椹野道流の英国つれづれ 第22回
ジーンがそう言うなり、すっくと立ち上がり、ティーカップをトレイに集め始めたからです。
実は食事中からずっと、私の「新居」について、ジーンとジャックから質問がバシバシ飛んで来ていたのですが、当時の私の英語力では、彼らの質問に的確に答えることは難しく。
「来て、見たらわかるよ」としか言えずにいたものですから、ふたりとも、不満と疑惑と心配と好奇心がムックムクに膨らんでしまっているようです。
実は心臓の具合があまりよくなく、少しの動きで息切れしがちなジャックは、普段はのっそりゆっくり動きます。
なのにその日に限っては、「起立!」と号令をかけられたかのような素早い動き。
私も、「もうちょっとゆっくりしましょうよ」などとは言わず、立ち上がってティーセットをキッチンへ運び、洗い桶に入れてから、身支度をしました。
いつもはバスで帰る道を送ってもらえるだけでもありがたいことですし、私が暮らす家を見たいなら、わけあって、明るいうちのほうがいいからです。
そんなわけで、いつもはパブに行くだけに使う自動車に、その日は3人で乗り込み、ジャックの運転で、我々は初めて共にブライトンへ向かいました。
ルートはバスとほぼ同じですが、車高が違うと、窓からの景色も少し違って見えます。
ラジオから聞こえる音楽は、当時はやっていたエンヤに、ニルヴァーナ。
取り合わせは奇妙ですが、のんびりしたイギリスの田園風景に、不思議とマッチする気がしました。
……などとのんびりしていられたのは、ブライトンの街中に入るまで。
そこまでは、ジャックにとっては慣れた道なので、何も言わなくても来られましたが、ここから先は、私が指示しなくてはいけません。
道案内なんて、中学高校英語ではたぶん習わなかったし、こちらへ来てからのレッスンでも、まだ取り上げられたことのない題材です。
まして私は、三都物語のように、大阪、京都、兵庫を移動しながら成長した女。
大阪時代に培われた、「バーッと」「ダダダッと」「ちょろっと」「ぼちぼち」「にょろっと」「ガッと」などなど、とにかく擬音を用いたニュアンス道案内をする癖があります。
それ……英語で何て言うたらええのん……?
わからん! さっぱりわからん!
後部座席で内心パニックの私に気づきもせず、ジャックは海岸沿いの大通りを走行しながら、私に訊ねてきます。
「学校の近くって言ってたろ。なら、もうすぐじゃないか? どこで曲がりゃあいいんだ?」
「あっ、えっと、えっと、近く」
助手席のジーンが、「慌てないで、落ち着いて」と振り向いて笑顔をくれました。
「語学学校は確か……」
「あっ、えっと、ポートランド・プレース」
「そうそう、そうよね。それより手前なの、向こうなの?」
さすがホストマザー歴うん十年のベテラン、平易な英語で答えられるように問いかけてもらえて、私はようやくまともに指示を出すことができました。
「手前! 近く!」
「オーケー、じゃあ、そろそろよね。ジャック、スピードを落として、ゆっくり行ってあげて。チャズ、通りの名前はわかる?」
「ああ……っと、わかる」
「じゃあ、曲がるところが来たら、言ってね」
うん、と返事をして、私は全神経を曲がり角ごとに掲示された、通りの名前を記したボードに集中させました。
幸い、ボード以外にも、目印はありました。
「ニュー・シュタイン」という少し開けた場所が「我が家」の近くにあり、そこには、通り沿いに家が隙間なく並ぶ界隈では珍しく、ちょっとしたグリーンベルトのようなものがあったのです。
その緑が目に入った瞬間、私は大きな声でふたりに告げました。
「次! 次の細い道、入って!」
「おっと、了解!」
ジャックは、これまで見たことがないような機敏な動きで、大きくハンドルを切りました。
若い頃、戦闘機のパイロットだったという話に、少し真実味を感じるアクションです。
「ええと、左側。屋根が、低い」
今思うと、実に酷い説明ですが、ジャックはちゃんと理解してくれ、家の真ん前、建物スレスレのところに車を停めました。
道幅が細いので、そうしないと他の車が通過できなくなってしまうのです。
「ここか?」
「うん」
「まあ……本当に古い建物ね」
車から降りたジーンの感想は、とても簡潔でした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。