ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第103回
仕事でもプライベートでも
約束を破れば最終的に
軽蔑されるのだ。
「リスペクトしている人物に軽蔑される」ほどキツイことはない。
特にエーミールは周囲からの評価も高い少年だったはずだ。
「誰にでも優しい」「仏」と呼ばれるような人格者が自分にだけ金剛力士像になったら、人間として終わった気持ちになるだろう。
みんなにリスペクトされているエーミールに侮蔑されたということは、もはやみんなに侮蔑されたと言っても良い。
そしてそれについて何の申し開きもできず、挽回すら許されないのである。
戦火に巻き込まれる自分や、猟銃で小動物を撃ち殺す自分はあまり想像できないが、そういう状況になっている自分は容易に想像がついてしまうから、この話は怖いのだ。
この主人公には「打ちひしがれた主人公を母親だけは優しく労ってくれる」という若干の救いがある。だが俺たちはもういい年すぎるため「そんなことをしたら紅に染まるのは当たり前だ」と周囲からも呆れられるだけで慰めてくれる奴はもういない。
つまり何が言いたいかというと、編集者がリスペクトできない存在すぎる、というのがそもそもの元凶ではないかという話だ。
編集者がリスペクトできる人物ならば、締め切りを破るなどという信頼を裏切る行為をしようと思わないし、むしろ「尊敬する相手に認められない」という気持ちから、早めに原稿を提出するぐらいはするはずだ。
もし締め切りを破ってしまったとしても「信頼を回復しなければ」という使命感により、二度と締め切りを破るような真似はしないだろう。
だが、私は毎回催促を受けて原稿を書いているし、多い時は2回催促されてから原稿を出している。
つまり担当から「きみはそんなやつなんだな」という呆れや侮蔑を受けても、こちらの心が無痛すぎるのが問題なのである。
ちなみに編集者は「殴ってもこちらの拳が痛まない」ことでも有名である。
人間関係というのは、親密になるほど「痛み」が発生するものだ、他人の不幸ソムリエである私でさえ、目の前で親が知らないおじさんに体当たりされて吹っ飛ぶのを見たら心が張り裂けそうである。
それに比べて、編集者と作家の間では痛覚が完全に死んでおり、こんな関係性で締め切りを守らせるなど無理である。
よって締め切りを守らない作家を侮蔑するより、まず自分が作家にリスペクトされる存在になってほしい。
(つづく)
次回更新予定日 2023-03-25