◇自著を語る◇ 中澤日菜子『お願いおむらいす』
とある秋の一日、東京郊外の公園で開かれた〈ぐるめフェスタ〉、そこに集うさまざまなひとびと──出店者や運営事務局員、ステージでライブをするアイドル歌手、そして偶然訪れた父と娘たちを通して、彼らの人生のひとコマを描く。『お願いおむらいす』はそんな連作短編集だ。
全五編のうち、最後の『フチモチの唄』は単行本化にあたって書き下ろした一作だ。中年の男性と、末期がんと診断されたその母親の絆を描いた作品。担当者から「母親と五十代のリストラ男性の絆を書いていただけませんか」と提案されたとき、じつは大いに戸惑った。なぜならわたし自身がその半月前に、最愛の母を亡くしていたからだ。
母の死は、あまりにも急なできごとだった。
二〇一八年十二月六日。深夜一時、新宿で某社の担当者と会食をしていたわたしのスマホが鳴った。かけてきたのは実家の父。悪い予感がした。それまで一度も父からスマホに、しかも深夜に連絡が入ることなどなかったからだ。
「お母さんが風呂場で倒れた。至急病院に来てほしい」
わたしは居酒屋を飛び出し、タクシーに乗り込んで、心配してくれる担当者とともに指定された病院に向かった。向かう途中、父からふたたび連絡が入った。
「残念だけど、お母さん、間に合わなかったよ──」
このあたりからあまりの衝撃で記憶が曖昧になる。
だって三日前に電話で話したじゃない。昨日はメールくれたじゃない。「あなたも忙しいだろうけれど全力でサポートするからね」ってメールに書いてあったじゃない──
病院で父と合流し、母になにが起こったかを聞いた。秋にリフォームしたばかりの風呂場、父が「ずいぶん長風呂だな」と思い、風呂場を覗くと、湯船に浸かったまま母が目を閉じていたこと。すぐに救急車を呼んで救命処置をしたが心臓は動きださなかったこと。そのまま病院に搬送され、あらゆる処置を尽くしたが、もう二度と母が目覚めることはないと知らされたこと。
遅れてやってきた弟とともに、霊安室に通されたのは深夜三時ころではなかったか。
風呂上がりのまま横たわった母のからだはまだ温かく、頬はつやつや輝いていた。大病もせず、亡くなる夜のご飯もちゃんと食べていたという母は本当に寝ているみたいで、何度も「起きて。起きてよお母さん」と呼びかけたけれども、あの優しい茶色の瞳をふたたび見ることは叶わなかった。
なぜもっと頻繁に会ってあげなかったんだろう。ついこのあいだも「ランチしようよ」ってメールが来てたのに。なんですぐに会わなかったんだろう。時間なんて、作ろうと思えばいくらだって作れたはずなのに。後悔ばかりが押し寄せてくる。
『フチモチの唄』を書こう、いや書くべきだと思えるようになったのは、その後悔の気持ちが大きい。
主人公にだぶらせて、もし母の病気がわかっていたらこんなふうに接してあげたかった、希望を叶えてあげたかった、そして最期の瞬間にはそばにいてあげたかったという、じぶんの想いをすべてぶつけて書き上げた。だから『フチモチの唄』は、大好きな母にささげる鎮魂の小説となった。
産んでくれてありがとう。精いっぱい生き切るよ、お母さん。
他の四編も状況は違えど、それぞれの場所で足掻き、苦しみ、悩みながらもなんとか前へ進もうとする、ごく普通のひとびとの物語だ。
『お願いおむらいす』は、わたしの物語、そしてあなたの物語。
そうあってほしいと、こころから願っている。