郎〉も心を病む中、綾女を新生水嶽商事の社長代行に据えるべく、計画は既に動き出していた―。
*
舞台はそれこそ77年前の終戦の瞬間から、いわゆる55年体制が確立するまでの東京。その激動の10年を、今でいう反社の側に視点を置き、表裏一体に活写してみせた長浦氏は、「基本的に僕は、
「今回で言えば、47年当時、日本にいた全アメリカ人の給料の1・7倍の金が本国に送金されていて、物資の横流し等々で別収入を得る米兵がいかに多く、いかに日本は搾取されていたかという事実。他にも朝鮮戦争の現場に元日本兵がいたと、当時ソ連が国連に抗議したのも結局は事実でしたし、最近わかりつつある新説が意外と一般には知られていない、だったら僕が書こうというのが始まりでした。
最初は正直、戦後の話は避けたかったんです。専門家も多いし、既にやり尽くされた感じもあるので。ところがいざ調べてみると、小説にもドラマにもなっていない話が戦後77年経って逆に増えているのを感じたし、戦後史はまだ全く書き尽くされてなどいなかった。
僕は虚構の書き手だから尚更そう思うんだろうけど、
むろん祖父の代から知る大物代議士〈旗山市太郎〉や葉巻がトレードマークの〈吉野繁実〉、東京に帰る列車で偶然隣り合わせた後の大歌手〈美波ひかり〉も、
それにしても綾女が負う運命はあまりに過酷である。父への挨拶もそこそこに、近くに建つ〈青池家〉を訪れた彼女は、生後すぐに母を亡くした自分を育ててくれた乳母や、兄妹同然に育った〈修造〉、さらにその幼い妹弟たちと再会を喜び、昔は憎からず思った修造が結婚し、もうすぐ父になることも、心から祝福できた。
だがその直後、父が逝き、継母や戦地で左腕を失った古参幹部〈塚原〉から喪主を頼まれた綾女は、屋敷の物々しい警備にピンとくる。〈そうか。隠し持っているんだ〉〈横領した食糧や軍需物資があるのね。大量に〉
「特に終戦直後、ヤクザが生活基盤を支えたのは厳然たる事実で、身近な必要悪だった面は否めません」
だが綾女はそうした父の手法に失望し、巣鴨に戻ろうとした矢先、彼女を匿う青池家で銃声が。修造の指示で地下に隠れ、一夜明けて外に出ると、そこは無残に切り刻まれた一家の死骸や肉片が転がる血の海と化していたのだった。
「残酷は残酷ですけど、これくらいのことがないと跡は継がないんじゃないか、僕だって家族を殺されたらどうなるかわからないと、後々の動機のことを考えて、このシーンは書きました。
彼女は忠義に厚い青池の人々は自分のせいで殺されたと、まずは自分を責める。つまり、イイ人なんです。その善意の人が善意ゆえに、呵責の念をどこまで背負い、どこまで突っ走ってしまうかを、今回はとことん書いてみたかったんです。
特に綾女の立場では常に感傷より決断が求められ、その孤独と善意ゆえの使命感が、人を狂気に駆り立てることは十分あるだろうと。僕は『善かれと思って』という言葉ほど、恐いものはないと思ってますので」
死を必要以上に重くは思えない
そうこうして〈私の命を張ります〉と復讐を誓った綾女は、〈敵を一掃できたら、生きて退任。できなければ、死して辞任〉との条件で後継者代行に就任。当初は反対した幹部たちも〈今の台詞忘れませんぜ〉と、そこはヤクザの論理で了承した。
これを機に組を潰しにかかる新興勢力との抗争は一層激化、新宿や渋谷や池袋で闇市を成功させ、文字通りの近代商社として業務を拡大していく中でも、暴力は大いに物を言うのだった。
政治とのパイプもそう。旗山や吉野、GHQや米軍関係者らとの騙し合いでも、綾女は〈ボンボニエール〉の中に常備したヒロポンの助けも借りつつ果敢に渡り合い、隠れた才能を発揮。自責から死に焦がれ、究極まで冷え切った心境がどう変化していくかも見物だ。
作中、綾女が敵と対峙し、〈なんて軽いのだろう〉と自分自身も含む命の軽さに率直に驚く場面がある。
「これは、僕の実感です。今まで僕は持病の潰瘍性大腸炎やリンパ腫で何度も入退院を繰り返していて、すると周りも重篤な人が多いから、『親父、目を開けろ』とか『死なないで』という声が毎日聞こえてくる。そんな中でも食事の時間になれば『メリーさんのひつじ』の音楽と共に自動配膳機が回ってきて、僕らは普通に食べるわけです。そういう環境を経験していると、自分が生きるのに手一杯で、人の死を必要以上に重く思うことはできない。
確かに命は大事だけど、悲しんでも命の重さは急に重くも軽くもならないし、たぶん自分の死も
政治や外交、芸能に至る表の歴史にも深く関与した時代の徒花の姿を、謀略もアクションも盛り沢山に描く、怒涛のクライムサスペンスだ。「史実が既に劇的なので、物語部分は極力シンプルを心がけた」と著者は言うが、もはや虚も実も混然とした孤高の人の残像は、この国での物事の決まり方や処理の仕方の原風景とも重なり、読む者の心をただただ苦く抉る。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2022年9.2号より)
初出:P+D MAGAZINE(2022/08/25)