小説家はネコが好き!涙と笑いの猫文学コレクション。

内田百閒『ノラや』、町田康『猫にかまけて』……時代がどれだけ変わっても、文学者たちの猫に対する愛情は変わりません。そこで今回は、猫にまつわる文学作品を一挙ご紹介!

私たちにとって身近な存在ながらも、どこかミステリアスな

「猫に小判」、「猫をかぶる」、「猫の手も借りたい」‥‥‥「猫」にまつわることわざを探るだけでも、猫と日本語との接点の多さがうかがえるでしょう。そんな猫の存在に、日本語のプロである文学者たちは古くから惹きつけられてきました。2015年には北海道立文学館で文学作品に登場する猫にスポットを当てた特別展、「ネコ!ねこ!猫!!」が開催されましたが、これもまた、文学と猫との密接な繋りを示すような事例です。

“猫小説”と聞いてまず思い浮かぶのは、夏目漱石の「吾輩は猫である」でしょう。この作品は明治の時代に生きる人間たちと、彼らが生きる社会の滑稽さを飼い猫の目を借りて痛烈に風刺しています。上辺だけでも西洋文化に追いつこうとする日本人のズレた姿を面白おかしく描けたのは、人に従順な犬ではなくフラットな立ち位置の猫だからこそです。

夏目漱石の他にも、猫に心奪われた小説家たちは多くいます。何故、小説家を夢中にさせるのは犬よりも猫なのでしょうか?

今回は、そんな小説家たちが愛してやまない猫とのエピソード、猫にまつわる著作の魅力を探ります。

 

猫を飼ったことのある人にこそ読んでほしい。失って気づく猫の愛おしさ。

『ノラや』(内田百閒)

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夏目漱石の弟子であり、ユーモアに富んだエッセイが人気の内田百閒。なんと師の作品をパロディ化した「贋作吾輩は猫である」という作品も残しています。猫が人間を観察するという設定をそのままに、会話文が大半を占めているのが特徴です。

そんな内田百閒は晩年、家に居つくようになった野良猫のノラを溺愛していました。食事をする姿、ごろりと寝転んだ姿、あくびをしてくつろぐ姿など些細な瞬間にも愛おしさを感じる点は、猫が好きな人も共感することでしょう。そんなノラとの日々を描いた『ノラや」には、ある日ふといなくなってしまったノラに抱いた喪失感が綴られています

ノラが昨日の昼過ぎから帰らない。一晩戻らなかった事はあるが、翌朝には帰ってきた。今日は午後になっても帰らない。ノラのことが非常に気に掛かりもう帰らぬのではないかと思って、可哀想で一日中涙止まらず。

ノラは今どこにいるかと思い出す。ノラが出這入していたお勝手の戸を、用もないのに一日に何度も気合いをかけて開けるが空しく閉めるばかりである。寝る前の最後には、今帰ってこいと念じながら開ける。いつも夜風が筋になって吹き込むばかりである。

ノラが失踪してからの内田百閒は毎日めそめそと泣き、仕事どころか食事も入浴もままならない状態でした。それでも新聞に謝礼付きの捜索願いを載せ、似た猫の情報を耳にはさめば確認に出かけるほど、ノラのことを大切に想っていたのです。タイトルにある通り、「ノラや」と呼びかける彼の声が聞こえてきそうですね。

いなくなった猫へのやるせない愛惜の念。猫を飼った経験のある人には、胸に響くこと間違いありません。

 

猫を溺愛する男と振り回される2人の女。奇妙な四角関係の行く末は。

『猫と庄造と二人のをんな』(谷崎潤一郎)

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男と女の関係を耽美的に書かせたら、右に出るものはいない谷崎潤一郎。彼は「ボードレールの影響から猫が好きになった」と自ら語っています。「ペル」と名付けたペルシャ猫を飼っていた際には溺愛したあまり、死後も剥製にして側に置いていたとか……!

