芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第28回】日本独特のセンチメンタルな文体

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第28回目は藤原伊織の『テロリストのパラソル』について。史上初めて、乱歩賞と直木賞をW受賞した話題作について解説します。

【今回の作品】
藤原伊織テロリストのパラソル』 史上初めて乱歩賞と直木賞をW受賞した話題作

史上初めて乱歩賞と直木賞をW受賞した話題作、藤原伊織『テロリストのパラソル』について

芥川賞と直木賞はどこが違うのか。これはいつも考えさせられる問題です。今回の藤原伊織さんは純文学の文芸誌『すばる』の新人賞でデビューしました。『ダックスフントのワープ』という、大人のメルヘンみたいなユニークな作品で、なかなかの才能だと思いました。授賞式のあとの二次会で親しくなりました。そこでは彼が有名な広告会社の有能な社員だけれど、ややアル中気味というほどに酒を飲んで、生活が破綻寸前のようだというようなことがわかりました。ほぼ同世代ですので、さまざまな体験を共有できるところがあり、いい友だちになれそうだなという気がしました。残念ながら、直木賞を受賞したあと、まもなく体調を崩された藤原さんは、お酒が飲めなくなり、やがて亡くなってしまったので、ゆっくり杯をかわす機会もなかったのですが。

新人賞をもらったあと、すぐにプロとして活躍できればいいのですが、そこでヒット作が出ないと、作家としては停滞状態になってしまいます。新人は毎年、何人も文壇に登場しますが、新人に与えられるスペースは限られています。それで結局、「新人賞どまり」というようなことになってしまうのです。藤原伊織さんもそんなふうに、しばらくはスランプの状態が続きました。

文学として、推理小説として評価された作品

そこで飛び出したのがこの『テロリストのパラソル』という大ホームランです。この作品は新人が応募する江戸川乱歩賞(対象はミステリー)の受賞作で、同時に直木賞という二冠に輝きました。正確に言うと藤原伊織さんはまったくの新人ではないのですが、推理作家としては新人です。そして、推理小説が直木賞をとるというのは、めったにないことなのです。直木賞はいわゆる中間小説の賞です。人間と社会を描く純文学と、おもしろければいいというエンターテインメントの中間に位置する文学作品に与えられるものです。推理小説はトリックにこだわりすぎて現実離れしていたり、登場人物がパターン化するということになりがちで、ベストセラーになっている作品でも、直木賞の選考会では評価されないことが多いのです。

この作品は江戸川乱歩賞の受賞作ですから、推理小説として評価されたことはまちがいないのですが、何よりも社会の世相と、うらぶれた人間を巧み描いた作品です。主人公は過去をもつアル中のバーテンという、ハードボイルドにありがちな設定なのですが、この主人公の過去というのは、ぼくや藤原さんの世代の人間には、心の奥底にグサッと突き刺さるような、学生運動の時代の苦い事件なのですし、そういう過去をかかえながら、男らしさを失わずに何とか生き長らえている渋い中年男の主人公には、人間としての魅力があります。

そして、心の奥底に封印したはずの過去が、思いがけない事件の連続によって、しだいに主人公をがんじがらめにしていく展開が、何とも巧みで、スリリングです。タイトルがいいですね。テロリスト……、何とも懐かしく、センチメンタルな響きがあります。こういう言い方をすると、カラオケで泣きながら懐メロを歌っているおじさんみたいで、何とも恥ずかしいのですが、ぼくたちの青春は幕末の新撰組とか、高倉健のヤクザ映画みたいな、命がけの男にあこがれながら、テロリズムに徹しきれなかった、ほろ苦さをまとったものでした。だから、テロリストという言葉を聞くと、たちまち胸の奥がひりひりと痛んでしまうのです。

日本社会の断面と存在感のある人物像

この作品はアメリカのハードボイルド作品を思わせる文体で書かれています。藤原さん自身、純文学からエンターテインメントへの転身を図るために、ずいぶん苦労して考え出した文体だろうと思われます。けれども、単なるアメリカ小説の模倣ではありません。ここには高度経済成長の途上で、時代の曲がり角を迎えた日本の社会の断面が、見事に描かれているのですし、この主人公や、その周囲にじわじわとまとわりついてくる人間群像にも、それぞれに暗い過去があって、その人間たちの存在感に胸を打たれます。一言で言うと、これはとても湿っぽく、過剰にセンチメンタルな、日本独特の文体になっているのです。

若い読者には、この湿っぽい感じが、うまく伝わらないのではないかと危惧します。それは昔の懐メロソングが、若い人には伝わらないのと同じことなのでしょう。昔の歌は、センチメンタルでした。昔の小説も大いにセンチメンタルだったのです。そこでぼくは皆さんに、提案したいと思います。ぜひこの作品を読んでみてください。そして、登場人物たちに共感できなくても、これは中年の男たちが、涙なしには読めない作品なのだということを、感じとってください。そうすると、たとえば皆さんのお父さんの気持ちが、わかるようになるかもしれません。それから、文学賞の選考委員というのも、けっこういい年をしたおじさんが多いので、おじさんを泣かせる小説を書くコツが、わかるかもしれません。

最後に、ダメ押しみたいに、大声で叫びたいと思います。男の人生は、センチメンタルなもので満ちているのです。たまには、思いきりセンチメンタルになるのもいいのではないでしょうか。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/09/28)

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