週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.35 TSUTAYA中万々店 山中由貴さん

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ニコデモ

『ニコデモ』
藤谷 治
小学館

 鳥肌が立つ、という表現は恐怖を感じたときにつかうものだと指摘されたことがあるけれど、感動が極まって全身をぶるっと震えが走ったとき、やはりぷつぷつ鳥肌が立つのは生理現象としてたしかにあることだ。本を読んでいてさーっと肌が粟立つほどの感情の高ぶりが起こると、ああこんなにも物語に没入していたんだなあと、はっとする。そこまでの作品に出合えたことにうれしくなってしまう。『ニコデモ』はそんな物語だ。

 

 瀬名ニコデモ。裕福な家に生まれてキリストにまつわる聖人の名前をもらい、神童と呼ばれた青年と、彼に名もない素朴な歌を聴かせた少年、鈴木正太郎との、昭和初期から現代にまでつながる数奇な運命を描くこのおはなしに、わたしはすっかりまいってしまった。

 ともに旅する正太郎がみちみち口ずさんだ歌を、少年とはぐれてなすすべなく、ただ無心に歌ったニコデモに、神の寵愛が舞い降りてくる。十六人の衣をまとった女たちが空からやってきて、「あなたの音楽は天上に愛された。あなたの願いは聞き届けられるがそのかわり、今後いっさい自分の利益のために音楽を使うことがあってはならない」という――。

 

 名もない唱歌に宿った不思議な力によって、ニコデモと正太郎はそれぞれの局面を切り拓いていくのだけれど、ただ一瞬交わったふたりの人生が、いっぽうはパリの留学生、もういっぽうは北海道開拓民として遠く離れていき、その後どんなふうに展開していくか、それはもう、ぜひとも読んでもらうしかない。

 語り手を替えながら時代が移ろい、わたしたち読者は登場人物たちとともに奇跡に遭遇する。ああ、ただただ、拍手!拍手!拍手! 紅潮した顔に驚きの表情を浮かべたまま、鳥肌の立った腕をさすりながら、わたしはその至高の歌を聴いた。

 

 この物語はまるで、数々の音楽小説を世に出してきた藤谷治さんの、とてつもなくおおきな愛に包まれた、壮大な祝福の曲のよう。いくつもの転調をくり返し、あるときは讃美歌のように、あるときは不協和音を響かせ、五線譜がうねっていく。その魔性にのみ込まれていくわたしやあなた。歴史には記されない、最小単位の人間を描くのが小説だと、作者はいう。そんなちっぽけな、寄るべない人間が奏でた音楽が、波紋となって時代を越えて広がっていくのをたしかに感じたんだ、なんていったら、あなたは笑うだろうか?

 

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