そんな彼の著作、「猫と庄造と二人のをんな」では飼い主の庄造が猫のリリーに話しかけるシーンをまるで2人の人間が会話しているように描いています

「ええか、此処にじっとしてるねんで。出てきたらあかんで。ええなあ?分かってるなあ?」としんみり云ってから聴かせてから、襖を締めて立とうとすると、「待ってください、何卒そこにいて下さい」とでも云うように、又「ニャア」と云って悲しげに啼いた。

タイトルの並び順がそのまま上下関係となっている点にも注目です。男を手玉にとる「悪女」ならぬ「悪猫」のリリー、そんなリリーに首ったけの庄造。「別に美男子なのではないが、幾つになっても子供っぽいところがあって、気だてが優しい」、そんな庄造に惹かれる2人の女。浮気相手から妻になった福子は自分よりも庄造と深い仲にあるリリーに苛立ち、元妻の品子はリリーをダシに庄造をおびき出そうと画策します。

3人それぞれが、たった1匹の猫に振り回される滑稽さが、小気味良い神戸弁で繰り広げられています。谷崎の元妻、千代子が佐藤春夫の元に飼っていた猫を連れて行ってしまった実体験が元になっているとも言われているこの作品。そんなエピソードを知って読むとまた違った印象を受けますね。

 

生涯に飼った猫は500匹以上!生粋の猫好きによる猫づくしな1冊

『猫のいる日々』(大佛次郎)

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「鞍馬天狗」シリーズなど、時代小説の名手として知られる大佛次郎。彼は猫を「生涯の伴侶」と言い、「来世は猫に生まれたい」と願うほど、大の猫好きでした。さらに、常に家にいた猫は15匹以上と、日本文学史において最も猫を愛した小説家といっても過言ではありません。噂を聞きつけて猫を押し付けようと自宅を訪れる人に呆れながら、結局はその猫を迎え入れていたそうです。

「仕事に向かうと極端に無口で怒りっぽくなる心を和ませてくれるのが猫であった。猫は人間に冷淡なので好きだ」という発言から、素直ではないながらも深い猫への愛が感じられます。

そんな大佛次郎の著作集、『猫のいる日々』は猫をテーマにしたエッセイ、小説、童話を収録し、猫への愛が詰まった1冊となっています。

どの話も猫、猫、猫!猫好きが読んだら思わず顔がほころんでしまうことでしょう。猫の描写が細かく、ありありとその姿が目に浮かぶのはいつでも猫が傍らにいたことを思わせます。この著作集には同じく猫好きとして知られる画家、猪熊弦一郎も登場します。

同じく収録されている童話、「スイッチョねこ」。秋の虫であるスイッチョをうっかり飲み込んでしまった子猫のしろきち。お腹の中でけたたましく鳴き続けるスイッチョに悩まされるしろきちの運命は……?こちらは絵本としても出版されており、大佛次郎自ら「私の一代の傑作」とまで評価しています

読めば猫の良さがじんわりと伝わってくることでしょう。また、置物や写真など、80匹を超える猫に出会える彼の記念館(横浜市港の見える丘公園内)に足を運んでみるのもいかがでしょうか。

 

ゾクッとする怪奇小説はいかが?黒猫に追い詰められるリアルな心情

『黒猫』(エドガー・アラン・ポー)

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「猫のようにミステリアスに書けたらと思う」と猫について語ったエドガー・アラン・ポー。江戸川乱歩のペンネームの元になったことでも知られる彼もまた、猫が好きでした。カタリーナという名前の三毛猫を飼っていた際には、極貧生活で暖を取る余裕も無かったポーと妻を、この猫が寄り添って温めていたというエピソードもあります。

そんなポーの作品、「黒猫」は、読者をゾクッとさせる不思議な力を持っています。たくさんいる猫の中から、何故黒猫が題材に選ばれたのでしょうか。それは作品を読めば、死や不安を思い起こさせる黒い毛並みを持ち、不幸の象徴として考えられる黒猫でなければならなかったことが分かります。

酒に溺れ、可愛がっていた黒猫のプルートーを手にかけてしまう語り手。その晩火事で焼け落ちた語り手の家に浮き出ていたのは、首に縄を巻きつけた猫の姿でした。

一時の感情のせいでプルートーを失った語り手は後悔の念に駆られ、彼はいつしかよく似た猫を探し歩くようになります。そんなある日、語り手はプルートーにそっくりな黒猫を見つけて連れて帰ります。

しかし喜ぶのも束の間、その猫がプルートーと同じ片目であることを知り、語り手は次第にその猫に恐怖感を抱くようになります。それに加え、その猫の胸にある大きな白い模様は日に日に絞首台を思わせる形になっていき……と、ページを追うごとに緊迫した雰囲気がこちらにも伝わってくるようです。黒猫に対する積もり積もっていく暗い感情と、その呪縛から解放された心の隙が招く運命からは目が離せません。

 

「化けの皮」がはがれると、そこはネコの町!?

