【村上春樹etc】もしもあの大作家が「お祈りメール」を書いたら

企業が就活生に送る「お祈りメール」。そのテンプレ表現を、夏目漱石、村上春樹、蓮實重彦、町田康などの大作家たちがアレンジしたら……? そんなありえないパロディに、本気で取り組んでみました。

企業が不採用通知として就活生に送る「お祈りメール」。その文面には、まるで紅白の大トリを務める演歌歌手のように、出だしのフレーズを聴いただけでその後の展開が脳裏に浮かぶという安心感があります。

 

「この度は弊社にご応募頂き、誠にありがとうございました。」(Aメロ)

「慎重に選考を進めた結果、残念ながら、今回は貴意に添いかねる結果となりました」(Bメロ)

「末筆ながら、貴殿の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます」(サビ)

 

これらの丁寧な表現には、「相手のショックを最小限に抑える」という日本的な思いやりの文化が詰まっていますよね。

しかし、受取人である就活生が、お祈りメールに感動することはありません。それどころか、相手の思いやりに感謝することすら稀でしょう。むしろ、がっくりと肩を落としたり、場合によっては激しく怒ったりすることの方が多いのではないでしょうか。

それは何故かといえば、答えは簡単。

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そう、「お祈りメール」の問題点とは、その文面があまりにもテンプレ的すぎて、ポジティブな感情をまったく動かされないことなのです!

「採用する人間は一握り。だけど、落とした人間は沢山いる」というのが今も変わらぬ新卒採用の状況。企業側からしてみれば、落とした就活生に自社のファンでい続けてもらうための、極めて重要なコミュニケーションである不採用通知を、こんなテンプレ表現で済ませてしまうのはもったいないことです。

ならば、どんな工夫が可能なのでしょうか?

ここはひとつ、日本語の達人である文学者の表現を盗んでみませんか?

この記事では、これまでのテンプレ表現に取って代わる、「文学的お祈りメール」の可能性を探ります。

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祈る言葉が見当たらない……夏目漱石スタイルのお祈りメール

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「お祈り」というくらいですから、お祈りメールの送り主には、“修行僧のように瞑想に打ち込む姿”を期待したいところ。ですが、「本当にそんな採用担当者っているの?」と聞かれたら、なかなか見当たらない、というのが事実ではないでしょうか。

そんな時に参考にしたいのが、日本文学を代表する大文豪である夏目漱石。『門』、そして『夢十夜』の中で漱石は、参禅したはいいけれど、なかなか悟りを開けない人物たちの苦悶を描いています。

もしも、そんな漱石がお祈りメールを書いたら……きっと、「好き勝手に不採用通知を送りつけているわけではない、俺だって悩んでるんだ!」という人事のホンネが伝わるのではないでしょうか。

 

▼そんな夏目漱石の文体模写で書かれたお祈りメールがこちら。

私は祈ろうとした。けれども祈る方向も、祈るべき問題の実質も、ほとんど捕まえようのない空漠なものであった。私は祈りを待ちながら、自分は非常に迂闊うかつな真似をしているのではなかろうかと疑った。応募者の行く先を案じるうちに、色も形も異なる思念が次から次へと湧いて止まらず、落椿の花芯にたかる蟻の群れのように私の脳裏を苦しめた。応募者は、採用なのかもしれなかった。あるいは、やはり不採用なのかもしれなかった。オフィスチェアにじっと固まる身体が、その内に腰の辺りから痛み始めた。真直ぐに伸ばしていた脊髄が次第々々に前の方に曲ってきた。それでもやはり、祈りは一向に訪れぬ。

時計がチーンと三時の鐘を打った。私は不意に「不採用」とだけメール文に打ち込むと、逃げ去るようにオフィスを後にした。

 

とびきりクールに突き放す! 村上春樹スタイルのお祈りメール

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そもそも、なんでお祈りメールはテンプレ的な表現を用いるのでしょうか? そこにはおそらく、「デート相手に告白されたけど断った」という気まずさにも似た、相手との微妙な距離感があります。

たとえ突き放すような内容を書こうとも、それをポップかつクールな文体で書けたとしたら、相手の心証を損なわずに済むかもしれません。そこで参考にすべきは、なんといっても村上春樹

初期〜中期の作品を中心に、村上春樹の主人公(“僕”)は総じてクールな印象を与えますが、中でもとびきりクールなのが、作中に頻出する「やれやれ」というセリフです。この「やれやれ」には、村上自身が「デタッチメント」と呼んだ、「他者(社会)との関わりを希薄化したい」という姿勢が表れています。

これを就活のシーンに当てはめれば、「嘘くさい思いやりよりも、いっそ就活生をクールに突き放してみる」ということ。その他にも、「喪失感」「ポップミュージック」「クルマ」など、村上作品に共通する要素をお祈りメールに散りばめてみました。

▼そんな村上春樹の文体模写で書かれたお祈りメールがこちら。

「人は匂いで誰かのことを好きになるの、」21歳の時、僕が付き合っていた年上のガールフレンドが言った。「ミツバチが花の茂みを好きになるようにね。」

「そういうものかね。」そう答えると僕は、ビーチ・ボーイズの「アイ・ゲット・アラウンド」を数小節分、鼻歌で歌った。彼女がココナッツの匂いのするサンオイルを手渡したからだ。

その日僕らが出かけたのは、夢のカリフォルニアからは程遠い、千葉の白子海岸だった。彼女の運転するマツダの89年式ロードスターは、小柄な彼女にも白子海岸にも不釣り合いだったけれど、彼女がそれを気にすることはなかった。「私、来世でもきっとロードスターに乗ると思う。それに、きっとその時は、スラリと長身に生まれ変わってね。」

そのドライブから一年も経たない内に、彼女は沖縄旅行で知り合った商社勤務の男と結婚した。さらにそれから半年も経たない内に、彼女はあのロードスターごと、この世から姿を消したのだった。

* * *

「……以上が御社を志望する理由です」という声に視線を上げると、僕は、エアコンが無機質な匂いを送り続ける面接室にいて、目の前ではちょうど君が志望動機の説明を終えたところだった。

やれやれ、そう心の中で呟いて、僕は面接票の中から次の質問を読み上げる。今年もまた新卒採用の季節だ。僕にとっても、もう何度目かもわからない季節だが、今年の応募者たちも皆、いつもと同じリクルートスーツで、いつもと同じ緊張の色を顔に浮かべている。

そして、君は不採用となった。そうでない人もいる。それもいつものことだ。

 

(次ページ:くせ者見参!「蓮實重彦」「町田康」のお祈りメール)

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