【100秒でわかる】ラップで学ぶ夏目漱石

【Point 1】漱石は近代化に批判的だった? 彼が活躍した時代背景

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明治を代表する大文豪・夏目漱石。実は“夏目漱石”はペンネームで、本名は夏目金之助と言います。彼の生まれた日(1867年2月9日)が暦の上では“庚申こうしん”であり、この日に生まれた子供は心が冷酷になるという迷信を受け、厄除けの意味で「金」の文字をつけたのが名前の由来とされています。

漱石は東京帝国大学(現在の東大)を卒業後、英語教師として松山と熊本に赴任。1900年に、文部省から2年間のイギリス留学を命じられます。イギリスでロンドン大学の講義を聴講したり、シェークスピアの演劇を鑑賞したりして過ごした漱石ですが、彼はイギリス留学を経て、当時進んでいた日本の近代化に疑問を抱くようになりました。

 

明治の日本をリードしていたのは、西洋の文化を積極的に取り入れようという「文明開化」の流れ。しかし漱石は、なんでもかんでも西洋のものならばよいというような、表面的かつ急速な西欧化に警鐘を鳴らす文化人のひとりでした。

晩年に関西で行った講演『現代日本の開化』の中で、漱石は形だけの西欧化を“現代日本の開化は皮相上滑うわすべりの開化であると云う事に帰着するのである”と痛烈に批判しています。漱石を小説の執筆へと駆り立てた要因のひとつが、この明治の日本に覚えた違和感であったとされています。

 

【Point 2】3行で解説! “中期三部作”のあらすじって?

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“カメレオンスタイルのB-Boy”とラップにもあったように、夏目漱石は実に多種多様なテーマと文体で作品を執筆した作家です。
超有名作品である『吾輩は猫である』や『こころ』には知名度はやや劣るものの、漱石を語る上でまさに“外せない”のが、中期三部作(前記三部作)と呼ばれる『三四郎』『それから』『門』の三作品。

現代風に言えば、『三四郎』はウブな童貞、『それから』はニート、『門』は引きこもりが主人公のストーリーです。押さえておきたいそれぞれのあらすじを簡単にご紹介します!

『三四郎』
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1908年に発表された長編小説。九州から都会に出てきた23歳の青年、三四郎が、さまざまな人物と交流をしながら、恋をする様子が描かれる。三四郎は次第に謎めいた女・美禰子に好意を抱くようになるが、彼女は別の男と婚約してしまう。

(合わせて読みたい:激闘!童貞ビブリオバトル

『それから』

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1909年発表の長編小説。裕福な実家から送られてくる金でひとり気ままに暮らしている主人公・代助の元に、学生時代の友人・平岡から、生活に困窮しているという連絡が届く。平岡夫妻を援助するうちに、その妻である三千代への恋心が募ってゆく代助。やがて代助は、三千代と共に生きることを決意する。

『門』
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1910年発表の長編小説。主人公・宗助は、かつての親友である安井を裏切り、その妻・御米と結婚した負い目からひっそりと暮らしている。宗助は救いを求め鎌倉に参禅に出向くが、結局悟ることはできないまま家に帰る。

 

【Point 3】キーワードは「則天去私」! 漱石はその境地に達していた?

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漱石を語る上でセットとも言えるキーワードが、則天去私そくてんきょし。これは1910年、漱石が胃潰瘍で療養中に大吐血を起こし(「修善寺の大患」)、生死をさまよったのちに行き着いた考えであると言われています。諸説はあるものの、一般的には“私心(エゴ)を捨て去り、運命を自然に委ねて生きてゆく”という意味とされている言葉です。

作品に登場する言葉のように思われがちですが、実は漱石自身は、小説や日記の中に「則天去私」という言葉を書き残していません。漱石を慕う弟子たちが集まる会合「木曜会」で、彼が若い文学者たちに語った、とされているだけなのです。

漱石の門下生のひとりであった森田草平は、「則天去私」にまつわる漱石の姿勢として、彼がこんなたとえ話をしたという逸話を遺しています。

「(自分の娘の目が仮に突然潰れたとして、)それを見ても、自分はああそうかと云ったまま、心を動かさずにいられるような境地に入ったとは云わないが、そういう境地に入りたいとは終始心掛けている」
加藤敏夫『漱石の「則天去私」と『明暗』の構造』より

つまり、漱石自身は完全に「去私」の境地には至れてはいなかったものの、そうなれるよう常に“心掛けて”いた、というのです。未完となった漱石最後の長編小説『明暗』にも、そのようなエゴイズムを巡る葛藤が如実に表れています。

死後、彼を慕う弟子たちによる神格化が一気に進んだとも言われている漱石。しかし最晩年の漱石にも、自分の娘の身に何かあったら動揺してしまうような、人間臭い一面はあったのでしょう。

ラップを覚えたら、あなたもすっかり漱石マスター

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ここまで知っていれば、皆さんももうすっかり漱石マスター。明日、突然「夏目漱石について詳しい?」と友人に聞かれることがあっても、自信を持って「なんでも聞いて!」と返せることでしょう。漱石について語るときは、ぜひこのラップを思い出してくださいね!

 

※参考文献
・水川隆夫『漱石と仏教 則天去私への道』
東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ

初出:P+D MAGAZINE(2017/09/27)

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