ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第94回

ハクマン第94回
世の中には
意味のない自己否定を
している人間が多い

そういう意味では、エヴァのあの場面も、自己を肯定できなかった少年が「自分はここにいて良い」と自己肯定感に目覚めた瞬間を捉えた名シーンと言えなくもない。

ただシンジくんが自己肯定感に目覚めたと同時に、そこまでついてきた視聴者の自我が崩壊してしまったのだけは残念である。

つまり、良いところが一つもなくても俺は存在して良いと認めることが自己肯定感である。

実際我が国では、どんな人間でも存在して良い上に健康で文化的な生活を送って良いことになっている。
つまり「俺みたいな役立たずは消えた方が良い」と思うこと自体が憲法に抵触しており、世が世なら憲兵隊に銃殺されていてもおかしくない。今すぐそのような反社会的思想は捨てるべきである。

しかし、シンジくんが自己肯定感を得たのがたまたまよくわからない空間だから良かったが、あれが他人の家の敷地だったら「僕はここにいて良いんだ」とは言い切れなかったと思う。全裸の人が屋外で己の存在を肯定する行為も法律で禁じられている。

自己を肯定するのは大事だが、それで他人の権利を侵害すると、鉄格子のある部屋など己の存在して良い場所を限定される恐れがあるので注意が必要である。

私の書くものは「自虐系」と言われることが多いが、個人的には逆に自己肯定系だと思っている。
確かに私は、自分は何もできないし生産性のあるものは何も生み出せない。むしろ他人が生産したものを腐らせる「腐り手」の持ち主だと言い続けているし、それが事実である。
だがそこまで自分のことを理解しておきながら全くこの世から消える様子がないのはそんな自分を肯定しているとしか言いようがない。

よって「自己肯定感を上げるために頑張る」という言葉はある意味間違っている。
頑張らなければ得られない時点で自己肯定感ではない。働かずに飯を食う自分に「いいね」を押せるのが自己肯定感だ。

このように、自己肯定感が非常に高い自分だが、それに反比例して「自信」はない。

「顔が良い」「頭が良い」「金持ち」「巨根」など、なんらかそれを裏付ける根拠があって発生するのが「自信」だそうだ。
よって、根拠がない自信は「意味もなく自信満々な奴」としてウザがられるのである。

しかし自信がない奴がウザくないかというとある意味自信がある奴よりウザい。

「自分には何も良いところがない」とわざわざ言うのは、相手に対し「お前は今、何も良いところがない奴に己の貴重な時間を浪費している」と言っているようなものだし「何の取り柄もない自分とつきあってくれて申し訳ない」と言うのも「場所を取るだけの壊れた巨大冷蔵庫を家に置くなんてお前も馬鹿だな」と言っているようなものである。

つまり過度な卑屈と自虐は周囲に対する他害になってしまいかねないのである。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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