椹野道流の英国つれづれ 第20回

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慌てたのはボブです。そりゃそうだ。個人レッスンで生徒を泣かせたら、即、重大インシデントです。

「あっ、ごめん、言い過ぎた? 別に君は、間違ったことは言ってないよ! 大丈夫、心配しないで!」

別に泣くほどのレベルではなかったので、私は顔から手を離し、「あ、大丈夫」と答えました。

たちまちボブは、文字どおり胸を撫で下ろします。

「ああ、よかった。とにかくさ、君にとって、この国の一般的な……いや、もう一般的でもないな。僕たちですらうっすら懐かしむような、祖父母の家ってやつを経験できるのは、素晴らしいことだよ。僕たちには、できない話だってできると思う」

「できない話?」

「戦争時代のこととかさ。一応、僕ら、敵国同士だったわけでしょ」

「ああ……!」

私はポンと手を打ちました。

そう、ジャックは第二次大戦中、戦闘機のパイロットだったと言っていました。

「まあ、ドイツ軍の戦闘機はバシバシ落としたけど、日本軍は俺たちの空にはいなかったからなあ。敵って感じじゃない……って言ってた」

私がそう言うと、ボブは苦笑いで肩を小さく竦めました。

「確かに。でも、もう貴重な話じゃない? 君のお祖父さんだって、日本軍の話はできるけど、イギリスの軍人のことはわからないでしょ」

「そうだよね。これまであんまり戦争中の話って興味がなかったんだけど、色々聞いてみたいと思った」

「うん、そして、美味しいサンデーディナーを楽しんでくるといいよ。羨ましいな。僕も、祖母がローストしてくれたチキンが食べたい。悪いけど、そんじょそこらのパブのサンデーディナーなんて目じゃないんだよ。チキンの中に、栗を使ったスタッフィングを詰めてね……」

そこからは、ボブのお祖母さんがいかに料理上手だったかという話に。

むしろその日は、英会話の中でも、「相手の話に相づちを打つ」レッスンを受けた気がします。

それもまた大事な訓練。日本の英語の授業ではなかなか身に付かない、会話における阿吽の呼吸を学べて、嬉しかった記憶があります。

「来週は、ビスケットの缶を持っていくといいよ。マークス&スペンサーのがいいかな。喜ばないお年寄りはいないからね!」

そんな言葉で締め括られたボブのレッスン。

彼に背中を押してもらえたおかげで、私は大手を振って、翌週から帰国の前日まで、「リーブさんちの日曜限定の孫」でい続けたのでした。


「椹野道流の英国つれづれ」アーカイヴ

椹野道流(ふしの・みちる)

兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。

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