ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第151回

私はデビュー以来
15年間、至るところで
担当への殺意を公言してきた。
去年、某女性タレントがSNSで某女性芸人に死を打診するコメントを送り、大炎上のち一瞬で消しゴムマジックしてしまったが、あれも本人の弁を信じるとしたらギャグのつもりだったのだ。
「自害してください」というツッコミで爆笑の渦になるのは、フリーレソ&アウラという一夜限りの伝説的コンビ以外あり得ないとは思うが、ギャグのつもりで攻撃的すぎることを言ってしまうということは誰でもあるだろうし、それがギャグですまないことは今後増えるだろう。
何が言いたいのかというと、いつまで「担当サっす」と言っていいのか、という話である。
私は、デビュー以来15年間、至るところで担当への殺意を公言してきた。
己の名誉のために言うが、私は担当に死を命じたことはない。いつでもこちらがヤッてやるという主体性を持って来たし、冗談として言ったこともない。
だがそのせいで逆に誹謗中傷という民事を超えて一気に殺害予告という刑事事件になりかねない危うさをはらんでいるともいえる。
幸いにして、今まで担当に対する殺害予告や恐喝などで通報されたことはない。
編集者という人種は歩く治外法権でおなじみの人間犬鳴村なことでも有名だし、このような発言が職業差別であると怒られたこともないので、法の方から追い出されているという意味で、編集者はかなりアウトローな仕事と言える。
しかし、誰に向かって言っているかではなく、そのような不吉で攻撃的な言葉自体を公で言うべきではない、と言われたら確かにその通りである。
ガチ通報が起こった後で「昔はこれが許されていたのに窮屈な時代になった」と嘆くのはあまりにも老害すぎる。
しかし人間は愚かなので誰かが人柱によって燃える姿を見なければ「もうこういうことを言ってはダメな時代なんだ」と心から理解できないのである。
もし私の燃える火が見えたら「漫画家が編集の悪口を表だって言っていい時代は終わった」ということだ。
そうなったら私の死を無駄にせず、担当への殺意は口には出さずに心で燃やす、または暗号で発信するようにしてほしい。

(つづく)
次回更新予定日 2025-4-9
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