ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第93回
私のサイン本はいつからか
「ガチャ形式」で
行われている。
などとサイン本に対する怨嗟だけで1000文字近く使ったが、実は嫌々やっているわけではないし、無理矢理やらされているわけでもない。
何故ならサイン本はそれを売ってくれる書店あってのものだからだ。
もし担当判断で「置いてくれる書店の当てはないが、サイン本100冊描いておけ」と言われたら、とりあえずそいつの頭皮を剥がす。
こう見えてK談社のシュリンクを三桁剥がし続けた経験があるので何かを剥ぐのは得意だだ。
しかし書店側から、サイン本を置きたいと要望があったなら話は別である。
いくら本を出してもそれを売ってくれる場所がなければ無意味だ。
出版社は電子書籍需要でウハウハかもしれないが、書店は間違いなく苦境なはずである。
もはや「売れ線のみ、最低でもジャンプラに載ったことがある作家の本しか置かん」と言われても文句が言えない状況である。
そんな中、返本すらできない「サイン本」というハイリスク商品を置いてやろうという破滅型の書店からの要望を断れるはずがない。むしろサイン本を書けと言われるうちが華である。
そして常日頃から「私は読者の笑顔と2兆円さえあれば何もいらない」と言っている通り、読者がこのサイン本ガチャを面白がってくれているならばやる価値はある。
だが正直サイン本に「販促」の効果があるかは微妙なところだと思っている。
サイン本だからといって「作者もタイトルも全然聞いたことないけどサイン本なら買うか」とはあまりならないはずである。
その場でメルカリ検索をかけて高値買取されている作家なら買うかもしれないが、その基準で行くと私はまず買われない。
サイン本を買うのはほとんど作者や作品の既存読者だと思われるので、少なくとも新規読者獲得効果はあまりない。
つまりサイン本は、書店と読者への感謝とサービスと思ってやっている、実際サインにちん○んは発生しない。
もし「うちはサインにもちん○んが発生しますよ」という作家がいたら物議を醸してしまうので一応伏字にさせていただいた。
感謝だとしたら一日1万回正拳突きに比べれば、数ヶ月毎に100冊のサインなど大したことないし、むしろ感謝が足りない。
だがこれを「販促になる」と言って描かせると変な感じになってしまうのである。
「原稿料は出せませんが宣伝になります」という仕事がまず宣伝にならないように、宣伝になると言われタダで大量の色紙やPOPを描かされた挙句、結果が出ないと大きな遺恨となり、作家もつい Twitter に暴露漫画を載せたくなってしまう。
こういう漫画に出てくる担当は白ハゲかつ、顔が「担」という文字で表現され、「やれやれ感」が滲み出ている眉毛のみ描かれている場合が多く、「顔も描きたくない」という作家の怒りが伝わってきてコクが深い。
よって編集者も、作家にタダ仕事を振るときは「宣伝になる」などとは言わず、潔く「読者サービス」「少なくともサインしただけ返本されない」と言ってほしい。