椹野道流の英国つれづれ 第14回
今日は、挨拶も躊躇わないぞ!
〝Hello again! Thank you for the invitation!〟
「また来ました。お招きありがとうございます」でいいと、B&Bのフロントにいたお兄さんも太鼓判を押してくれました。心強い!
ところが。
意気込んで挨拶しようと思った私は、軽く口を開いたまま、固まりました。
扉を開けてくれたのは、ジーンではなかったのです。
私の目の前にいるのは、がっしりした体型で、ワイシャツごしにもお腹がぽこーんと出ているのがわかる、白髪のお爺さん。
ジーンよりはうんと年上に見えます。70歳は超えていそう。
ええと……あ、初対面だから、〝Hello again!〟がいきなり言えなくなっちゃった!
うわ、どうしよう。
狼狽えながら、とりあえず〝Hello〟だけどうにか喉から絞り出した私に、目の前のお爺さんも、何だかちょっと戸惑った様子で、〝Ah……well〟と言って、ボサボサ気味の白髪を掻き回してから、こう言いました。
「ええと、チャーリー?」
「チャズ」
「ああ、そうそう、チャズ! 昨日は会えなくて残念だった。今日は会えて嬉しいよ」
ようやく快活な笑みを浮かべてそう言いながら、お爺さんは右手を差し出してきました。
ホッ。怖い人じゃなかった。私は彼と握手しながら、考えました。
ということは、もしやこの人が、ジーンの夫! ジーンよりずいぶん年上なんだろうか。
それとも、ジーンがとても若く見えるだけで、実は同じくらいの年代なんだろうか。
もの問いたげな私の顔に、手を離した彼は、ニヤッと笑って自分を指さしました。
「ジャック。ジャック・リーブ。ジーンの夫だよ。ジーン&ジャック。いい感じだろ」
確かに。ちょっとクラシックなコメディドラマのタイトルにありそう。
「はい、とっても」
私が同意すると、彼……ジャックは一歩下がって、私を家に招き入れてくれました。
「まあ、ジーンに挨拶しな。すぐ出ることになるだろうけど」
すぐ出る? なんだかよくわかりませんが、ジーンに挨拶は、勿論望むところです。
果たしてジーンは、小さなキッチンにいました。
牛肉の塊に、塩胡椒を丁寧にすり込んでます。下に敷いているのは、まな板ではなく、お肉を包んでいたパック。合理的です。
「こんにちは! お招きありがとうございます」
やっと予定どおりの挨拶ができた私に、ジーンは笑顔で、両手を軽く上げました。
「よく来たわね! ご覧のとおり、両手が汚れているから、握手は省略で。あと……」
「ハーイ!」
ちょっとハスキーな声と共に、ダイニングのほうから段差を上がってきたのは、若い女性でした。
たぶん十代。
抜けるように白い、だからこそ可愛いそばかすが目立つ肌、真っ直ぐで長い、輝くような金髪、そして明るいブルーの瞳。
間違いない。スウェーデンからの留学生というのは、彼女のことでしょう。
「チャズね? クリスティーナ。クリスって呼んで」
自己紹介しながら握手を求めてくれた彼女は、そのままの流れでジーンに声をかけました。
「じゃ、私出掛けるね! 帰りは遅くなる」
見れば、クリスは大きなバッグを肩から掛けています。
あれれ、サンデーディナーとやらは、パスの流れなのかな?
ジーンは気にする様子もなく、「お酒を飲み過ぎないように、あと、帰りは必ずタクシーを使いなさいね」と言って手を振りました。
「わかってる。お酒はいっぱい飲むけど。じゃあね、チャズ。また!」
小さく手を振ると、ゆっくりした足取りでキッチンに入ってきたジャックとぶつかりそうになりながら、クリスは出て行きました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。