みんな、雑誌が好きだった。【文芸誌】で昭和を振り返る。

出版不況と言われて久しい昨今ですが、昭和という時代は文芸誌の時代でもありました。時代の波に乗り、時代に反抗し、時代を創っていく……昭和という時代に文芸誌が与えた役割とはなんだったのでしょうか?

「昭和」といえば、「文学」

戦後60年にあたる2005年、『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画が大ヒットしたことは、まだ記憶に新しいことかと思います。吉岡秀隆演じる「茶川竜之介」が主人公なのですが、名前から予想できるように、芥川賞受賞を目指す小説家として登場します。

この設定は、非常に象徴的です。「昭和」とは、まさに「文学」が生き生きとしていた時代でした。ここでは「文芸誌」を中心に見ていくことで、昭和60年の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

とにかく大量に売れる

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昭和は大量出版が実現し、膨大な数の本や雑誌が売れた時代です。戦前には「円本」と呼ばれる、一冊一円の全集がブームになりました。大衆向けの雑誌『キング』も、100万部を突破。それまでは、一部のエリートが読むもの、という印象が強かった雑誌が、広く大衆に読まれる状況が生まれました。昭和60年史を振り返るにあたって、これは特筆すべき出来事です。

戦後になると、小説家はマスコミのなかで活躍し始めました。特に注目されるのは、『小説新潮』などの「中間小説誌」と呼ばれる文芸誌の登場です。「中間小説」とは、純文学と大衆文学の中間にある小説という意味なのですが、たくさんのベストセラーが生み出されました。やがて、『小説セブン』や『小説エース』、『小説宝石』など、「中間小説誌」も増加していきました。こうした雑誌の要請に応えるかたちで、流行作家たちは大変な量の執筆活動に突入していきます。

売れたのは大衆小説や中間小説だけではありません。純文学も売れました。

現在、「五大文芸誌」として知られているのは、『新潮』『文学界』『文藝』『群像』『すばる』ですが、このうち、『新潮』と『文学界』は戦前から存在している伝統ある文芸誌です。石原慎太郎「太陽の季節」は、「太陽族」という流行語を生みだし、もてはやされましたが、最初に発表されたメディアは『文学界』でした。村上龍のデビュー作、「限りなく透明に近いブルー」の発表媒体は『群像』です。両者とも、新人賞を受賞したあと、芥川賞の栄冠を手にしています。

このように、戦後には、純文学を書く流行作家が多く存在していました。そのうちの一人が、のちにノーベル賞を受賞する川端康成です。川端の名作、「眠れる美女」は、『新潮』に掲載されました。日本社会、そして世界で評価される小説の多くは、最初は文芸誌に発表されたものなのです。

 

同人誌から発信する野心

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文芸誌といっても、有名な雑誌だけではありません。仲間を集めて同人誌を作ることも盛んに行なわれました。あの太宰治も、高校時代に『細胞文芸』という同人誌を作っています。こうした、新進気鋭の若手の意気込みと野心も、文芸誌の流行を支えました。

遡れば、明治や大正の頃から、新しい主張を持った若者たちが、次々と雑誌を創刊したという歴史が日本にはありました。たとえば『白樺』には、のちに「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉をはじめ、武者小路実篤有島武郎などの学習院出身者を中心とした人々が集まりました。彼らにとって文芸誌は、切磋琢磨し、お互い成長していくための場だったのです。

こうした文化は戦後もつづきます。石原慎太郎は『一橋文芸』に寄稿していますし、中上健次は『文芸首都』のメンバーでした。彼らはのちに中央文壇の雑誌に書くことになりますが、まずは同人誌で小説の腕を鍛えたのでした。また、『文学界』には長い間「同人雑誌評」という欄が設けられ、同人誌掲載の作品について毎月論評がなされていました。時代を引っ張っていく新人はいつ登場するのか‥‥‥そうしたワクワク感が、昭和にはみなぎっていたのです。

 

小説家が時代の象徴に

昭和の文学者たちは、時代の代表になろうとしました。作品を書きながら、オピニオン・リーダーとしての役割も果たしたのです。大江健三郎、三島由紀夫、今では村上春樹も、積極的に社会的発言をしていますね。

戦後すぐに生まれた文芸誌に、『近代文学』『新日本文学』があります。どちらの雑誌でも、文芸評論家が活躍して、戦後日本のあり方について真剣に考えました。そして、戦後「政治と文学」論争という、文学史上重大な論争が起こります。「文学」というものは、共産党に代表される「政治」といかなる関係を取り結ぶべきか、というのが大きなテーマとして浮上したのです。その背景には、社会主義勢力としてのソ連の存在がありました。世界史的な激動のなかで、文芸誌にも大きな理想が求められたのです。

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一方で、昭和30年代に入ると、日本は「もはや戦後ではない」と呼ばれる時代に突入していきます。高度経済成長を迎えることで、国民の生活は豊かになりました。

そのようななか、文壇デビューしたのが、大江健三郎です。芥川賞を受賞した「飼育」は、墜落した飛行機に乗っていた黒人兵を、村の人々が捕えて、衆人環視のもとに飼う話です。このように、文学作品の世界には、いまだ戦争の影が色濃く漂っていました。「戦後」をテーマとして背負った小説家、大江は、若者の旗手として、広島・長崎の原爆や、沖縄問題など、さまざまな政治的課題について、発言を続けます。

その大江が1961年に『文学界』に発表した「セブンティーン」の第二部「政治少年死す」では、天皇を崇拝する青年が社会党の委員長を刺殺するという(社会党委員長・浅沼稲次郎暗殺事件をモデルにした)事件が描かれます。しかし、大江がこの右翼青年を重度のオナニストとして卑猥に描いたことにより、右翼団体からの脅迫を受け、いまだに単行本化されていません。今、「政治少年死す」という小説を読むには、『文学界』のバックナンバーを探すしかないのです。このように、文芸誌には生々しい政治的な問題が刻み込まれもしたのでした。

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大江と対照的だとみなされている作家に、三島由紀夫がいます。割腹自殺を遂げた彼もまた、昭和を代表する文学者でした。代表作のひとつ、「金閣寺」は、『新潮』に掲載されたものです。これは1950年に起きた金閣寺放火事件を題材としたものですが、内容はフィクションです。

この作品に横たわっているのも、戦争という問題でした。金閣寺に「滅びの美」という観念的な理想を託したこと、そしてそれを燃やそうとしたことが、戦時下から戦後という時代の移り変わりと重ねられて詳細に描き出されている小説です。

こうした文学作品は、「もはや戦後ではない」と呼ばれるなか、執拗に「戦後」というテーマにこだわりながら書かれたものだといえます。時代の波に乗り、時代に反抗し、そして時代を作り上げていく。昭和という時代は、文芸誌と切っても切り離せないのです。

初出:P+D MAGAZINE(2016/02/25)

『昭和下町カメラノート』
『悪名残すとも』