【特集】太宰治の世界

サイタサイタ青い花

人は何のために生きるのだ。
なぜ、人は学ぶのだ。
修治は人生のマラソンレースで
立ち止まり、考えはじめた。
じっと何かを見つめていた。
それが人間の「死」であった。

「栄光」というゴールめざして、人は学び、人は働き、人は生きる。
それが人生だと信じて、ここまで走り続けてきた修治は、走ることのむなしさを感じはじめます。
人間っていうのは、不思議なものでございまして、生きることの虚しさを知ってしまったら、なかなか元には戻れません。再び走り出そうにも気力、筋力ともについていけないからです。
官立弘前高校に入学以来、学業に専念してきた津島修治は、ここから急激に変化をいたします。
さきほどからお話いたしておりますマラソンレースでいいますと、芥川の自殺を契機に、レース中に立ち止まってしまうのです。まわりのランナーが額に汗して、将来の栄光を目指して走っているのを横目に、少し寄り道をしようと思いはじめたのです。
そして、マラソンが続けられている道路から少し横道に入ってみたというわけです。
やがて、この小道で修治は名もない花が咲いているのを見つけます。木々の梢に鳥が鳴いているのを聞きます。
いや、これはくだらない比喩でございますが、いままでに見たことのない世界を知ることになったのです。
芥川自殺から数週間後、修治はそれまで着ていたものを取り替えます。
結城紬に角帯、それに雪駄ばき。まるで粋人のようなスタイルで、なぜか義太夫を習いはじめるのです。
これまでの修治には考えられない趣味でした。さらには、その義太夫の師匠が芸者あがりだということもあって今度は花街にも出かけます。
何しろ、実家が大金持ちですから、まったく問題はありません。
そして、ここで修治は可隣な花を見つけます。人生レースとは無縁の道でひっそりと咲こうとしている蕾に思わず手を差しのべるのでした。
その名は紅子。当時十五歳の半玉。
まさに、この時に寄り道しなければ絶対に出会うことのない女性だったかもしれません。

義太夫、花柳界、それに読書。これが弘前高校一年の時の修治の生活。
これでは成績が下がるのも無理はありません。一年の最後には、三十五人中、三十一位。
(成績なんかどうでもいい。よくみんな一生懸命走ってられるよ)
修治はクラスメートとのレースをあきらめた時から、もっと世の中には大事なことがあると思いはじめたのです。それが、創作活動でした。
修治は勉強をそっちのけで、文芸に力を注ぎます。個人編集の同人誌『細胞文芸』を創刊し、その創刊号には、最初の長編『無間奈落』を発表。
実はこの小説、大変な内容でございまして、亡くなった父、津島源右衛門をモデルにした、何と、悪徳地主の物語といいますか、告発物だったのです。
そして、それを書きながら、自分の生まれた家を呪います。またそれだけではあきたらず、今度は自分をも呪う小説を書きはじめます。
小作人から搾取した金で、自分はぬくぬく生活をしていていいのか。そんな自分で恥ずかしくないのか。
レースを棄権して、寄り道をしてはじめてそれに気づいたわけです。さらに、その彼に追いうちをかける悲しい出来事が起こりました。
昭和四年一月、青森中学に在学中だった弟礼治が敗血症で死亡してしまいます。弟はもともと虚弱な体質でしたが、一生懸命兄の修治のあとを走ってきた弟が死んだのですから、その悲しみは大変だったようです。
走って、走って、それで死ぬのだったら、最初から走らない方がいい。
修治は次第に厭世的な気分になってきたのです。
学校は荒れている。左翼関係の生徒たちを不穏分子だとして、警察がマークしている。自分はどうあがいても、悪徳地主の子供。そのうえ、めんどうなことに、ちょっとやさしくしてあげた芸者の紅子までが、結婚をせまりだす。ああ、めんどくさい。

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連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:高野秀行(ノンフィクション作家)
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