ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第123回
漫画は肉体的に過酷だ。
ヒット作を出すのも大変だが、
続けることも大変である。
このように、レジェンド級の作家というのは良い意味で異常者じみたところがあり「漫画を苦と思ったことは一度もない」「ネタは一生描き切れないほどある」など、凡才が全く共感できないことを言い出したりする。
何せこっちは40年先どころか今この瞬間書くことがなくて困っているのだ。
大作家が描きたいことに対し体力と寿命が足りないと嘆く一方でこちらはすでに寿命の方が余っている。
作家を続けるのが難しいのは単純に仕事の依頼が来なくなる、というのもあるが、依頼が来ても描くことが何も思いつかず流れてしまい、そして仕事が来なくなるといケースもある。
しかし、先生がまだこれだけ描きたいことがあるというのは、それだけキャプテン翼という作品が愛されているからではないかと思う。
私と大作家の感覚が同じとも思えないが、やはりモチベーションというのは楽しみにしてくれる読者の声に比例するものではないかと思う。
楽しみにしてくれる読者がいるから、もっと楽しませようと新しいアイディアが次々湧いてくるものである。キャプテン翼の知名度を考えればそれがまだ40年分蓄積されていても不思議ではない。
逆に言えば、誰も読まない作品を43年描き続け、まだ40年以上描くことを残しているというのは、別の意味の天才でないと難しい。
ヘンリー・ダーガーが鬼才として歴史に名を残しているのは、その作風もあるが、60年間誰にも知られず創作を続け、誰にも見せない作品を15,145ページも書いたという異端ぶりも加味されているのではないかと思う。
しかし、40年分以上のモチベを残しながらも執筆は体力的に難しいと判断せざるを得ないのだから、やはり漫画という作業は肉体的に過酷であり、何十年も続けるというのは大変なのだ。
だが一方で、高齢になってから漫画を描き始める人も一定数いるらしい。
某青年漫画誌担当曰く、新人賞への投稿作はデビューを目指す若き才能と、定年後のライフワークの二極化が進んでいるという。
さらにライフワーク勢が送って来る作品はどれも似ているという。
簡単に言うと「俺が考える最強のイイ女 or イイ男」が登場し、必ずそのグッドルッキングとエロいことになって終わるそうだ。
しかもライフワーク勢ほどとどまることを知らない創作意欲と駿馬のようなスピード感を持っており、同じような作品を何作も送って来るらしい。
売り物になる作家を発掘したい編集者にとっては辟易する話かもしれないし、「その道」にはまだ弘兼先生という巨木が立ちふさがっており、未だ倒れる様子がないので、年齢的には弘兼先生に肉薄しているとしても新人がそのジャンルで今から戦うのは厳しいと思われる。