椹野道流の英国つれづれ 第31回
「クリスのことを考えてごらん。学校から帰ったあとも、ジーンやジャックと話すだろ」
「はい」
「学校で習うのは、きっと綺麗な英語だ。それに対して、家に帰って接するのは、もっとカジュアルな英語。両方大事だと、俺は思う。君、学校の外で話し相手はいるのか?」
私は、ウッと言葉に詰まりました。
それについては、自分でもやんわり感じていたことです。
語学学校のクラスメートたちが「昨日の夜、ホストファミリーとさぁ」と何気なく話すとき、ああ、彼らの英語学習は、一日じゅう続いているのだな、と実感するのです。
それに対して私は、家に戻ったらひとり。買い物に出たり、大家さん宅を訪ねたり(家賃を直接支払いに行く素朴なシステムでした)すればそれなりにお喋りはしますが、どこにも行かないときは、寝るまで一言も喋らないことも珍しくありません。
なんだかな、せっかく留学しているのに、時間がもったいないな……と思っていた矢先、初対面のマイクにそれを指摘されてしまったのです。なかなかにショックでした。
ジーンは、慰めのつもりか、私のお皿にもう1枚お肉を載せて、こう言ってくれました。
「でも、この子は一人暮らしが性に合ってるみたいよ。それはそれで、外国でのチャレンジじゃないの」
しかし、マイクは難しい顔で反論しました。
「そりゃそうだけど、家に誰もいないってのは、喋るチャンスがないってことだからよくないと俺は思う。あっ、そうだ」
「あら、何か思いついたの?」
母親の問いに、マイクは初めて口元を緩め、ちょっとだけ笑ってこう言いました。
「動物を飼えばいい。小鳥、そうだ、小鳥がいいよ。部屋に小鳥がいれば、小鳥に話しかけるだろ。世話もそんなに大変じゃない」
「小鳥!?」
突拍子もない提案にキョトンとする私とは対照的に、ジーンとジャックはたちまち相好を崩しました。
「おう、そりゃいい。小鳥なら、日本に連れて帰れるだろうし」
「なんなら、俺が引き取ってもいいんだしね」
あっさりそう言ったマイクは、ただひとり事情がわからない私に、簡潔に説明してくれました。
「俺は、趣味でカナリアのブリーダーをやってるんだ。売れずに育っちまった子たちの中から、1羽譲ってやる」
「カナリア?」
「そう、カナリア。可愛いぞ。まあ、見てから決めればいい。食事が終わったらうちにおいで。見せてあげよう」
お……おう? カナリア?
小鳥なんて、飼ったことないんですけど……大丈夫?
ああでも、誰もいない部屋(まあ幽霊は通ってきますが)に、自分以外の命がいるというのは、ちょっと、いえ、かなり素敵なアイデア。
何より、自分以外の全員が前向きなこのシチュエーションでお断りするのは、あまりにも勇気のいることでした。
「は、はい、是非」
中途半端な笑顔で「ザ・日本人」な返事をして、私はまだ困惑したまま、よく焼けのお肉を頬張ったのでした。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。