椹野道流の英国つれづれ 第12回
わーかーるー! わかります! たちまち、おたべちゃん人形になる私。
私が子供の頃、学校でも家庭でも、多くの場合、評価は減点方式でした。
トライしたことはあまり評価されず、失敗に終わった結果だけを数え上げられることが多かったのです。
きちんとできて、初めて成績になる、褒めてもらえる。中途半端な状態で何かを披露するのは、得策でない。
そんな意識が心の中に根強くあるものだから、英語学校の授業でも、毎回出遅れてしまって。
他のみんなは、ブロークンだろうが間違っていようが、平気で喋りまくります。
でも、そんなの無理。
文法は合っているかしら、失礼なことや的外れな意見を言おうとしていないかしら、発音やイントネーションは大丈夫かしら……そして何より、これはアメリカ英語じゃないかしら!
最後は本当に重要ポイントでした。アメリカ英語を口にしようものなら、障子の桟に指をつーっとするドラマの姑みたいなテンションで訂正されるので、私は本当にナーヴァスになっていたのです。
他の生徒にそう言っても、「だって私たち、英語を学びに来てるのよ? ちゃんと喋れないのは当たり前じゃないの」とむしろ訝しがられてしまうのですが、そしてそれはド正論なのですが……でも、無理なんだよ~!
DNAに編み込まれてしまった、「間違うくらいなら黙っておいたほうが賢い」の精神が、足を引っ張るんだよ~! 口に出す前に何度もリハーサルをするもんだから、喋ろうとしたときにはもう、その話題が終わってるんだよ~!
わかる、わかるよ、K。
君、変なことを言って相手の機嫌を損ねないよう、最小限の会話で切り抜けようとしたでしょ!
仲良くなりたいと思うのに、自分の英語が下手クソで意思疎通が滞るのが怖くて、ただ空気になってニコニコしてたでしょ!
英語が聞き取れず、相手を苛つかせるのが怖くて、自分から話しかけないようにしてたでしょ!
わーかーるー! それ全部、今の私がやってることよ。
でも、ジーンは優しいじゃないの。
私の拙い英語も一生懸命聞き取って、理解して、推測して、「こういうことかしら?」って正しい言い回しを教えてくれるよ。それも、とてもさりげなく。
おお、Kよ。この人相手に怖じ気づくとは情けない。
つい、ドラクエみたいなセリフが頭をよぎります。
いや、それは今はおいて。つまり、ジーンは……。
「Kのことをほとんど覚えてないのに、そのKのお土産を持って来た私を家に入れてくれたんですか?」
驚きを露わに問いかける私に、ジーンは微笑んで頷きました。
「電話で声を聞いて、いい子だって感じたから。私のそういう勘は、確かなのよ」
それは、イギリスに来て初めて、「誰かに信頼された」瞬間で……キリキリに張り詰めていた私の心の糸が、ほんの少しだけ緩んだ瞬間でもありました。
あれがなければ、私の軟弱なメンタルは、留学早々に参ってしまっていたかもしれません。
泣きそうになって「ありがとう」と言った私に、ジーンは、「こちらこそ。でもこれは、Kにはナイショにしておいてちょうだい。スイバンをとても喜んでいたことだけ伝えてね」と、悪戯っぽくウインクしてみせたのでした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。