夢枕獏著『ヤマンタカ大菩薩峠血風録』で鮮やかに蘇る未完の大作。著者にインタビュー!

未完の大作『大菩薩峠』が、夢枕獏によって平成の今蘇る。理屈では到底割り切れない人間の欲望や本能を巡る光景を、鮮やかに描ききった作品の、創作の背景を著者にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

デビュー40周年記念作品!未完の大作『大菩薩峠』が平成の今、甦る

『ヤマンタカ 大菩薩峠血風録』
ヤマンタカ_書影
KADOKAWA 1800円+税
装丁/坂詰佳苗

夢枕 獏

著者_夢枕 獏_01
●ゆめまくら・ばく 1951年小田原生まれ。東海大学文学部卒。『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞と星雲賞、『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞、『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞、舟橋聖一文学賞、吉川英治文学賞、『ちいさなおおきなき』で小学館児童出版文化賞等。「キマイラ・吼」「魔獣狩り」「餓狼伝」「陰陽師」など数々の人気シリーズを持ち、来年公開予定の『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』など映画化・漫画化作品も多数。162.5㌢、70㌔、O型。

今の我々には形にならない民衆の怒りや不安を仮託する対象が必要なんだと思う


初出は大正2年の都新聞。以来媒体を移しつつも書き継がれ、何度か映画化もされた中里介山の未完の大作『大菩薩峠』を、夢枕獏氏も全巻読み通せずに挫折した一人だという。
「とにかく有名な小説だし、何度か挑戦はしたんだけど、机竜之助が大菩薩峠で老巡礼を斬った理由もよくわからないままだし、ぼくがおもしろかったのは、一巻目の御嶽神社の奉納試合まで。で、そこまでをリメイクしようと」
ヤマンタカとは、〈梵名。仏教の忿怒尊ふんぬそん〉〈閻魔を屠る者〉とあり、チベットでは文殊菩薩の化身を示すとか。本作では〈音無しの構え〉の名手・机竜之助らが顔を揃えた御嶽神社の奉納試合の顛末が新解釈で描かれ、原作では脇役だった土方歳三もこれに出場、今一人の主役を務めるのも見物だ。
元祖・動機なき殺人ともいうべき竜之助の凶行や、最も強い男に身を委ねようとする美女・お浜や土方を絡めた三角関係など、理屈では到底割り切れない人間の欲望や本能を巡る光景を平成の今、新たに描き直した夢枕氏。その意図とは?