「猫町」(萩原朔太郎)

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詩人・萩原朔太郎のデビュー作となった『月に吠える』は、自らの感性を一匹のみすぼらしい犬の姿に重ね合わせた詩集でしたが、そのなかにこんな強烈な詩が収録されています。

「猫」

まつくろけの猫が二疋
なやましいよるの家根のうへで
ぴんとたてた尻尾のさきから
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』

屋根の上で会話をする猫と猫。都市というモダンな環境に身を置きながら、文明人を「病気」と言ってのけるその言葉からは、『吾輩は猫である』直系の風刺精神が感じられます。

そんな朔太郎の第二詩集のタイトルは、ズバリ『青猫』。「ああ このおおきな都会の夜にねむれるものは/ただ一匹の青い猫のかげだ」(「青猫」)と謳う朔太郎は、その空想のなかに幻想的に浮かび上がる「美しい都市」を猫のモチーフを交えて描いています。

朔太郎の猫への執着がもっとも顕著にあらわれているのが、短編小説である「猫町」です。北越の温泉街にでかけた「私」が、散策中に方向感覚を失ってたどりついた美しい繁華街。しかし、その街中に張り詰めている緊張の空気が一気にはじけると、通りを埋め尽くすように人間の姿をした猫の大集団が突如として現れます。そこで「私」が見たものは、幻覚なのか、もののけの類なのか、はたまたこれこそ詩人の見た〈芸術〉の境地なのか‥‥‥。読者まで「化かされた」気持ちになるような一作。

 

 

猫と暮らすとこんな感じ?写真とテンポの良い文章にほっこり

猫にかまけて(町田康)

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パンク歌手と文筆家の顔を持ち、その独特な言葉選びからコアなファンを持つ町田康。猫について「どうでもいいようなことで悲しんだり怒ったりしているとき、彼女らはいつも洗練されたやりかたで、人生にはもっと重要なことがあると教えてくれた」と語っています。

猫を題材にしたエッセイ、「猫にかまけて」は高飛車な態度のココア、犬を思わせるほど人懐っこいゲンゾー、無邪気なヘッケ、喧嘩っ早くて気の強い奈奈など個性的なネコたちと共に暮らす、まさに「猫にかまける」日々を写真と文章で綴っています。「うひゃひゃ」と笑いながら部屋をめちゃくちゃにされ、引っ掻かれ、蹴飛ばされながらも、憎めない彼らに対して辞めるようお願いをする様子にはついクスッと笑ってしまうことでしょう。

自虐めいた表現も町田康ならでは。必死に原稿を書く飼い主を見て、「くだらない文章なんか書いてないで、私と遊んだらどうなの?」とふてぶてしくココアが言う、なんていうやりとりから、猫の言葉が本当に聞こえてきそうです。

町田康による猫エッセイはこの「猫にかまけて」以降もシリーズが続くほど、人気のある作品となっています。

その人気の理由は、病気や別れについてもありありと描いている点にあります。「もっともっとやれることがあったのではないか」と後悔するほど、猫に対して最期まで尽くそうとする姿勢には涙を堪えられません。笑えるだけでなく、改めて猫を飼うことについて考えさせられる……そんな笑って泣ける1冊です。

 

おわりに

今も昔も強い小説家と猫の絆。小説家は部屋にこもりっきりになることの多い職業だけに、同じ部屋で思うがままのんびり過ごす猫との相性が良いのでしょう。また、神秘的な雰囲気からインスピレーションを受けやすく、行き詰まった時にはそっと癒してくれる猫に惹かれるのではないでしょうか。

犬派のあなたも、これらの“猫文学”を読んで猫の魅力を感じてみませんか?

初出:P+D MAGAZINE(2016/02/11)

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