椹野道流の英国つれづれ 第14回
すぐに、玄関扉が開閉する音が聞こえてきます。
少し脚が悪いようで、壁に手を当てて身体を支えつつ、ジャックは苦笑いで玄関を親指で指しました。
「落ち着かない女の子だな。ここに来てから、家でくつろいでるところを見たことがないぞ」
それに対して、ジーンはクールに肩を竦めて応じます。
「仕方がないわよ。滞在期間は限られているんだから、目いっぱい楽しみたいんでしょう。……彼女のお里のスウェーデンは、お酒がとっても高いんですって。だからここにいる間に、飲めるだけ飲むって言ってたわ」
後半は、どうやら私に向けての説明のようです。
「そう、なんだ」
「日本はどうなの?」
「あ、どうでしょう。私はお酒が飲めないのでわかんないです」
そう答えると、ジーンは訳知り顔で頷きました。
「そりゃそうよね、ティーンズじゃ、まだ飲んではダメね」
ティーンズて! いや、この国ではよく受ける誤解とはいえ、これは急いで解いておかねば。
私が、自分は22歳であると伝えると、ジーンもジャックも揃って「なんてこと」とあからさまに驚きました。
うんまあ、そうだよねー! 知ってる、そのリアクション。
この国に来てから、山ほど驚かれています。日本では、特に童顔ってわけでもないんだけどなあ。
まだ、若く見えることが嬉しいお年頃ではなかったので、私は少し困惑しつつ、「22歳なんですよ」と繰り返しました。
ジーンは、ようやく納得した様子でこう言いました。
「じゃあ、お酒が飲めないっていうのは……」
「体が、ダメで」
遺伝的に、アルコールを分解するための酵素が軒並み欠損していて……と、医学生なら説明せねばならないところ、貧弱な語彙ではこれが精いっぱい。しかし、2人にはそれで通じたようです。
「だそうよ、ジャック。勧めないようにね」
「そいつは残念だ。まあいいや、挨拶も済んだし、行こうや」
ん? 行こうや? どこへ?
キョトンとする私に、ジーンはにこやかに説明してくれました。
「ディナーができるまでもうしばらくかかるから、ジャックと一緒にパブへ行ってらっしゃい」
ええっ?
だけど私、今日はそのディナーの支度をお手伝いするために呼ばれたんだと思ってたんだけど……。
「料理をお手伝いします」
戸惑いながらそう伝えると、ジーンは〝No thanks〟と、実にきっぱりさらりと私の申し出を却下しました。
え、「要らんわ」って言った? 言ったよね?
思わず日本語、しかも関西弁に翻訳して、改めてショックを受ける私。
「な。行こう行こう」
自動車のキーをチャリチャリ振り回しながら、ジャックはそう言って、再び玄関に戻っていきます。
さっき彼が言っていた「すぐ出る」は、そういうことだったのかー!
でも、本当にお手伝いは必要ない?
ジーンは笑顔のまま、「楽しんできて」と言いました。どうやら、本当に手伝いは不要、というか、私にキッチンに留まってほしくないようです。
むむー。理由はわかりませんが、ここは引き下がるしかないでしょう。
私は何だか落ち着かない気持ちで、でも仕方なく、「オーケイ」と承知の返事をして、ジャックを追いかけたのでした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。