今でこそ血なまぐさい惨殺シーンやお色気の類は自粛に追い込まれがちだが、かつてエロスとバイオレンスはエンタメの王道だった。
「正確には西村寿行さんや大藪春彦さんが活躍された約30年前、強くて魅力的なキャラクターのファイトとエロスを伝奇小説に結合させたのが僕や菊地秀行さんなんです。現代だと刀は使えないから中国拳法を取り入れたり、従来にない肉弾戦や剣豪物の進化形を模索した。今回もまだ誰も読んだことのない剣の闘いを書きたかったんですね」
夢枕作品には時に十分すぎるほどの後書きがつくが、本書執筆の背景にはスタジオジブリ・鈴木敏夫氏とのこんな会話があったという。〈獏さん、机竜之助は、民衆なんですよ〉〈えーっ!?〉
「時あたかも3・11の翌年、震災後の世界とどうおりあいをつけてゆくか悩んでいる時に、鈴木さんの言葉に出会って、『机竜之助は怒れる民衆そのものだ』と思い込んじゃったんですね。
確かに幕末の世に流され続けた弱者と言えなくもないこの怪物に、我々の形にならない怒りや不安を背負わせたら、全く新しい剣豪小説が書けるかもしれないと思って書き始めたんです。今のトランプ現象を見ていても、やはり民衆には怒りを仮託する対象が、必要なんでしょう」
〈大菩薩峠は江戸を西にる三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ〉と、原作の書き出しを冒頭に引く本作は、新緑美しい5月の峠で深編笠に着流し姿の侍が、巡礼・与一兵衛をいきなり斬りつける場面で始まる。
その間、孫のお松は水を汲みに行っていて難を逃れ、係累のない彼女を神出鬼没の行商人・七兵衛が支えるなど、大筋はほぼ原作通りだが、違うのは凶行の際に竜之助が〈痛いか〉と訊ね、頭上では〈青猿〉がしきりに鳴いていたこと。しかもこの猿は竜之助の行く先々に出没し、彼が誰かを斬るたびに〈おきゃああっ〉〈おきゃああっ〉と、不気味なBGMを奏でるのである。
「原作で唯一魅力的なのが、実在の義賊をモデルにした七兵衛で、僕も一番好きなキャラなんですね。ところが竜之助が試合う宇津木文之丞は敵役として軟弱すぎるし、彼の許婚者・お浜や、江戸で竜之助を雇う土方達からも、作者の愛情が全然伝わってこないんですよ。
そもそも土方は日野出身で、机弾正・竜之助親子が道場を構える沢井村はすぐ近く。だったら江戸に出る前に会ってもおかしくないし、近藤勇や沖田総司とも新選組結成以前から因縁のある設定に変えています」
一方、土方や竜之助に、文之丞を殺してほしいとせまるお浜は、本作でも一層の妖女っぷりを発揮。また、〈丹波の赤犬〉という盗賊にさらわれ、犯されるお浜の姿を見て一物を固くする土方の欲情や、〈ああ、人を斬ってみたいなあ〉と無邪気に言う沖田の闇など、従来の新選組ものにはないくらい悦び〉が印象的だ。

場面ごとにその人間になりきる

「例えばお浜は自分を振る男を許せない。賊に手籠めにされた自分に妻ではなく妾になれと言う文之丞を叩く。一方の文之丞も彼女の攻撃を一度わざと受けた上で〈身意が一体でなければならない。でないと、相手に斬られてしまうのだよ(略)ほら。ほら。ほら〉と女の頬を腫れるまで叩く。そこに彼の狂気が立ち現れてくるわけです。
こういうシーンは事前に決めすぎても出てこないし、お浜を抱きたい土方の恋情にしても、場面場面で、その人間になりきって書く。昔は50枚の連載中、25枚がファイトの描写ということもありました。拳が当たった接触面の細胞がミチミチ死滅する感じを何枚もかけて書いたりね。本書でもオリジナルの剣客も含めた闘いのシーンを面白く書くのが、最大の読者サービスだと思ってます」
さて竜之助が巡礼を斬殺した理由や音無しの構えに関しても、夢枕氏は原作にない衝撃の真相を用意する。
「これも書きながら出てきたアイデアですけどね。単に試合前の度胸試しでは人間的に小さすぎると思ったし、彼のキャラクターを決定づける仕掛けを用意しました。ここでは言えませんが」
自身、最も胸躍る原体験に「宮本武蔵と大山倍達と猪木」を挙げる氏は、一対一の勝負に人々が魅かれるのは本能に近いという。
「ゴジラとキングコングはどっちが強いかを延々議論してみたり、男同士がつい、自分と他人のことを心の中で比べちゃうのもそうでしょう。竜之助たちの場合は剣と生きることが直結しているし、そういうものとしか言い様がないんです」
〈白刃で、生命のやりとりをするってのは、ありゃあ、人を狂わすね〉とあるが、そうまでして勝負に賭ける男たちの輝きは勝者と敗者を問わない。実は本作には未回収な伏線も一部残されている。
「例えば土方が手に入れた名刀・兼定の元の持ち主は、ぼくの物語の中ではあの倉田典膳です。亡き大佛次郎先生が許して下されば竜之助と坂本竜馬と鞍馬天狗が維新前の京都で絡むとか、介山が書けなかった続きも書けるかもしれない」
と夢枕氏。
それもこれも虚構の一匹狼・机竜之助がいてこそで、物語が物語を生む連鎖に終わりはない。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017年2.10号より)

初出:P+D MAGAZINE(2017/04/02)

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